Jonny spielt auf, the title page of the 1926 vocal score (1st edition)
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エルンスト・クレネク20世紀音楽の変遷を体現した作曲家の生涯

🗓 2026年8月14日

20世紀の音楽シーンにおいて、単一のスタイルに固執せず、時代の奔流と共に自らの作風を劇的に変化させ続けた稀有な作曲家がいます。それがエルンスト・クレネク(Ernst Krenek)です。オーストリアに生まれ、後にアメリカ国籍を取得した彼は、ロマン派から無調、新古典主義、そして十二調音楽や電子音楽に至るまで、現代音楽のあらゆる主要な潮流を自身の作品に取り入れました。

Key Facts

  • 多才な作風:後期ロマン派から始まり、無調、ジャズ、十二調、トータル・セリエリズムまで幅広く探求した。
  • 世界的成功:ジャズ・オペラ『ジョニーは弾く』で一世を風靡し、ヨーロッパ全土で名声を博した。
  • 政治的弾圧:ナチス政権下で「退廃音楽」の象徴として攻撃され、1938年にアメリカへ亡命した。
  • 教育への貢献:ヴァッサー大学やハムライン大学などで教鞭を執り、多くの後進を育成した。
  • 学術的活動:作曲のみならず、音楽理論や歴史に関する著作を数多く残した。

音楽的スタイルの進化と変遷

クレネクの音楽的旅路は、絶え間ない自己刷新の歴史と言えます。初期は師であるフランツ・シュレッカーの影響を受けた後期ロマン派的な作風でしたが、1920年頃には無調音楽(特定の調性に縛られない音楽)へと転向しました。

その後、パリでのストラヴィンスキーらとの出会いにより、1924年頃からは簡潔な形式を重視する新古典主義を採用します。さらに、当時の流行であったジャズの要素を大胆に取り入れた新ロマン主義的な作品を執筆しました。その頂点が、1926年に完成したオペラ『ジョニーは弾く(Jonny spielt auf)』です。この作品は当時のヨーロッパで爆発的なヒットとなり、彼に絶大な名声をもたらしました。

Jonny spielt auf, the title page of the 1926 vocal score (1st edition)

しかし、商業的な成功は同僚作曲家からの批判を招き、クレネクは再び方向転換を図ります。1920年代後半からは、アーノルド・シェーンベルクが提唱した十二調技法(12の半音を均等に扱う作曲法)を全面的に採用し、オペラ『カール5世』などの厳格な作品を書き上げました。

晩年には、ケルンの電子音楽スタジオでの経験を経て、音高だけでなくリズムや強弱まで数値化して制御するトータル・セリエリズムや、偶然性の要素を取り入れたアレアトリー音楽にも挑戦しました。最終的には、これらの前衛的な技法を緩やかに統合した、より自由なスタイルへと到達しました。

波乱に満ちた生涯と亡命

クレネクの人生は、当時の激動の政治情勢と密接に結びついていました。特に『ジョニーは弾く』に登場する黒人ジャズミュージシャンの設定は、台頭していたナチス党の反感を買い、1938年の「退廃音楽展」では彼の作品が攻撃の標的となりました。ユダヤ人ではないにもかかわらず、彼は体制側からユダヤ人作曲家であるという誤ったレッテルを貼られ、激しい圧力を受けました。

この弾圧を逃れるため、1938年にアメリカ合衆国へ移住します。その後、さまざまな大学で教授職を務め、1945年にはアメリカ市民権を取得しました。カナダのロイヤル音楽院での指導期間を経て、最終的にカリフォルニア州パームスプリングスに定住し、1991年に91歳で没しました。

他作曲家の未完作品へのアプローチ

クレネクは、偉大な作曲家が遺した未完の断片を補完するという繊細な作業にも取り組みました。シューベルトのピアノソナタ「遺作」の補筆などがその例です。彼はこの作業について、独自の哲学を持っていました。

彼によれば、補筆が許されるのは「元の断片に作品の主要なアイデアがすべて含まれている場合」のみであり、単なる模倣や想像で埋めることは「偽作」に過ぎないと主張しました。天才の予測不能な創造性を尊重し、あくまでも提示された素材に基づいた職人的な精緻さを追求すべきであるという考え方です。

クレネクの足跡まとめ

エルンスト・クレネクの経歴と音楽的特徴
項目 詳細
生没年 1900年8月23日(ウィーン) 〜 1991年12月22日(パームスプリングス)
主な作風 後期ロマン派 → 無調 → 新古典主義 → 十二調 → トータル・セリエリズム
代表作 オペラ『ジョニーは弾く』、『カール5世』、弦楽四重奏曲第6番など
主要な受賞 ドイツ連邦功労勲章、ウィーン市音楽賞、オーストリア国家音楽賞など
教育活動 ヴァッサー大学、ハムライン大学、ロイヤル音楽院などで教授

Frequently Asked Questions

『ジョニーは弾く』がなぜそれほど有名だったのですか?

当時のクラシック音楽の枠組みに、モダンなジャズの要素と黒人ミュージシャンというキャラクターを大胆に融合させたため、当時の聴衆に新鮮な衝撃を与え、ヨーロッパ全土で社会現象的な人気を博したからです。

ナチスからなぜ攻撃を受けたのでしょうか?

ジャズという「異質な」音楽を取り入れたことや、黒人キャラクターを主役に据えたことが、ナチスの掲げる人種的・芸術的価値観に反すると見なされたためです。また、誤ってユダヤ人であるという噂を流され、政治的な標的にされました。

十二調技法とは具体的にどのようなものですか?

オクターブ内の12個の異なる音を、重複させることなく一度ずつ使用して「音列」を作り、それを基に曲を構成する作曲技法です。これにより、特定の調性に依存しない均等な音楽構造を実現します。

未完の作品を補完することについて、彼はどう考えていましたか?

非常に慎重な立場を取っていました。元の断片に十分な素材がある場合に限り、作曲家のスタイルを深く研究した上で、職人として論理的に補完すべきだと考えていました。根拠のない想像で書き足すことは、芸術的な不誠実であるとして否定していました。

アメリカ移住後の活動はどうでしたか?

主に大学での教育活動に従事し、次世代の作曲家や音楽家に大きな影響を与えました。同時に、自身の音楽スタイルをさらに前衛的な方向へと進化させ、電子音楽やセリエリズムの研究を深めました。

References

  1. He changed the spelling of his name to Krenek after he moved to the US