アメリカ合衆国の西部開拓時代、荒野を駆け抜け、商才と勇気で道を切り拓いた人物がいました。リチェンズ・レイシー・ウートン(Richens Lacy Wootton)は、トラッパー(罠猟師)から商人、そして道路建設業者まで、多彩な顔を持つフロンティアの象徴的な人物です。特に、サンタフェ・トレイルの難所であったラトン峠に有料道路を建設した功績は、コロラド州とニューメキシコ州の発展に大きく寄与しました。
Key Facts
- 本名:リチェンズ・レイシー・ウートン(愛称:アンクル・ディック)
- 主な功績:ラトン峠における有料道路の建設
- 経歴:トラッパー、商人、スカウト、起業家
- 活動地域:現在のコロラド州、ニューメキシコ州、ワイオミング州など
- 家族:4回の結婚を経て、少なくとも15人の子供をもうけた
フロンティアでの足跡と若き日の冒険
1816年、バージニア州メクレンバーグ郡にスコットランド系移民の家庭に生まれたウートンは、17歳で故郷を離れ、西へと向かいました。1836年にミズーリ州インディペンデンスに到達し、ベント&セントヴレインの馬車隊に加わってアーカンソー川沿いのベント要塞へ辿り着いたことが、彼の波乱万丈な人生の始まりとなりました。
彼はすぐに適応し、スー族などの先住民との交易やビーバーの罠猟、バッファロー狩り、そして物資の輸送に従事しました。1837年には17名の隊員を率いて現在のコロラド、ワイオミング、ニューメキシコにまたがる遠征を行い、その後2年間で約5,000マイル(約8,000km)に及ぶ旅を敢行して、現在のワシントン州にあるフォートバンクーまで毛皮交易を広げました。
また、ベント要塞へバッファローの肉を供給したほか、東部の動物園や展示会向けにバッファローを飼育して販売するなど、その商才を発揮しました。こうした活動を通じて、彼は入植者と先住民の両方から厚い信頼を得る人物となりました。
「アンクル・ディック」の由来と多才な事業
ウートンが「アンクル・ディック(ディックおじさん)」という親しみやすい愛称で呼ばれるようになったのは、1858年の出来事がきっかけです。家族を訪ねて東へ向かう途中、当時まだ形成途上だったデンバーに立ち寄った彼は、希少なバーボン・ウイスキーを樽ごと地域住民に振る舞いました。彼の寛大さと面白い語り口が評判となり、この愛称が定着しました。
その後、彼はデンバーでサルーン(酒場)やホテル、一般商店、貸金業などを営み、ビジネスマンとしても成功を収めました。また、軍事的な側面では、米墨戦争中にドニファン大佐のスカウト(偵察員)として活動し、タオス反乱後の作戦にも参加しました。キット・カーソンなどの著名な人物と共に活動しましたが、本人は必要不可欠な場合以外に暴力は振るわなかったと主張しています。
ラトン峠の有料道路建設という偉業
1860年代半ば、ウートンはコロラド州トリニダに拠点を移しました。ここで彼は、サンタフェ・トレイルの中でも最難所の一つとされていたラトン峠に道路を建設する計画を立て、コロラドとニューメキシコの双方の領土議会から承認を得ました。
建設にあたっては、ユート族の首長コニアック率いる労働者の協力を得て、岩石の爆破や橋の架橋を行い、全長27マイル(約43km)の道路を完成させました。1866年に開通したこの有料道路は、軍の輸送隊やステージコーチ(駅馬車)、商人、ゴールドラッシュに沸く探鉱者たちの移動速度と安全性を劇的に向上させました。なお、先住民の通行は無料とされることが多かったと言われています。
1870年代初頭まで、彼は峠にステージステーション(中継所)と住居を構え、月額約600ドルという安定した収入を得ていました。
晩年と鉄道会社への譲渡
1878年、アチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道がラトン峠に線路を敷設することを計画しました。ウートンは鉄道会社と交渉し、一括での買い取りではなく、「月額50ドルの年金」と「妻マリア・パウリーナへの生涯無料の交通手段および食料提供」という条件で合意しました。一部からは不利な契約だと言われましたが、妻のマリア・パウリーナは1935年に亡くなるまで、57年間にわたりこの恩恵を受け続けました。
人生の最終章をトリニダ近郊の「シンプソンズ・レスト」で過ごしたウートンは、著名人から無法者まであらゆる旅人を温かく迎え入れ、1893年に77歳でこの世を去りました。彼の息子であるR.L.ウートン・ジュニアは、後にコロラド州議会議員を務めています。
ウートンの人生まとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 活動期間 | 1830年代 〜 1890年代 |
| 主な職業 | トラッパー、商人、スカウト、道路建設業者 |
| 最大の業績 | ラトン峠有料道路の建設(1866年開通) |
| 家族構成 | 4回の結婚、少なくとも15人の子供 |
| 後世への影響 | サンタフェ鉄道の機関車にその名が冠された |
Frequently Asked Questions
「アンクル・ディック」という名前はどこから来たのですか?
1858年にデンバーを訪れた際、地域の人々にバーボン・ウイスキーを惜しみなく振る舞い、親しみやすい性格と話術で人気を得たことから、親愛の情を込めてそう呼ばれるようになりました。
ラトン峠の道路建設はどのような影響を与えましたか?
それまで非常に困難だったルートが整備されたことで、軍隊や商人、入植者の移動が安全かつ迅速になり、コロラド州とニューメキシコ州の経済的・社会的な発展を加速させました。
鉄道会社との契約は本当に「悪い取引」だったのでしょうか?
一時金を得なかったため短期的には損に見えましたが、結果として妻のマリア・パウリーナはウートンの死後も数十年にわたり、食料と交通手段の提供という実利を享受し続けました。
彼は先住民とどのような関係を築いていましたか?
交易や罠猟を通じて多くの部族と交流し、ラトン峠の道路建設ではユート族の協力を得ていました。また、建設後の有料道路において先住民の通行を無料にするなどの配慮も見せていました。
彼の人生は後世にどのように記録されていますか?
アメリカ西部の不屈の精神と起業家精神の象徴として記憶されており、ジェームズ・A・ミチェナーの小説『センテニアル』などの文学作品にも登場しています。
References
- Conrad, Howard L. Uncle Dick Wootton. W.E. Dibble & Co., 1890.
- Hafen, LeRoy R. Fur Trappers and Traders in the Far Southwest, Utah State University Press, 1997.
- Inman, Colonel Henry. The Old Santa Fe Trail, 1898, pp. 347–348.
- McKinnan, Bess. "The Toll Road Over Raton Pass", New Mexico Historical Review, 1926.
- West, Elliott. The Essential West, University of Oklahoma Press, 2012, p. 217