18世紀、北米南西部の未知なる領域に挑んだスペイン人探検家、フアン・マリア・アントニオ・デ・リベラ(Juan María Antonio de Rivera)をご存知でしょうか。彼は、現在のコロラド州やユタ州にまたがる険しい山岳地帯や河川流域を調査し、後の交通路の基礎を築いた人物です。当時のスペイン帝国にとって、この地域の探索は単なる好奇心ではなく、資源の確保と他国の進出を阻止するという戦略的な意味を持っていました。
Key Facts
- 活動時期: 1765年にニューメキシコ総督の命を受け、2度の主要な遠征を実施。
- 主な目的: 銀鉱山の探索、コロラド川の上流の特定、および他国(特にフランス)の勢力拡大の阻止。
- 地理的貢献: サンフアン川やアニマス川などの命名に関わり、コロラド川の支流であるガニソン川まで到達。
- 歴史的意義: 彼のルートは、後にニューメキシコとカリフォルニアを結ぶ「オールド・スパニッシュ・トレイル」の先駆けとなった。
リベラの人物像と背景
リベラに関する詳細な記録は少ないものの、1738年にメキシコのチワワで洗礼を受けた人物であると考えられています。1762年頃に当時のニューメキシコ総督トマス・ベレス・カチュピンと共にこの地へやってきたと推測されています。当時の記録において、貴族への敬称である「ドン(Don)」と呼ばれていなかったことから、彼は特権階級の出身ではなく、実務的な能力を持つ人物であったことが伺えます。特に、鉱業に関する深い知識を持っていたことが、後の探検任務に抜擢された要因となりました。
第1次遠征:銀と未知の河川を求めて
1765年6月25日、リベラはアビキューを出発し、少数のスペイン人と通訳(デトリバライズド・インディアンであるジェニザロ)を率いて北西へと向かいました。この遠征の主目的は、ユート族が持ち込んでいた銀の出所を突き止めることと、スペイン人が「大河」と呼んでいたコロラド川のルートを確認することでした。
彼は道中、現在のコロラド州パゴサススプリングス南方の河川をサンフアン川と名付け、さらにベイフィールド付近のリオ・デ・ロス・ピノスでは古代の採掘跡を発見しました。また、デュランゴ近郊ではユート族の集落に遭遇し、そこにある河川をアニマス川と命名しています。ユタ州のブラフ付近まで到達したリベラは、かつてのプエブロ先住民によるものと思われる巨大な村の跡や塔(トッレオーネス)を目撃し、その規模が当時のサンタフェの町に匹敵するほどであったと記録しています。

第2次遠征:コロラド川の渡河点への挑戦
同年9月、リベラは再び旅に出ました。今度の明確な任務は、ユート族がコロラド川を渡る際に利用する「渡河点(フォード)」を特定することでした。これは、さらなる西進を可能にするための重要な戦略的ルートの確保を意味していました。
しかし、今回の旅は容易ではありませんでした。案内役のユート族の中には、スペイン人に領土の詳細を教えたくないと考える者もおり、意図的に遠回りなルートへ誘導された形跡があります。近年の研究では、リベラが到達したのはコロラド川本流ではなく、その主要な支流であるガニソン川(現在のコロラド州デルタ西方)であったという説が有力視されています。彼はガニソン川を遡り、現在のモントローズ付近まで到達しましたが、コマンチ族による襲撃の危険があるとの警告を受け、南下してニューメキシコへと帰還しました。

この第2次遠征で確立されたルートは、10年後のドミンゲス・エスカランテ遠征隊によって再利用され、最終的にニューメキシコからカリフォルニアへと至る重要な交易路「オールド・スパニッシュ・トレイル」の形成に寄与することとなりました。
リベラ遠征の概要まとめ
| 項目 | 第1次遠征 (1765年6月〜) | 第2次遠征 (1765年9月〜) |
|---|---|---|
| 主な目的 | 銀鉱山の探索・地理的偵察 | コロラド川の渡河点の特定 |
| 到達地域 | コロラド州南部、ユタ州ブラフ付近 | コロラド州ガニソン川流域 |
| 主要な発見・命名 | サンフアン川、アニマス川、古代遺跡 | ガニソン川のルート、サンフランシスコ湿地 |
| 結果と影響 | 地域の地理的把握と先住民との接触 | 後のオールド・スパニッシュ・トレイルの基礎 |
Frequently Asked Questions
リベラが探検を行った主な目的は何でしたか?
主に3つの目的がありました。一つはユート族が取引していた銀の鉱山を見つけること、二つ目はコロラド川の上流ルートを特定すること、そして三つ目はフランスなどの競合する欧州勢力がニューメキシコへ進出することを防ぐための軍事的な偵察でした。
リベラはどのような人物だったと考えられていますか?
貴族階級(ドン)ではなかったと考えられていますが、鉱業に関する専門的な知識を持っていました。そのため、総督から資源探索という実務的な任務を任されたと考えられます。
第2次遠征でリベラはどこまで到達しましたか?
かつてはユタ州モアブ付近のコロラド川まで到達したという説がありましたが、現在の研究では、コロラド川の主要な支流であるガニソン川を遡り、コロラド州モントローズ付近まで到達したという見方が一般的です。
リベラの探検が後の歴史に与えた影響は何ですか?
彼が切り拓いたルートは、その後の探検隊に利用されただけでなく、ニューメキシコとカリフォルニアを結ぶ重要な交易路である「オールド・スパニッシュ・トレイル」の先駆けとなりました。
遠征中の先住民との関係はどうでしたか?
ユート族とは交易関係にあり、案内役として協力してもらった側面があります。一方で、領土の詳細を教えたくないという警戒心を持つ者もおり、意図的に複雑なルートへ誘導されるなどの葛藤もありました。
References
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