映画業界において、年末に発表される賞レースの先駆けとして知られるナショナル・ボード・オブ・レビュー(National Board of Review, NBR)。ニューヨークを拠点とするこの非営利団体は、現在でこそ優れた作品を称える批評家団体としての地位を確立していますが、その始まりは意外にも「映画の検閲」にありました。
初期の映画産業が混沌としていた時代、社会的な道徳を守るために設立されたこの組織が、どのようにして現代の権威ある映画賞へと変貌を遂げたのか。その軌跡を辿ります。
Key Facts
- 設立: 1909年3月、当初は「映画プログラム検閲委員会」として発足。
- 変遷: 映画の「ホワイトリスト(推奨リスト)」作成から始まり、後に批評家団体へと移行。
- 影響力: 毎年12月初旬に発表される賞は、アカデミー賞などの主要映画賞の重要な指標とされる。
- 出版: 米国最古の映画レビュー・評論誌を数多く発行してきた歴史を持つ。
- 拠点: アメリカ合衆国ニューヨーク市。
検閲から始まった組織の原点
20世紀初頭、映画は急速に普及しましたが、同時に刺激的な内容を求めるあまり、残酷なシーンや不適切な題材を扱う作品が散見されました。特に、本物の馬が崖から転落する様子を捉えた衝撃的な映像などが問題視され、業界内外で監督体制の必要性が叫ばれました。
こうした背景から1909年、コロンビア大学のチャールズ・スプラグ・スミス教授とニューヨーク興行主協会が協力し、「映画プログラム検閲委員会(Board of Censorship of Motion Picture Programs)」を設立しました。これは政府機関ではなく、民間による自主的な監督体制を目指したものでした。

当時の映画興行主たちは、上映内容が不適切であるとして法的な制裁を受けるリスクを抱えていました。そこで、この委員会が認定した「安全な映画」のリスト(ホワイトリスト)を利用することで、法的・社会的なリスクを回避しようとしたのです。
検閲の仕組みと影響力
組織が「全米映画検閲委員会(NBMPC)」へと拡大すると、その影響力は全米に及びました。ボランティアによる審査チームが作品を精査し、「無修正での承認」「問題箇所の削除」「完全な拒絶」のいずれかを判定しました。過度な暴力、性的表現、宗教的冒涜などが基準となり、認定を受けた作品には委員会のシールが貼付されました。
1913年には約7,000本の映画を審査し、53本を撤去、401本にカットを命じた実績があります。当時の全米の映画館の大部分がこの委員会の判断に従っていたと言われています。
「検閲」から「レビュー」への転換
しかし、時代とともに「検閲(Censorship)」という言葉への反発が強まりました。業界内からは、強制的な排除ではなく、倫理的・美的な基準を提示し、制作者に助言を行う「建設的なアプローチ」が求められるようになります。
これを受け、1916年3月に組織名は「ナショナル・ボード・オブ・レビュー・オブ・モーション・ピクチャーズ(National Board of Review of Motion Pictures)」へと変更されました。これにより、単なる取り締まり機関から、映画の質を評価し、推奨する団体へと方向性を転換したのです。
批評家団体としての進化
1930年代に入ると、NBRは「優れた映画を選出し、それを世に広めることで観客を育成する」という方針を明確にしました。1930年には、英語圏および外国映画のベスト10を選出する取り組みを開始し、これが現在の映画賞の形式へと繋がっていきました。
その後、20世紀半ばにアメリカ映画協会(MPAA)による検閲体制が整備されると、NBRの検閲としての役割は自然と消滅し、純粋な映画批評および表彰団体としての活動に専念することとなりました。
出版活動と評価基準
NBRは、米国で最も歴史のある映画評論誌の発行体としても知られています。時代に合わせて名称を変えながら、『Film Program』から始まり、現在はオンライン版を含む『Films in Review』へと受け継がれています。
現在の主要な賞カテゴリー
現在のNBR賞は、多岐にわたるカテゴリーで映画界の功績を称えています。以下に主なカテゴリーをまとめます。
| カテゴリー分類 | 具体的な賞名 |
|---|---|
| 作品・監督 | 最優秀作品賞、トップ10作品、最優秀監督賞、監督デビュー賞 |
| 演技 | 最優秀主演男優・女優賞、最優秀助演男優・女優賞、アンサンブル賞、ブレイクスルー賞 |
| 脚本・技術 | 最優秀脚色賞、最優秀オリジナル脚本賞、撮影賞 |
| ジャンル別 | 最優秀アニメーション映画賞、最優秀ドキュメンタリー賞、最優秀外国語映画賞、ファミリー映画賞 |
| 特別賞 | 表現の自由賞、映画史功労賞(William K. Everson賞)など |
Frequently Asked Questions
NBRは政府の機関ですか?
いいえ、NBRはニューヨーク市を拠点とする非営利の民間団体であり、映画愛好家や批評家によって運営されています。
なぜNBRの賞が重要視されるのですか?
毎年12月初旬という非常に早いタイミングで発表されるため、その後のゴールデングローブ賞やアカデミー賞などの主要な賞レースの傾向を占う「先触れ」として業界内で注目されるためです。
昔は本当に映画をカットさせていたのですか?
はい。設立当初の「検閲委員会」時代には、不適切と判断されたシーンの削除を求め、応じない場合は認定を与えないという強い権限を持っていました。
現在のNBRの主な活動は何ですか?
主に、優れた映画作品や映画人の選出・表彰、および映画批評誌『Films in Review』を通じた作品の分析と普及活動を行っています。
「ホワイトリスト」とは何でしたか?
初期のNBRが作成していた、興行主が安心して上映できる「問題のない映画」の推奨リストのことです。
References
- Oscars 2024: National Board of Review Preview, Predictions and Contest!
- National Board of Censorship of Motion Pictures, "The Policy and Standards of The National Board of Censorship of Motion Pictures." New York: People's Institute, Jan. 1915; p. 6.
- "The Censorship of Film Subjects," The Moving Picture World, vol. 4, no. 10 (March 6, 1909), p. 266.
- "Censorship of Film Subjects," The Moving Picture World, vol. 4, no. 12 (March 20, 1909), p. 325.
- Sklar, Robert (1994). Movie-Made America: A Cultural History of American Movies (2nd ed.). New York City: Vintage Books. pp. 31–32. .
- "Our Man About Town," "Observations," Moving Picture World, Feb. 12, 1916, p. 938.
- In December 1908, spurred into action by local clergymen, New York City mayor George McClellan Jr. unilaterally pulled the business licenses of every one of the more than 400 theaters in New York City. Although overturned in the courts, this action represented a financial catastrophe to motion picture exhibitors and motivated them to address the question of controversial content.
- William D. McGuire and Orrin G. Cocks, "The National Board of Motion Picture Censorship," in Frederic C. Howe (ed.), The People's Institute, New York: 17th Annual Report. New York: People's Institute, 1914; pp. 6–8.
- National Board of Censorship, "The Policy and Standards of The National Board of Censorship of Motion Pictures," p. 2.
- Cranston Brenton, Washington, DC speech of January 14, 1916. Quoted in W. Stephen Bush, "Film Hosts in Battle Array," Moving Picture World, Jan. 22, 1916, p. 566.