航空史の黄金時代、数々の不可能を可能にした人物がいました。ワイリー・ポストは、単なる冒険家ではなく、技術的な革新を追求し続けた先駆的な飛行士です。彼は世界で初めて単独での世界一周飛行を成功させただけでなく、現代の宇宙服の原型となる加圧服の開発や、上空の強力な風である「ジェット気流」の発見など、科学的な貢献でも知られています。
Key Facts
- 世界初の快挙: 単発機による世界一周飛行の成功、および史上初の単独世界一周飛行を達成。
- 技術的貢献: 実用的な加圧服(プレッシャースーツ)を開発し、高高度飛行の道を切り拓いた。
- 科学的発見: 高度15,000メートル付近で流れる「ジェット気流」を初めて発見した。
- 愛機: カスタマイズを施したロッキード・ベガ機「ウィニー・メイ」で数々の記録を樹立。
波乱に満ちた若年期と飛行への情熱
1898年にテキサス州で生まれたポストは、幼少期にオクラホマ州へ移住しました。もともとは勉強に意欲的な学生ではありませんでしたが、1913年に地元の見本市でカーチス・ライト社の航空機を目にしたことで人生が一変します。この衝撃から航空学校へ入学し、飛行への道を歩み始めました。
しかし、その道のりは平坦ではありませんでした。第一次世界大戦中は無線技術を学びましたが、終戦により訓練を完了できず、その後は油田での過酷な労働に従事します。生活の不安定さから一時的に犯罪に手を染め、刑務所に収監されるという挫折も経験しました。しかし、出所後の彼は不屈の精神で再び空を目指します。
「ウィニー・メイ」と共に刻んだ世界記録
ポストの名を世界に知らしめたのは、富豪のF.C.ホールから提供されたロッキード・ベガ機「ウィニー・メイ」でした。1930年のナショナル・エアレース・ダービーでロサンゼルスからシカゴまでを約9時間で結び、大きな賞金と名声を獲得します。

1931年、ポストはナビゲーターのハロルド・ガティと共に、この機体で世界一周に挑みました。約15,474マイルの距離を8日と15時間51分という驚異的な速さで完走し、当時の飛行船による記録を塗り替えました。

さらにポストは、自身の学歴や背景を軽視する人々への反発から、さらなる高みを目指します。1933年には、最新のオートパイロット(自動操縦装置)と無線方向探知機を導入し、ナビゲーターなしでの単独世界一周という前人未到の快挙を達成しました。この飛行はわずか7日と18時間49分で完了し、彼の類まれなる操縦技術と準備力を証明しました。
高高度飛行への挑戦と加圧服の開発
ポストの関心は次第に「より高く、より速く」へと移りました。しかし、当時の航空機は客室の加圧ができず、高高度では酸素不足や気圧低下が致命的な問題となりました。そこで彼はB.F.グッドリッチ社と協力し、世界初の本格的な加圧服の開発に着手します。
開発過程では、テスト中にスーツが破裂したり、あまりにきつく装着されて切り裂いて脱出せざるを得なかったりと、多くの失敗を繰り返しました。しかし、3度目の改良でようやく実用的なスーツが完成します。このスーツはゴム製の気密層とパラシュート生地の外層、そして潜水ヘルメットを組み合わせた構造でした。

この装備により、ポストは高度15,000メートル(50,000フィート)にまで到達し、そこで上空を高速で流れる「ジェット気流」を発見しました。これは後の航空力学や気象学に多大な影響を与える重要な発見となりました。
最後の挑戦と悲劇的な結末
1935年、ポストはロサンゼルスからニューヨークまでをノンストップで結ぶ高高度飛行に挑みました。機械的なトラブルにより4度の試行すべてが失敗に終わりましたが、彼は諦めませんでした。

その後、彼はアメリカ西海岸からロシアへ至る航空路の調査を計画します。自ら2機の機体を組み合わせて改造したハイブリッド機を製作し、親友のユーモア作家ウィル・ロジャースを乗せてアラスカへ向かいました。

しかし、1935年8月15日、アラスカのポイントバロー付近で悪天候に見舞われ、方向を確認するためにラグーン(潟湖)へ着陸。その後の離陸時にエンジンが停止し、機体は制御不能となって墜落しました。この事故により、ポストとロジャースは共に36歳という若さでこの世を去りました。

ワイリー・ポストの功績まとめ
| 項目 | 内容・成果 | 備考 |
|---|---|---|
| 世界一周飛行(1回目) | 1931年:8日15時間51分 | ハロルド・ガティと共同 |
| 世界一周飛行(2回目) | 1933年:7日18時間49分 | 史上初の単独飛行 |
| 技術開発 | 実用的加圧服の製作 | 高高度飛行を可能にした |
| 科学的発見 | ジェット気流の発見 | 高度15,000m付近で確認 |
Frequently Asked Questions
ワイリー・ポストが使用した「ウィニー・メイ」とはどのような機体ですか?
ロッキード・ベガという単発の高性能機で、もともとは富豪のF.C.ホールが娘の名を冠して命名したものです。ポストはこの機体にオートパイロットなどの最新設備を導入し、世界一周記録の樹立に使用しました。
彼が開発した加圧服はなぜ重要だったのですか?
当時の航空機は機内加圧ができなかったため、パイロットは低気圧による低酸素症などの危険にさらされていました。ポストが開発した加圧服は、身体に圧力をかけることで生存を可能にし、後の宇宙服開発の基礎となりました。
ジェット気流の発見はどのようにして行われましたか?
開発した加圧服を着用して高度15,000メートルまで上昇した際、予想を遥かに上回る速度で機体が押し流される現象を確認したことで、上空に強力な気流が存在することを突き止めました。
彼が亡くなった事故の原因は何だったと考えられていますか?
アラスカでの離陸時に低高度でエンジンが停止したことが直接的な原因です。機体が機首方向へ傾きやすく(ノーズヘビー)、低速時に制御不能となってラグーンに墜落したとされています。
ポストの功績は現在どのように称えられていますか?
国立航空宇宙博物館に愛機が展示されているほか、オクラホマシティのワイリー・ポスト空港など、多くの施設にその名が刻まれています。また、航空殿堂への殿堂入りも果たしています。
References
- There is disagreement about Wiley Post's birthplace. Some sources say it was Grand Saline, Texas. This is what Post says in his chapter on his early history in "Around the World in Eight Days". others claim he was born in . An old edition of the World Book claims it was Grand Plain, Texas. Even Maysville, Oklahoma has claimed the honor.
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