スペイン・カタルーニャ地方の学術的中心地であるバルセロナ大学は、数世紀にわたる政治的激動と教育改革を経て、現在の姿へと進化してきました。その歩みは、単なる教育機関の成長にとどまらず、バルセロナという都市の発展や政治的権力争いと密接に結びついています。

主要な事実(Key Facts)

  • 正式な創設: 1450年11月3日、アルフォンソ5世(寛大王)の特権付与により成立。
  • 前身: 1401年にマルティ1世によって設立された医学および自由七科の学校(エストゥディ・ヘネラル)。
  • 強制移転: スペイン継承戦争後の1714年、政治的処罰としてセルベラへ移転。
  • 復帰: 1837年、自由主義革命の流れの中でバルセロナへ帰還。
  • 近代化: 19世紀後半にエリエス・ロヘントによる新校舎を建設し、20世紀にはペドラルベスなどの大規模キャンパスを展開。

大学の起源と初期の葛藤

バルセロナにおける高等教育の萌芽は14世紀末に遡ります。市役所や大聖堂、サンタ・カテリーナのドミニコ会修道院などが文化的な拠点となり、1398年にはマルティ1世が教皇の許可を得て大学設立に動き出しました。

1401年、マルティ1世は自身の特権を用いて、モンペリエ大学と同等の権限を持つエストゥディ・ヘネラル(当時の大学の呼称)の医学部を設立しました。その後、医学を学ぶための基礎となる「自由七科」の教師を任命し、「医学および芸術のエストゥディ」へと発展させました。しかし、当時の市議会(コンセリ・デ・セント)は、自らの管轄権を侵害するものとしてこの機関を認めませんでした。

状況が変わったのは1450年です。アルフォンソ5世が市議会の請願を受け入れ、特権を付与したことで、市議会の管理下にある「真の大学」として認められることとなりました。

The 1536 building for the Estudi General of Barcelona at the top of La Rambla.

発展と制度の整備

内戦などの社会不安により、本格的な発展はフェルナンド2世の時代まで待つことになります。1536年にはカルロス1世の下で、ランブラ通り上端に大学の基礎が築かれました。その後、教授の任命に競争試験制度を導入するなど、1539年、1559年、1596年と段階的に学則(オーディナンス)が整備され、学問的な質が向上していきました。

政治的弾圧とセルベラへの追放

18世紀に入ると、大学は大きな転換期を迎えます。1714年、ブルボン王朝への抵抗に対する処罰として、哲学・法学・教会法学の学部がバルセロナからセルベラへと強制的に移転させられました。バルセロナに残されたのは医学部とイエズス会が運営する人文科学学校のみでした。

The university building in Cervera.

この移転により、バルセロナ大学は1714年から1837年まで、事実上閉鎖された状態となりました。セルベラ大学は、フィリペ5世によって閉鎖されたカタルーニャの6つの大学の後継として機能することになります。

バルセロナへの帰還と近代的な拡張

1837年、イサベル2世の時代の自由主義革命に伴い、大学は再びバルセロナへと戻されました。これにより、カタルーニャ4州およびバレアレス諸島の文化的拠点としての地位を確立します。

帰還直後は、廃止されたカルメ修道院などに法学や神学の学部が暫定的に配置され、医学部はサンタ・クレウ病院隣接の王立医学アカデミーに置かれました。

Façade of the Convent of Carme where the university was housed until the construction of Rogent's new building.

新校舎の建設と都市への影響

施設不足を解消するため、1863年からエリエス・ロヘントの設計による新校舎の建設が始まりました。この建物は当時の市壁の外側に建てられた最初期の建築物の一つであり、都市計画に大きな影響を与えました。1882年に完成したこの校舎には、芸術のパティオ(中庭)に時計塔や鐘が設置され、著名な芸術家による彫刻や絵画が飾られました。

Façade of the main historic building in 2015

医学教育の専門化

医学教育はその後、さらに専門的な環境へと移行します。1900年にはエシャンプレ地区のクリニク病院に設置され、現在はベルビトゲ・キャンパスやサン・ジョアン・デ・デウ病院でも教育が行われています。

Buildings of the School of Medicine built at the turn of the 20th century.

20世紀から現代へ:キャンパスの多様化

学生数の爆発的な増加に対応するため、大学は大規模な施設拡充を余儀なくされました。1952年からはペドラルベス地区に大学街の建設が始まり、1956年の薬学部を皮切りに、法学部(1958年)、経済学部(1957-68年)、ビジネススクール(1961年)などが次々と整備されました。

さらに1990年代にはムンデット・キャンパスが加わり、2006年には歴史・地理学部と哲学学部が、歴史的中心地であるシウタ・ベリ地区のエル・ラバル近辺へと移転しました。

かつてはカタルーニャ唯一の大学でしたが、1968年のバルセロナ自治大学の設立や、1971年のカタルーニャ工科大学の分離を経て、現在の多様な高等教育体制へと至っています。

バルセロナ大学の歴史的変遷まとめ
時代・年 出来事 主な影響・特徴
1401年 医学エストゥディ設立 マルティ1世による医学・自由七科の教育開始
1450年 正式な大学創設 アルフォンソ5世の特権により市議会の管理下で成立
1714年 セルベラへ移転 ブルボン王朝による政治的処罰として強制移転
1837年 バルセロナへ復帰 自由主義革命により、地域の文化的拠点として再始動
1863年〜 ロヘント校舎建設 市壁外への進出と近代的な教育施設の整備
1952年〜 ペドラルベス展開 学生数増加に伴う大規模キャンパスの構築

Frequently Asked Questions

バルセロナ大学はいつ正式に設立されましたか?

1450年11月3日、アルフォンソ5世(寛大王)が特権を付与したことで正式に設立されました。ただし、それ以前の1401年にはすでに医学を中心とした教育機関(エストゥディ・ヘネラル)が存在していました。

なぜ大学は一度セルベラに移転させられたのですか?

スペイン継承戦争後、ブルボン王朝の統治に反対したことへの処罰として、1714年に哲学、法学、教会法学の学部が強制的にセルベラへ移されました。

エリエス・ロヘントの新校舎にはどのような特徴がありますか?

1863年に建設が始まり、当時のバルセロナの市壁の外側に建てられた最初期の建築物の一つである点や、芸術のパティオに時計塔を備え、多くの芸術作品が配されている点が特徴です。

現在のキャンパス構成はどうなっていますか?

歴史的な中心地にある歴史的校舎のほか、1950年代から整備されたペドラルベス・キャンパス、1990年代に加わったムンデット・キャンパス、そして医学教育を担うベルビトゲ・キャンパスなどで構成されています。

バルセロナ大学から分離した大学はありますか?

はい。1971年に、技術系の学部や学校が集まって「カタルーニャ工科大学(UPC)」として独立しました。