現在のアメリカ合衆国北西部に位置するワシントン州は、州として認められる前に「ワシントン準州(Washington Territory)」という行政区分を経て発展しました。もともとは広大なオレゴン準州の一部でしたが、住民たちの自治への強い願いと、政治的な議論を経て、独自の道を歩み始めることになります。
自治への渇望と準州の誕生
1851年から1852年にかけて、コロンビア川の北側に居住していた人々の中で、オレゴン準州からの分離と自己統治を求める動きが活発化しました。1852年11月25日、現在のロングビューにあたる場所で「モンティチェロ会議」が開催され、有力な入植者たちが集まって連邦議会へ提出する請願書の草案を作成しました。この提案はオレゴン準州政府の承認を得て、正式に連邦政府へと送られました。
1853年1月、下院議員チャールズ・E・スチュアートによって準州設立法案(H.R. 348)が報告されました。当初、この地域は「コロンビア準州」と名付けられる予定でしたが、リチャード・H.・スタントン議員が、首都のコロンビア特別区(現在のディストリクト・オブ・コロンビア)と混同される恐れがあることを指摘しました。これにより、初代大統領ジョージ・ワシントンにちなんだ「ワシントン」という名称が提案されました。
この命名には反対意見もありました。アレクサンダー・エバンス議員は、ワシントンという名は多くの都市や郡で使われており、かえって混乱を招くと主張し、地域の先住民に由来する「美しいインディアンの名前」を付けるべきだと提案しました。しかし、最終的に法案はワシントンという名称で可決され、1853年3月2日にミラード・フィルモア大統領によって署名されました。

初期の統治体制と政治的基盤
初代知事に任命されたアイザック・スティーブンスは、オリンピアを準州の首都に指定しました。彼は行政だけでなく、メディシンクリーク条約をはじめとする先住民グループとの条約交渉や起草においても中心的な役割を果たしました。
その後、準州の政治体制が整備され、1854年2月には準州議会が初めて招集されました。同年には準州最高裁判所が初の判決を下し、またコロンビア・ランカスターが連邦議会への初の代表として選出されるなど、法的な統治機構が確立していきました。
領土の拡大と再編のプロセス
ワシントン準州の境界線は、時代とともに大きく変動しました。設立当初は現在のワシントン州全域に加え、アイダホ州北部や、大陸分水嶺より西側のモンタナ州の一部まで含まれていました。
1859年にオレゴン州が連邦に加入すると、オレゴン準州の東部(現在のアイダホ州南部やワイオミング州の一部など)がワシントン準州に編入され、一時的にその面積が拡大しました。しかし、その後も再編は続き、1861年3月には南東端の一部がネブラスカ準州へ、1863年にはスネーク川および西経117度より東の地域が新設されたアイダホ準州へと移管されました。
こうした領土の整理を経て、現在の州境に近い形となり、1889年11月11日にアメリカ合衆国の42番目の州として正式に加盟しました。
首都を巡る競争と人口の急増
州昇格に至るまで、どの都市を首都とするかを巡って激しい競争がありました。オリンピア以外にも、スティラクーム、バンクーバー、ポートタウンゼンド、エレンスバーグなどが候補に挙がっていました。特にエレンスバーグは有力な候補でしたが、州昇格直前の1889年7月4日に大規模な火災に見舞われ、壊滅的な打撃を受けました。首都を巡る論争は、最終的に議事堂が完成するまで完全に終息することはありませんでした。
この期間、地域は爆発的な人口増加を記録しました。1860年には約1万1千人だった人口が、20年後には約7万5千人へと急増し、地域社会の急速な発展を裏付けています。