Mowry Mines, Arizona by John R. Browne.
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シルベスター・モウリーアリゾナ準州の創設に奔走した「砂漠の王子」の波乱万丈な生涯

🗓 2026年8月15日

19世紀のアメリカ西部開拓時代、一人の男がアリゾナという土地の可能性を誰よりも早く信じ、その政治的独立を熱烈に訴えました。シルベスター・モウリー(Sylvester Mowry)は、軍人、政治家、鉱山経営者、そして作家という多彩な顔を持つ人物であり、「砂漠の王子」という異名で知られています。しかし、その華々しい経歴の裏には、反逆罪での逮捕や激しい論争など、波乱に満ちた人生がありました。

主要な事実(Key Facts)

  • アリゾナ準州の提唱者: ニューメキシコからアリゾナを分離させ、独立した準州とすることを強く主張した。
  • 軍歴: ウェストポイント(西点軍事学校)卒業後、米陸軍第3砲兵連隊の中尉として勤務。
  • 著書: アリゾナとソノラの地理・資源に関する先駆的な著作を出版した。
  • 政治的転向: 北部出身ながら南北戦争期に南部連合を支持し、反逆罪で拘束された経験を持つ。
  • 経済活動: アリゾナ南部で銀と鉛の鉱山(モウリー鉱山)を所有・運営した。

エリート軍人としての出発と波乱の西部派遣

1833年にロードアイランド州で生まれたモウリーは、幼少期から奔放な性格であったと伝えられています。16歳でウェストポイントに入学し、1852年に優秀な成績で卒業すると、米陸軍の将校として西海岸へ配属されました。彼はコロンビア川付近での鉄道調査に従事するなど、地理的な知見を深めていきました。

しかし、彼の軍生活は平坦ではありませんでした。ユタ州に派遣されていた際、当時の有力者ブリガム・ヤングの親族との不適切な関係が発覚し、激怒したヤングから命を狙われる事態に発展します。この危機を逃れるため、モウリーは急遽、過酷な砂漠と山岳地帯を越えてカリフォルニアのフォート・テジョンまで750マイルを行軍するという困難な任務に就かされました。

アリゾナ準州の創設に向けた情熱

1855年にコロラド川沿いのフォート・ユマに駐在したモウリーは、ガズデン購入(メキシコから買収した土地)によって得られた地域の鉱物資源に強い関心を抱きました。当時、アリゾナはニューメキシコの一部でしたが、彼はこの地域を独立した準州にすべきだと考え、政治的な活動を開始します。

1856年には、アリゾナを分離させるための請願を議会に届ける代表として選出されました。議会による正式な承認は得られなかったものの、彼はパンフレットの出版や演説を通じて、アリゾナの潜在的な価値を全米に広めました。特に1857年に発行した『アリゾナ準州案に関する回想録(Memoir on the Proposed Territory of Arizona)』は、アリゾナのみを専門に扱った史上初の出版物となりました。

その後、彼は軍を退いてまでこの活動に専念し、1859年には地域の地理と歴史を詳述した『アリゾナとソノラ(Arizona and Sonora)』を出版しました。また、自身の主張を否定した新聞編集者と決闘にまで発展しましたが、幸いにも血は流れず、最終的にその新聞社を買収して自身の政治的発信拠点とするなど、強引ながらも大胆な手法で影響力を拡大させました。

鉱山開発と南北戦争の渦中

政治活動と並行して、モウリーは投資家の支援を受け、アリゾナ南部のサンタ・リタ山脈付近に銀と鉛の鉱山を確保しました。これを「モウリー鉱山」と名付け、製錬所の建設に着手します。

Mowry Mines, Arizona by John R. Browne.

しかし、1861年に勃発した南北戦争が彼の運命を大きく変えます。ロードアイランド州という北部の出身でありながら、モウリーは奴隷制を肯定し、南部連合への離脱を支持しました。彼は地域で南部連合の思想を広める活動を行い、さらには南部軍に軍事情報や弾薬を提供していた疑いをかけられました。

1862年、北軍のジェームズ・H・カールトン将軍がトゥーソンを制圧すると、モウリーは反逆罪で逮捕され、フォート・ユマに拘束されました。その後、南部軍の撤退に伴い釈放されましたが、彼の鉱山経営は混乱し、投資家への矛盾した説明や政府への不満を募らせるなど、精神的・経済的に追い詰められていきました。最終的に1864年、彼は鉱山をサンフランシスコの投資家グループに売却しました。

晩年と複雑な遺産

アリゾナを離れた後、モウリーはニューヨークで鉱山投資などの投機的なビジネスに没頭し、一時的に贅沢な生活を送りませんでした。しかし、政治的な野心は捨てきれず、1870年に再びアリゾナの代表選に意欲を示しましたが、支持を得られず失敗に終わります。

1871年、体調を崩した彼は専門医の診察を受けるためロンドンへ渡りましたが、そのまま病状が悪化し、10月17日にブライト病(腎炎)で38歳の若さでこの世を去りました。

モウリーに対する評価は極めて分かれています。アリゾナの可能性を世に知らしめた先駆者として称賛される一方で、当時の地元紙からは「虚言癖のある誇大妄想家」と酷評されました。しかし、彼が切り拓いた鉱山跡地には後に集落が形成され、現在はゴーストタウンとなってはいるものの、今なお「モウリー」の名を冠してその歴史を伝えています。

まとめ:シルベスター・モウリーの経歴

シルベスター・モウリーの人物概要
項目 詳細
生没年 1833年1月17日 - 1871年10月17日
主な肩書き 米陸軍中尉、政治家、鉱山経営者、作家
最大の功績 アリゾナ準州創設の強力な推進と地域資源の記録
論争点 南北戦争中の南部連合支持と反逆罪での逮捕
代表作 『アリゾナとソノラ(Arizona and Sonora)』

よくある質問(FAQ)

シルベスター・モウリーはなぜ「反逆罪」で逮捕されたのですか?

南北戦争中、北軍の将校でありながら南部連合を支持し、南部軍の指導者であるジェファーソン・デイヴィスらへ軍事情報を送ったほか、反乱軍に弾薬を販売した疑いがあったためです。

彼がアリゾナ準州の創設にこだわった理由は何ですか?

彼はガズデン購入で得られた土地に豊かな鉱物資源があることを見抜き、ニューメキシコから分離して独立した行政区(準州)となることで、開発と経済発展が加速すると信じていたためです。

モウリー鉱山は現在どうなっていますか?

鉱山を中心に村が形成されましたが、1930年代に放棄されました。現在はゴーストタウンとなっており、彼の名前が地名として残っています。

彼はどのような人物として記憶されていますか?

アリゾナの潜在能力を世界に広めた先見の明を持つ人物として評価される一方で、その傲慢な性格や政治的な裏切りから、物議を醸した人物として記憶されています。

References

  1. Sacks (1964)
  2. Sherman, pg. 103
  3. Mowry, pg. 292
  4. Bailey (1965)
  5. Altshuler (1973a)
  6. Duffen (1973)
  7. New York Times (1859)
  8. Altshuler (1973b)
  9. Fireman (1960)
  10. Mowry (1878)