W.E.B. デュボイス・クラブ・オブ・アメリカの歴史と活動

1960年代のアメリカにおいて、学生運動や社会変革の波が押し寄せる中、W.E.B. デュボイス・クラブ・オブ・アメリカという青年組織が重要な役割を果たしました。この組織は、著名な社会活動家でありNAACP(全米黒人地位向上協会)の共同創設者でもあるW.E.B. デュボイスの名を冠し、若者たちを社会主義的な視点へと導くことを目的としていました。

単なる学生団体ではなく、背後にはアメリカ共産党(CPUSA)の戦略的な意図がありました。共産党の直接的な青年部門とするのではなく、あえて独立した形式をとることで、党に属していない学生や若手労働者を惹きつけ、緩やかにその影響圏に取り込もうとしたのです。

Key Facts

  • 設立目的:非共産主義者の若者を惹きつけ、最終的にアメリカ共産党(CPUSA)へ誘導するためのフロント組織として設計された。
  • 活動拠点:カリフォルニア大学バークレー校やコロンビア大学など、主要な大学キャンパスで強い影響力を持った。
  • 主な活動:人権問題、ベトナム戦争反対、徴兵制への抗議、自由言論運動などに積極的に参加した。
  • 政府の弾圧:連邦政府から「共産主義のフロント組織」として登録を強制され、法廷闘争に発展した。
  • 解散と後継:1970年に解散し、その後「若手労働者解放同盟(Young Workers Liberation League)」へと引き継がれた。

組織の誕生と展開

前身となる動き

この組織のルーツは、1959年に設立された進歩的青年組織委員会(PYOC)や、ニューヨークを拠点とした青年団体「Advance」にあります。1961年にはサンフランシスコで小規模な「W.E.B. デュボイス・クラブ」が結成され、それが刺激となってバークレーやサンフランシスコ州立大学、さらにはロサンゼルスのUCLAへと活動が広がりました。

1963年秋には、当時のCPUSA全国書記ガス・ホールが、非共産主義者を惹きつけるためのマルクス主義的な青年組織の創設を明言しました。準備段階として、カール・ブロイスが編集するニュースレター『The Convener』が発行され、組織化への機運が高まりました。

全国組織への発展

1964年3月、サンフランシスコで「社会主義青年会議」が開催され、ここで全国的な青年組織の設立が強く促されました。同年6月、サンフランシスコで結成大会が開かれ、約200名の代表者が集結しました。ベティナ・アプテカーやカール・ブロイスなどの主要な活動家が参加し、人権、黒人問題、農場労働者、ベトナム問題など多岐にわたる分科会が設置されました。

しかし、大会では内部対立も激化しました。他の社会主義団体(トロツキストの青年社会主義同盟や新スターリニストの進歩的労働党など)のメンバーを排除しようとする規約案に反発が起き、代表者の約3分の1が会場を去るという騒動となりました。最終的に、フィル・デイビスが会長に選出され、組織の運営が本格的にスタートしました。

Cover of Bettina Aptheker's May 1968 pamphlet, Columbia Inc., published in New York by the W.E.B. Du Bois Clubs of America.

全盛期の活動と政府による圧力

1966年に本部をサンフランシスコからシカゴへ移したクラブは、さらに活動を拡大させました。ワシントンD.C.では「仕事、平和、自由のために」というスローガンのもと、ホワイトハウス前で貧困とベトナム戦争に抗議する大規模なデモを敢行しました。

こうした急進的な活動は、アメリカ政府の警戒を招きました。1966年、司法長官ニコラス・カッツェンバックは、同クラブを「共産主義のフロント組織」として連邦当局への登録を命じるよう申請しました。クラブ側はこれに対し、憲法違反であるとして1967年と1968年に法廷で争いましたが、結果的に敗訴することとなりました。

衰退と組織の終焉

1960年代後半になると、SDS(民主社会学生連盟)に代表される「ニューレフト(新左翼)」の台頭により、伝統的な共産党主導の組織であるデュボイス・クラブの存在感は薄れていきました。会員数は100名以下にまで激減し、組織としての機能はほぼ失われました。

また、FBIの秘密工作(COINTELPRO)が組織の解散を後押ししたという記録も残っています。1969年には党の直接的な付属組織への再編が試みられましたが、最終的に1970年2月、CPUSAはデュボイス・クラブを完全に解散させ、「若手労働者解放同盟(または若手共産主義解放同盟)」という新たな組織へ移行させる決定を下しました。

組織概要まとめ

W.E.B. デュボイス・クラブ・オブ・アメリカの概要
項目 詳細
活動期間 1964年6月 〜 1970年2月
後援団体 アメリカ共産党 (CPUSA)
主な拠点 サンフランシスコ、シカゴ、バークレー、コロンビア大学など
主要な争点 人権、反戦、徴兵反対、労働問題
後継組織 若手労働者解放同盟 (Young Workers Liberation League)

Frequently Asked Questions

W.E.B. デュボイス・クラブはアメリカ共産党の青年部だったのですか?

厳密には異なります。共産党の直接的な青年部門ではなく、党が後援・管理する「独立した外部組織」として設計されました。これは、党に属していない学生や若者を惹きつけやすくし、段階的に党へ誘導することを目的としていたためです。

なぜ組織の名前をW.E.B. デュボイスにしたのでしょうか?

W.E.B. デュボイスは、NAACPの共同創設者であり、人種差別撤廃と社会正義のために戦った世界的に著名な社会主義的活動家であったため、その権威と象徴性を借りることで、若者の支持を集めようとしたと考えられます。

政府はなぜこの組織を弾圧したのですか?

同クラブが共産党の指導下にある「フロント組織」であると見なされたためです。冷戦時代のアメリカでは、共産主義の影響力を排除する動きが強く、連邦政府は彼らに共産主義団体としての登録を強制し、活動を監視・制限しようとしました。

組織が衰退した主な理由は何ですか?

主に2つの要因が挙げられます。一つは、SDSなどの「ニューレフト」というより自由で多様な急進的青年組織が登場し、若者の関心がそちらへ移ったこと。もう一つは、FBIのCOINTELPROによる組織内部への妨害工作があったことです。

解散後にどのような組織に変わったのですか?

1970年に完全に解散した後、「若手労働者解放同盟(Young Workers Liberation League)」または「若手共産主義解放同盟(Young Communist Liberation League)」という名称の新しい組織に引き継がれました。