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1940年11月の船舶喪失記録第二次世界大戦の海戦と海難

🗓 2026年8月9日

第二次世界大戦が激化していた1940年11月、世界中の海域で数多くの船舶が失われました。この時期の海上の状況は極めて過酷であり、ドイツ海軍のUボート(潜水艦)による攻撃や、海雷による事故、そして激しい砲撃戦が日常的に発生していました。特に大西洋における輸送船団の護衛と攻撃の攻防は、戦争の行方を左右する重要な局面となっていました。

主要な事実(Key Facts)

  • Uボートの脅威: U-65、U-100、U-123などのドイツ潜水艦が、大西洋で多くの連合国船を撃沈した。
  • 主力艦の喪失: イタリア海軍のリットリオ(Littorio)やドゥイリオ(Duilio)などの大型艦が11月11日に喪失している。
  • 輸送船団への攻撃: HX 84やSC 11、OB 244といった船団が標的となり、多数の貨物船が犠牲となった。
  • 多様な喪失原因: 魚雷攻撃だけでなく、海雷の接触、航空機による爆撃、巡洋艦による砲撃など、喪失理由は多岐にわたる。

大西洋における激しい攻防

11月の記録で最も顕著なのは、大西洋における貨物船の喪失です。特にドイツの重巡洋艦アドミラル・シェーア(Admiral Scheer)による攻撃が猛威を振るいました。11月5日には、船団HX 84に属していたビーバーフォード(Beaverford)が砲撃と魚雷によって沈められ、乗組員77名全員が犠牲となる悲劇が起きています。また、同じ船団のマイダン(Maidan)やトレウェラード(Trewellard)も同艦の攻撃により喪失しました。

潜水艦による攻撃も絶え間なく行われました。U-65はシエラレオネ沖でタンカーのハヴボール(Havbør)や貨物船のコヒヌール(Kohinur)を撃沈し、多くの死傷者を出しました。また、U-100やU-123といったUボートは、アイルランド北西沖の船団SC 11やOB 244を執拗に攻撃し、ブラッドファイン(Bradfyne)やタイメリック(Tymeric)などの船舶を次々と海に沈めました。

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世界各地での海難と軍事衝突

戦火は北大西洋にとどまらず、北海やインド洋にも広がっていました。北海では、イギリス海軍のストージョン(HMS Sturgeon)がノルウェーの貨物船デルフィヌス(Delfinus)を魚雷で撃沈させる事例や、海雷によってバルトレーダー(Baltrader)が喪失する事故が発生しています。また、11月19日にはルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)の爆撃により、イギリスの海軍トロール船フォンテノイ(HMT Fontenoy)が低エストフ沖で沈没しました。

インド洋においても、ドイツの補助巡洋艦ピンギン(Pinguin)が活動し、11月18日のナウシェラ(Nowshera)や20日のマイモア(Maimoa)を砲撃で撃沈しました。これらの船の乗組員は捕虜として連行されました。

The wreck of HMS Port Napier on 18 May 2010.

1940年11月の船舶喪失まとめ

この一ヶ月間に失われた船舶は、軍艦から民間貨物船、タンカー、漁船まで多岐にわたります。以下に主要な喪失事例をまとめます。

1940年11月の主要船舶喪失事例
日付 船舶名 国籍 主な原因
11月3日 カサナーレ (Casanare) イギリス U-99による魚雷攻撃
11月5日 ビーバーフォード (Beaverford) イギリス アドミラル・シェーアによる砲撃・魚雷
11月11日 リットリオ (Littorio) イタリア 軍事作戦による喪失
11月15日 ハヴボール (Havbør) ノルウェー U-65による魚雷攻撃
11月23日 タイメリック (Tymeric) イギリス U-123による魚雷攻撃
11月30日 アラカタカ (Aracataca) イギリス U-101による魚雷攻撃

Frequently Asked Questions

1940年11月に最も多くの船を沈めた原因は何でしたか?

ドイツ海軍のUボート(潜水艦)による魚雷攻撃が最大の原因であり、特に大西洋の輸送船団が集中して狙われました。次いで、巡洋艦による砲撃や海雷による事故が多く見られました。

どのような種類の船が犠牲になりましたか?

イギリスやノルウェー、オランダなどの貨物船やタンカーが多く犠牲となりましたが、同時にイギリス海軍のトロール船やイタリア海軍の主力艦など、軍用艦艇も多く喪失しています。

船団(Convoy)とは何ですか?

船団とは、敵の攻撃から守るために護衛艦を伴って複数の商船がグループで航行する形態のことです。記録にあるHX 84やSC 11などがこれに当たります。

生存者の救助はどのように行われましたか?

多くのケースで、近隣を航行していた他の商船や、護衛に就いていた海軍艦艇(HMS BeagleやHMS Sandwichなど)によって救助が行われました。一方で、攻撃側によって捕虜として連行されるケースもありました。

この時期にイタリア海軍の船が喪失しているのはなぜですか?

第二次世界大戦における地中海および大西洋での作戦行動の結果、11月11日などにリットリオやドゥイリオといったイタリア海軍の艦艇が喪失したことが記録されています。

References

  1. Rohwer, Jürgen; Hümmelchen, Gerhard. "Seekrieg 1940, November". Württembergische Landesbibliothek Stuttgart (in German). Retrieved 17 March 2015.
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📸 フォトギャラリー

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The wreck of HMS Port Napier on 18 May 2010.