20世紀半ば、アメリカのサイエンスフィクション(SF)界において、数多くの名作を世に送り出した編集者であり出版人がいました。それがマーティン・グリーンバーグです。彼は単なる本の出版にとどまらず、テーマ別のアンソロジー(特定の主題に基づいて短編を集めた作品集)を編集し、ジャンルの形式を整えることに寄与しました。
主要な実績と事実
- ノーム・プレス(Gnome Press)を共同設立し、初期のSF出版を牽引した。
- アイザック・アシモフの金字塔である「ファウンデーション三部作」を最初に刊行した出版社を運営。
- 第二次世界大戦に従軍し、伍長として5つの従軍星章を授与された経歴を持つ。
- 2000年に「ファースト・ファンダム殿堂(First Fandom Hall of Fame)」に選出された。
波乱に満ちたキャリアの軌跡
軍歴から出版界への転身
1918年にニューヨークで生まれたグリーンバーグは、1942年から1945年までアメリカ陸軍に所属していました。戦後、彼はポール・デニス・オコナーとハネス・ボックが設立した小規模出版社「ニュー・コレクターズ・グループ」に参画します。しかし、出版の方向性を巡ってオコナーと対立し、脱退することとなりました。その際の解決策として、L.スプラグ・デ・キャンプとフレッチャー・プラットによる作品『The Carnelian Cube』の出版権を譲り受けています。
ノーム・プレスの設立と黄金期
1948年、グリーンバーグはニューヨークのSFクラブ「ハイドラ・クラブ」の仲間であったデヴィッド・カイルと共に、ノーム・プレスを設立しました。同社の処女作となったのが、前述の『The Carnelian Cube』です。彼はここで編集者としての手腕を振るい、多様なテーマのアンソロジーを企画・出版し、SFというジャンルの普及に努めました。
葛藤と転機
成功の一方で、グリーンバーグは作家たちとの支払い問題を巡り激しい論争に巻き込まれました。特にアイザック・アシモフからは厳しい批判を受けたことが知られています。ノーム・プレスはアシモフの代表作である「ファウンデーション三部作」を最初に世に出した出版社でしたが、後にその権利はダブルデイ社へと移りました。最終的にノーム・プレスは経営不振に陥り、1962年に閉社となりました。
晩年の活動
出版業界を離れた後、グリーンバーグはアベラード・シューマン社で一般書の編集に携わりました。その後、ロングアイランドで画材店を営み、静かな引退生活を送りました。2013年10月20日、95歳でその生涯を閉じました。
マーティン・グリーンバーグの概要まとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 生没年 | 1918年6月28日 - 2013年10月20日 |
| 国籍 | アメリカ合衆国 |
| 主な職業 | 編集者、出版社経営者 |
| 代表的な設立社 | ノーム・プレス(Gnome Press) |
| 主な功績 | SFアンソロジーの編集、ファウンデーション三部作の初版刊行 |
| 受賞歴 | ファースト・ファンダム殿堂入り(2000年) |
よくある質問
マーティン・グリーンバーグはどのような人物でしたか?
アメリカのSF専門の編集者および出版人で、特にノーム・プレスを通じて初期のSF文学の普及に大きく貢献した人物です。
ノーム・プレスが出版した有名な作品は何ですか?
アイザック・アシモフの「ファウンデーション三部作」を最初に刊行したことで知られています。また、同社の最初の出版物は『The Carnelian Cube』でした。
作家との関係はどうだったのでしょうか?
編集者としての功績がある一方で、原稿料の支払いなどを巡って作家とトラブルになることがあり、アイザック・アシモフなどの作家から批判を受けたこともありました。
出版業界を引退した後は何をしていたのですか?
一般書の編集に携わった後、ロングアイランドで画材店を経営し、その後引退しました。
どのような賞を受賞しましたか?
SFファンダムへの貢献が認められ、2000年に「ファースト・ファンダム殿堂(First Fandom Hall of Fame)」に選出されています。