物質が変形する際、その変化の速さを定量的に捉えることは、物理学や工学において極めて重要です。ひずみ速度テンソル(rate-of-strain tensor)とは、ある瞬間に特定の点周辺で物質がどのような速度で相対的に変形しているかを示す物理量です。これは連続体力学の基礎となる概念であり、固体、液体、気体といったあらゆる連続体に適用されます。
この概念は、単なる数学的な定義に留まらず、流体の粘性や金属の塑性変形、さらにはプラズマ物理学などの高度な解析にまで幅広く利用されています。本記事では、ひずみ速度テンソルの数学的構造から、それが物理的に何を意味するのかを詳しく解説します。
Key Facts
- 定義: ひずみ速度テンソルは、速度勾配(ヤコビ行列)の対称成分として定義される。
- 物理的意味: 物質の「伸び」や「せん断(ずれ)」の速度を表し、回転成分は含まない。
- 普遍性: 純粋に運動学的な概念であるため、物質の性質や作用している力に関わらず適用可能。
- 次元: 速度(L/T)を距離(L)で割ったものであるため、次元は時間的な逆数(T⁻¹)となる。
- 応力との関係: 流体においては、このテンソルが粘性応力を決定する主要な要因となる。
速度勾配とテンソルの分解
ある空間における物質の速度場を $\mathbf{v}$ とすると、その位置による変化率である速度勾配 $\nabla \mathbf{v}$ は2階のテンソル(行列)として表現されます。この速度勾配は、物質の局所的な動きを記述するヤコビ行列 $\mathbf{J}$ に相当します。
数学的に、この速度勾配テンソル $\mathbf{L}$ は、以下の2つの成分に分解することができます。
- 対称成分(ひずみ速度テンソル $\mathbf{E}$): 物質の伸縮やせん断変形の速度を記述します。
- 反対称成分(スピンテンソル $\mathbf{W}$): 物質が剛体のように回転する速度を記述します。
重要なのは、剛体回転(スピン)は物質点同士の相対的な位置関係を変えないため、変形の速度には寄与しないという点です。したがって、純粋な「変形の速さ」のみを抽出したものがひずみ速度テンソルとなります。

変形モードのさらなる詳細:膨張とせん断
ひずみ速度テンソル $\mathbf{E}$ は、さらに物理的な意味に基づいて2つの要素に分けることができます。
1. 膨張速度テンソル(S)
これは等方的な体積変化(膨張または収縮)を表します。数学的には速度場のダイバージェンス(発散)に関連しており、ある点における体積の変化率を示します。2次元流動の場合は、体積ではなく面積の変化率として定義されます。
2. せん断速度テンソル(D)
体積を変化させずに形状だけを変える変形を記述します。例えば、ゴムバンドを両端から引っ張ったときや、スプーンから蜂蜜が滑らかに流れ落ちる現象などがこれに該当します。これは「トレースレス(対角成分の和がゼロ)」な対称テンソルとして表現されます。
物理的応用と粘性の関係
ひずみ速度テンソルは、単なる幾何学的な記述ではなく、物質内部に発生する力と密接に関わっています。超流動体を除くほとんどの流体では、変形速度(ひずみ速度テンソルが非ゼロであること)が生じると、隣接する流体要素間の摩擦によって粘性力が発生します。
アイザック・ニュートンは、せん断応力 $\tau$ が速度勾配に比例するという関係式を提唱しました。この比例定数 $\mu$ が粘性係数(dynamic viscosity)であり、流体の「ねばりけ」を決定します。また、固体においても静的な弾性応力に加えて、変形速度に依存する粘性応力が現れる場合があり、そのような材料は粘弾性体と呼ばれます。
また、実用的な例として、パイプ内を流れる流体では壁面で速度がゼロになる「滑りなし条件」が存在し、中心部と壁面の間で速度勾配が生じます。この勾配が小さい状態で層状に流れる現象が層流です。
| 概念 | 数学的性質 | 物理的な意味 |
|---|---|---|
| 速度勾配 ($\nabla \mathbf{v}$) | 2階テンソル(ヤコビ行列) | 速度の空間的な変化率 |
| ひずみ速度テンソル ($\mathbf{E}$) | 対称行列 | 伸縮およびせん断の速度 |
| スピンテンソル ($\mathbf{W}$) | 反対称行列 | 局所的な回転速度(剛体回転) |
| 膨張速度テンソル ($\mathbf{S}$) | スカラー $\times$ 単位テンソル | 等方的な体積変化率 |
| せん断速度テンソル ($\mathbf{D}$) | トレースレス対称行列 | 体積不変の形状変化率 |
Frequently Asked Questions
ひずみ速度テンソルと回転テンソルの違いは何ですか?
ひずみ速度テンソルは物質の「形が変わる速さ(変形)」を記述しますが、回転テンソル(スピンテンソル)は物質が「形を変えずに回転する速さ」を記述します。回転だけでは物質点同士の距離が変わらないため、変形には寄与しません。
なぜ次元が $T^{-1}$ になるのですか?
速度勾配は「速度の変化量 $\Delta v$」を「距離の変化量 $\Delta x$」で割ったものです。速度の次元は $[L/T]$、距離の次元は $[L]$ であるため、比をとると $[L/T] / [L] = [1/T]$ となり、時間の逆数になります。
この概念はどのような分野で活用されていますか?
流体力学はもちろん、金属の塑性変形解析、磁気流体力学(MHD)におけるプラズマの挙動解析、水処理施設における凝集装置の設計など、物質の流動や変形を扱う幅広い工学分野で活用されています。
粘弾性体とはどのような物質ですか?
静的な変形に対して示す「弾性(元に戻ろうとする力)」と、変形速度に応じて発生する「粘性(流れようとする性質)」の両方を併せ持つ材料のことです。ひずみ速度テンソルによる粘性応力が無視できない場合にこのように呼ばれます。
References
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