天性の歌声を持ち、20世紀のアメリカ音楽シーンを彩ったローズマリー・クルーニー。彼女のキャリアは、形式的な音楽教育を一切受けず、耳でコピーして歌うという独学のスタイルから始まりました。地元メイズビルでの経験が自信となり、やがて世界的なスターへと駆け上がります。

Key Facts

  • 楽譜の読み方や歌唱レッスンを一度も受けたことがない独学のシンガーであった。
  • 1951年のヒット曲「Come On-a My House」でミリオンセラーを記録し、一躍スターダムにのし上がった。
  • ビング・クロスビーとは深い親交があり、映画やラジオ、コンサートツアーで何度も共演した。
  • 精神的な不調と薬物問題による長い空白期間を経て、1970年代半ばに劇的なカムバックを果たした。
  • 晩年はコンコード・ジャズから毎年アルバムをリリースし、ジャズシンガーとしての地位を確立した。

初期の活動からスターへの飛躍

ローズマリーは妹のベティと共に、祖父の市長選挙演説の前に観客を集めるために歌を歌っていたことが、表現者としての原点となりました。1945年にはシンシナティのラジオ局WLWでの活動を開始し、その後トニー・パストールのバンドに起用され、計14曲をレコーディングしています。

1949年にコロンビア・レコードと契約しソロデビューを果たすと、1950年代初頭にはラジオやテレビ番組『Songs for Sale』のレギュラーを務めるなど、徐々に知名度を上げました。彼女を世界的な名声へと導いたのは、1951年にリリースされた「Come On-a My House」です。プロデューサーのミッチ・ミラーによって強いられたアクセント付きの歌唱スタイルに本人は不満を抱いていましたが、結果として100万枚以上のセールスを記録し、彼女に莫大な印税と名声をもたらしました。

Rosemary Clooney, Dean Martin, and Jerry Lewis on The Colgate Comedy Hour (1952)

黄金期の多才な活動と私生活の変化

1950年代、彼女は音楽のみならず多方面で活躍しました。1954年には名作映画『ホワイト・クリスマス』に出演。この撮影を機にダンスを習い始めたことが、後のパートナーとなるダンテ・ディパオロとの出会いにつながりました。また、自身の冠番組『The Rosemary Clooney Show』を主宰し、ネルソン・リドルなどの著名なオーケストラと共にパフォーマンスを披露しました。

特にビング・クロスビーとの絆は深く、アイルランドでのコンサートツアーや、1960年の共同ラジオ番組など、音楽的なパートナーとして多くの足跡を残しています。しかし、1955年から1960年にかけて5人の子供を出産したことで、ツアーやプロモーション活動に制約が生じ、音楽的な活動ペースに変化が現れました。

苦難の時代と不屈のカムバック

1958年にコロンビア・レコードを離れた後、MGMやRCAビクターなど複数のレーベルを渡り歩きましたが、1968年のシングル「Let Me Down Easy」を最後に、彼女の音楽活動は突如として途絶えます。その後8年間にわたり、深刻な精神的崩壊と薬物依存との闘いという、人生で最も困難な時期を過ごしました。

1970年代半ばになると、ホリデイ・インのラウンジなどの小規模な会場から活動を再開。友人であるマーヴ・グリフィンやビング・クロスビーの支援もあり、1976年には約10年ぶりとなるアルバムをリリースして完全復活を遂げました。

Clooney performing in 1977

以降、彼女はコンコード・ジャズから毎年アルバムを出すという驚異的なペースで制作を続け、ジャズへの深い造詣を示す作品を世に送り出しました。また、1994年には甥のジョージ・クルーニーが出演していたドラマ『ER』にゲスト出演し、エミー賞にノミネートされるなど、俳優としても再評価されました。

晩年の功績と地域への貢献

ローズマリーは自身の成功を故郷に還元することにも尽力しました。1999年には、自身のデビュー作が上映されたメイズビルのラッセル劇場の修復を目的とした「ローズマリー・クルーニー・ミュージック・フェスティバル」を設立し、没するまで毎年出演し続けました。

ローズマリー・クルーニーのキャリア主要年表
期間・年 主な出来事・実績
1945年 WLWラジオ局で活動開始
1951年 「Come On-a My House」がミリオンセラーを記録
1954年 映画『ホワイト・クリスマス』に出演
1958年 コロンビア・レコードを離脱しRCAビクター等へ移籍
1968年〜1976年 精神的不調による活動休止期間
1977年〜没年 コンコード・ジャズから毎年アルバムをリリース
2002年 グラミー生涯功労賞を受賞

Frequently Asked Questions

音楽的なトレーニングは受けていたのですか?

いいえ、彼女は歌唱レッスンを受けたことはなく、楽譜を読むこともできませんでした。すべて耳で聴いて覚えるスタイルで歌っていました。

最大のヒット曲である「Come On-a My House」について本人はどう思っていましたか?

彼女はこの曲を「ノベルティ・ポップ(奇抜な流行歌)」として好んでおらず、特に指定されたアクセントでの歌唱に不満を持っていました。しかし、契約維持のために制作を強要された経緯があります。

ジョージ・クルーニーとの関係は?

ジョージ・クルーニーは彼女の甥にあたります。1994年に彼が主演していたドラマ『ER』にローズマリーがゲスト出演し、高い評価を得ました。

活動休止期間の原因は何でしたか?

深刻な精神的な崩壊(メンタルブレイクダウン)と、それに伴う薬物乱用問題に直面していたため、約8年間にわたり新曲のリリースが途絶えました。

晩年にどのような賞を受賞しましたか?

1998年にSociety of Singersからエラ・ライフタイム・アチーブメント賞を、2002年にはグラミー賞の生涯功労賞を授与されています。