1876年から1877年にかけて展開されたグレート・スー戦争(ラコタ族とアメリカ合衆国政府との激しい紛争)の中で、ミネコンジュ族の指導者であるタッチ・ザ・クラウドは、部族の生存と平和を追求し続けた人物として知られています。彼は戦火の中にあっても、対立ではなく対話を重視し、困難な状況下で部族を導きました。
主要な事実(Key Facts)
- 平和への尽力:リトルビッグホーンの戦い後、無実の部族が処罰されることを防ごうと軍に訴えた。
- 戦略的撤退:軍の不信感が高まった際、部族を率いてシャイアン川エージェンシーから脱出し、北へ逃れた。
- 降伏の決断:1877年4月、スポット・テイルとの会談を経て、自ら武器を捨てて軍に投降した。
- 軍への協力:投降後、インディアン・スカウト(先住民偵察兵)の第一軍曹として勤務した。
- 忠誠と友情:親友であるクレイジー・ホースの最期に寄り添い、その死を見届けた。
激動の時代とエージェンシーからの脱出
1876年夏、タッチ・ザ・クラウドはシャイアン川エージェンシー(政府が指定した先住民居住区)に滞在していました。しかし、カスター将軍がリトルビッグホーンの戦いで敗北したという報せが届くと、状況は一変します。アメリカ陸軍は、エージェンシーにいるラコタ族も敵対勢力を支援していると疑い、武装解除や馬の没収を計画しました。
タッチ・ザ・クラウドは、一部の戦士が戦ったことで部族全体が罰せられることへの不当性を訴え、軍に慈悲を請いました。しかし、軍の不信感は拭えず、彼は部族の安全を確保するため、1876年9月下旬にミネコンジュ族とサンアーク族を率いてエージェンシーを脱出。持ち物を捨てて北へと逃れる道を選びました。
和平への転換と降伏への道
北部の村々に合流したタッチ・ザ・クラウドやロマン・ノーズ、スポッテッド・エルクといった指導者たちは、過激な対立を避ける穏健派としての役割を果たしました。その後、クレイジー・ホースやシッティング・ブルが離脱すると、ミネコンジュ族の代表者はネルソン・マイルズ大佐と降伏の可能性について協議を始めます。
1877年2月、リトルミズーリ川のショートパインヒルズ付近に陣を張っていた彼は、ブリュレ族の著名な指導者スポット・テイルと5日間にわたる評議会を開きました。この会談を経て、彼は部族を率いてネブラスカ州北西部のスポット・テイル・エージェンシーへ向かうことを決意します。4月14日、彼は先頭に立って現れ、「ジェネラル・クルックへの服従の証として、この銃を置く」と宣言し、正式に降伏しました。
軍での活動とクレイジー・ホースとの別れ
降伏後のタッチ・ザ・クラウドは、スポット・テイル・エージェンシーで平穏に暮らしていました。通訳のルイ・ボルドーは、彼を「名誉ある平和的な人物であり、紛争を嫌う調停者である」と高く評価しています。その後、彼は軍の勧誘を受け、インディアン・スカウトのE中隊で第一軍曹として勤務することになりました。
しかし、1877年8月、チーフ・ジョセフ率いるネズ・パース族との戦いにスカウトとして派遣されるよう求められたことで、軍との関係が悪化します。その後、親友のクレイジー・ホースが軍に拘束されようとした際、タッチ・ザ・クラウドは彼に同行しましたが、クレイジー・ホースは拘束される過程で兵士の銃剣に刺され、命を落としました。タッチ・ザ・クラウドは彼が息を引き取るまで側に寄り添い、「彼は死を待ち望んでいた。そして、その時が来た」と静かに語りました。
その後、彼は代表団の一員としてワシントンD.C.を訪問しました。

部族の結束と故郷への回帰
1877年10月、レッドクラウドおよびスポット・テイルの両エージェンシーがミズーリ川沿いへ移転することになりました。この混乱の中、多くの北部の部族が再び離脱し、カナダへ逃れたシッティング・ブルに合流しようとしました。しかし、タッチ・ザ・クラウドは強い指導力で部族の大部分を繋ぎ止め、離脱を防ぐことに成功しました。
彼は、自分たちの部族を元のシャイアン川エージェンシーへ戻してほしいと要望しました。レッドクラウド・エージェンシーのジェームズ・アーウィン博士は、彼が非常に従順で秩序正しく、他の人々が去る中でも部族と共に留まったことを認め、この移管を支持しました。
まとめ:タッチ・ザ・クラウドの歩み
| 時期 | 出来事 | 主な行動・役割 |
|---|---|---|
| 1876年夏〜秋 | シャイアン川エージェンシー脱出 | 軍の不当な処罰を避け、部族を率いて北へ逃避 |
| 1877年4月 | スポット・テイル・エージェンシーへ降伏 | 自ら武器を捨て、平和的な服従を宣言 |
| 1877年中盤 | インディアン・スカウトとして勤務 | E中隊の第一軍曹として軍に協力 |
| 1877年8月 | クレイジー・ホースの死 | 親友の最期に付き添い、精神的な支えとなる |
| 1877年10月 | 部族の維持と移管要望 | 部族の離散を防ぎ、故郷への帰還を求める |
よくある質問(Frequently Asked Questions)
タッチ・ザ・クラウドはなぜエージェンシーを脱出したのですか?
リトルビッグホーンの戦いの後、アメリカ陸軍が「友好派」のラコタ族までもが敵対勢力を支援していると疑い、武装解除や馬の没収を計画したため、部族の安全を守るために脱出を決意しました。
彼が降伏を決めた理由は何ですか?
ブリュレ族の指導者スポット・テイルとの5日間にわたる評議会を通じて、さらなる戦いを避けて部族の生存を確保することが最善であると判断したためです。
インディアン・スカウトとはどのような役割でしたか?
アメリカ陸軍に雇用され、地形の案内や偵察を行う先住民の兵士のことです。タッチ・ザ・クラウドはここで第一軍曹という責任ある地位に就いていました。
クレイジー・ホースとの関係はどうだったのでしょうか?
非常に深い信頼関係にあり、親友同士でした。クレイジー・ホースが軍に拘束され致命傷を負った際も、タッチ・ザ・クラウドは彼が亡くなるまで側に寄り添い続けました。
彼は最終的にどのように部族を導いたのですか?
多くの部族が再び反乱を起こしてカナダへ逃れる中、彼は部族をまとめ上げ、秩序を維持しました。そして、政府に働きかけて元のシャイアン川エージェンシーへの帰還を実現させようと努めました。