月面に密かに設置された小さな彫刻「フォールン・アストロノート(墜落した宇宙飛行士)」。この作品は、単なる追悼の意を込めたアートピースにとどまらず、その後のレプリカ制作と販売を巡って、芸術的信念と宇宙開発の倫理が衝突する複雑な論争へと発展しました。
Key Facts
- 国立航空宇宙博物館への寄贈: 1972年4月17日、公開展示用のレプリカがスミソニアン協会に提供された。
- 商業利用の対立: 作者のヴァン・ホーイドンク氏によるレプリカ販売計画に対し、NASAの政策や合意精神に基づき反対意見が出た。
- 限定販売の試み: 1972年7月、雑誌への広告を通じて950点の署名入りレプリカが販売計画された。
- 現存数の謎: 2007年の書簡では50点の制作が認められていたが、後にeBayでの出品により実在が証明された。
公開から波紋へ:レプリカ制作の始まり
アポロ計画の乗組員たちがこの彫刻の存在を記者会見で明かした際、国立航空宇宙博物館から一般公開のための複製版(レプリカ)の制作依頼がありました。乗組員側は、過度な宣伝を避け、品位を保った形での展示であることを条件にこれに同意しました。
1972年4月16日、CBSのキャスターであるウォルター・クロンカイト氏がアポロ16号の打ち上げ放送の中で、この彫刻と銘板を「月面初の芸術作品」と表現した翌日、レプリカは正式にスミソニアン協会へと贈られました。
商業化を巡る対立と販売計画
しかし、平穏な公開は長くは続きませんでした。1972年5月、作者のヴァン・ホーイドンク氏がさらなるレプリカを制作し、販売する計画を立てていることが判明します。これに対し、宇宙計画の商業的利用を禁じるNASAの指針や、当初の合意精神に反するとして、スコット氏らが説得を試みました。
それでもホーイドンク氏は強行し、同年7月には専門誌『Art in America』に全ページ広告を掲載。ニューヨークのワデル・ギャラリーを通じて、作者署名入りの限定950点を1点あたり750ドルで販売し、さらに低価格の第2版や5ドルのカタログ版を提示しました。
NASAからの抗議を受け、最終的にホーイドンク氏は販売許可を撤回しましたが、その前に1点が取引されていました。限定版用の「200/950」と記された箱に入ったサンプル作品が、宇宙遺産や美術品を収集するモルガン・スタンレーの投資銀行家に渡ったのです。
失われた記録と再発見
その後、レプリカの正確な数は不透明なままでした。2007年9月11日、美術ジャーナリストのヤン・スタルマンス氏がホーイドンク氏に照会したところ、手書きの回答で「50コピーを制作したが、その多くは署名なしのまま本人が所有している」という旨の返答がありました。

この数年後の2015年、eBayに作品が出品されたことで新たな調査が始まりました。その結果、かつて販売された作品の存在が改めて裏付けられ、最終的にイギリスのコレクターによって買い取られることとなりました。
レプリカ販売計画の概要
| エディション | 予定数/形態 | 価格 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 限定版(署名入り) | 950点 | 750ドル | ワデル・ギャラリー経由 |
| 第2版 | 未定 | 低価格(詳細不明) | - |
| カタログ版 | 未定 | 5ドル | - |
Frequently Asked Questions
なぜレプリカの販売が問題視されたのですか?
NASAが宇宙計画の商業的な利用を禁止する方針を掲げていたためです。また、当初は「控えめな展示」という合意があったため、高額での販売計画は精神的な裏切りであると捉えられました。
スミソニアン協会に寄贈されたレプリカはいつ提供されましたか?
1972年4月17日に提供されました。これはウォルター・クロンカイト氏が放送で本作品に言及した翌日にあたります。
実際に販売されたレプリカはいくつありますか?
公式な販売計画は撤回されましたが、限定版の200番目のサンプルが1点、投資銀行家に販売されたことが確認されています。
作者は最終的に何点のレプリカを作ったと述べていますか?
2007年のヤン・スタルマンス氏への回答において、合計50点のコピーを制作したと述べています。
最近になってレプリカが再注目された理由は何ですか?
2015年にeBayに作品が出品されたことで、過去の販売記録や現存数についての調査が改めて行われたためです。