映画史の黎明期、その端正な容姿と繊細な演技で全米の女性たちを虜にした俳優がいました。リチャード・バーセルメスは、サイレント映画の黄金時代を象徴するスターの一人であり、単なる演者にとどまらず、映画産業の基盤となる組織の設立にも寄与した人物です。
主要な実績と事実
- サイレント時代のトップスター:D・W・グリフィス監督作品でリリアン・ギッシュと共演し、名声を確立。
- アカデミー賞への貢献:1927年に映画芸術科学アカデミー(AMPAS)の創設メンバーの一人となる。
- 演技への高い評価:『パテント・レザー・キッド』と『絞首刑台』の2作品で、第1回アカデミー主演男優賞にノミネート。
- 多彩なキャリア:俳優引退後はアメリカ海軍予備役に入隊し、少佐としてパールハーバーで勤務。
演劇の血脈と若き日の歩み
1895年にニューヨークで生まれたバーセルメスは、舞台女優の母キャロラインの影響で、幼少期から劇場という環境に親しんでいました。一方で、教育面ではハドソンリバー軍事アカデミーやトリニティ大学で学び、規律ある学生生活を送るという対照的な upbringing(育成)を経験しています。
大学時代にもアマチュア演劇に没頭し、プロとしての道へ進む準備を整えていました。1919年までに劇団での経験を5年積み重ねていたことが、後のスクリーンでの安定した演技力の基礎となりました。
スクリーンでの飛躍と「全米のアイドル」へ
彼のプロとしての転機は、家族の友人であったロシア人女優アラ・ナジモヴァとの出会いでした。彼女の勧めにより1916年に映画界へ足を踏み入れた彼は、当初はエキストラや脇役として経験を積みます。しかし、ナジモヴァとの共演作『War Brides』での演技が、名匠D・W・グリフィスの目に留まりました。
グリフィス監督に抜擢された彼は、『Broken Blossoms』(1919年)や『Way Down East』(1920年)でリリアン・ギッシュの相手役を務め、一躍スターダムにのし上がります。

その後、自ら制作会社「インスピレーション・フィルム・カンパニー」を設立。1921年の『Tol'able David』での少年郵便配達員役は大ヒットとなり、当時の映画雑誌『Photoplay』が彼を「アメリカのあらゆる少女たちのアイドル」と称賛するほどの絶大な人気を博しました。

彼の魅力は、深い眼差しと黒髪というビジュアルに加え、内面的な繊細さを表現できる演技力にありました。多くのファンが彼に心酔し、当時のファンレターには他のスターを凌駕する彼への熱烈な支持が綴られていました。

トーキーへの移行とキャリアの変遷
1920年代後半、彼は業界の最高給俳優の一人となり、1929年の第1回アカデミー賞では2つの作品で主演男優賞にノミネートされるという快挙を成し遂げました。また、プロデューサーとしても評価され、特別賞を受賞しています。
映画界に音が導入された「トーキー」時代になっても、彼はしばらくの間主役として君臨しました。『The Dawn Patrol』(1930年)などの作品で、社会的な意識の高い役柄や議論を呼ぶテーマの作品に積極的に挑戦しました。
しかし、1930年代後半になると、彼が築き上げた「少年のような純朴な青年」というイメージが、年齢を重ねた彼にとって足かせとなります。次第に主役から脇役へと転向し、1939年の『Only Angels Have Wings』では、リタ・ヘイワースの夫である没落したパイロット役を演じました。

俳優引退後の人生と晩年
1942年に映画界を完全に引退したバーセルメスは、その後全く異なる道を歩みます。第二次世界大戦が激化するとアメリカ海軍予備役に入隊し、少佐としてパールハーバー海軍造船所で任務に就きました。
戦後はスクリーンに戻ることはなく、不動産投資による資産運用で静かな生活を送りました。私生活では、二度の結婚を経てジェシカ・スチュアート・サージェントと添い遂げ、彼女の連れ子であるスチュアートを養子に迎えました。
1963年8月17日、ニューヨーク州サウサンプトンにて喉がんのため68歳でこの世を去りました。彼の遺体はハートズデールのフェーンクリフ墓地に安置されています。
後世への遺産と栄誉
バーセルメスの功績は、単なる俳優としての成功に留まりません。映画芸術科学アカデミーの創設に関わったことは、現代のオスカー賞へと続く映画界の評価システムの基礎を築いたことを意味します。
また、1960年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星が刻まれ、1957年には映画芸術への顕著な貢献を称えてジョージ・イーストマン賞を授与されました。彼の影響は音楽の世界にも及び、彼にインスパイアされたピアノ曲が作曲されるなど、多方面にわたる文化的な足跡を残しています。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 活動期間 | 1916年 〜 1942年 |
| 代表作 | 『Broken Blossoms』『Way Down East』『Tol'able David』 |
| 主な受賞・ノミネート | 第1回アカデミー主演男優賞ノミネート(2作品) |
| 業界への貢献 | 映画芸術科学アカデミー(AMPAS)創設メンバー |
| 戦時中の経歴 | アメリカ海軍予備役 少佐(パールハーバー勤務) |
Frequently Asked Questions
リチャード・バーセルメスが最も有名になったきっかけは何ですか?
D・W・グリフィス監督の作品『Broken Blossoms』や『Way Down East』でリリアン・ギッシュの相手役を演じたことで、その端正なルックスと演技力が注目され、一躍スターとなりました。
彼がアカデミー賞で評価された作品はどれですか?
第1回アカデミー賞において、『The Patent Leather Kid』と『The Noose』の2作品での演技が評価され、主演男優賞にノミネートされました。
なぜ彼は1942年に俳優業を引退したのですか?
1930年代後半から、彼が得意とした「少年のような青年役」を演じるには年齢的に限界が来ていたことや、役どころが脇役へと移行していったことが背景にあります。
俳優以外の人生で特筆すべき活動はありますか?
第二次世界大戦中にアメリカ海軍予備役に入隊し、少佐としてパールハーバー海軍造船所で勤務した経験があります。また、映画芸術科学アカデミーの創設にも深く関わりました。
彼の死後、どのような形で記憶されていますか?
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームへの登録や、ジョージ・イーストマン賞の受賞などを通じて、サイレント映画時代の重要な貢献者として称えられています。
References
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- Passport Applications, January 2, 1906 – March 31, 1925, National Archives and Records Administration,
Collection Number: ARC Identifier 583830 / MLR Number A1 534; NARA Series: M1490; Roll #: 1009
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