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People's Songs労働者の声を届けたフォーク音楽の先駆的組織

🗓 2026年8月14日

音楽は単なる娯楽ではなく、社会を変える強力な武器になり得る。そんな信念を形にしたのが、1945年末にニューヨークで設立されたPeople's Songsという組織です。ピート・シーガーやアラン・ロマクスらによって立ち上げられたこの団体は、労働者や一般市民の歌を創造し、広めることを目的としていました。

彼らが発行した季刊誌(Bulletin)は、後のフォーク音楽シーンに多大な影響を与え、音楽を通じた社会活動のモデルケースとなりました。本記事では、この組織の誕生から、時代の荒波に揉まれた終焉までを詳しく解説します。

Key Facts

  • 設立目的:労働歌およびアメリカ国民の歌の創造・普及・配布。
  • 主要人物:ピート・シーガー(会長)、リー・ヘイズ(事務局長)ら。
  • 活動期間:1946年から1950年まで季刊誌を発行。
  • 歴史的意義:後の音楽誌『Sing Out!』や『Broadside』の雛形となった。
  • 衰退の要因:赤狩り(レッドスケア)による政治的圧力と財政難。

組織の誕生と理念

ピート・シーガーは、1940年代にアルマナック・シンガーズとしての活動や、産業組織会議(CIO)のチャリティ公演を通じて、フォーク音楽が社会変革の有効な手段になることを確信していました。第二次世界大戦中の軍服務を経て、1946年に除隊した彼は、グリーンウィッチ・ヴィレッジにある親戚の地下室で志を同じくする仲間を集め、ついにPeople's Songsを設立しました。

設立メンバーには、ウディ・ガスリーやバール・アイヴス、アラン・ロマクスなど、当時のフォークコミュニティを代表する著名人が名を連ねていました。彼らはニューヨークの西42丁目に小さな事務所を構え、イギリスの「Workers Music Association」をモデルにした活動を展開しました。

組織は単なる出版活動にとどまらず、プログレッシブな芸能人のためのエージェンシー「People's Artists」を設立したり、シカゴでの年次大会を開催したりするなど、全米規模でのネットワーク構築を目指しました。また、カリフォルニア州にはマリオ・カsetta率いる支部が設けられ、西海岸のワールドミュージックシーンにも影響を与えました。

季刊誌『People's Songs Bulletin』の役割

1946年2月に創刊されたこの雑誌は、当初3,000部が発行された小規模なミメオグラフ(ガリ版刷り)形式の刊行物でした。音楽編集者のヴァルデマー・ヒレのもと、伝統的な労働歌から、リー・ヘイズやウディ・ガスリーによる現代的な新作まで、幅広い楽曲が掲載されました。

この雑誌の最大の特徴は、掲載曲に通し番号を付けたことです。第1号の7曲に続き、第2号は8番から始まるという形式を採用し、一種の楽曲ライブラリとして機能させました。楽譜や歌詞、タブラチュア(奏法譜)が豊富に盛り込まれており、誰でも歌えるように設計されていました。

People's Songs 概要まとめ
項目 詳細
創設者 ピート・シーガー、アラン・ロマクス、リー・ヘイズ他
発行期間 1946年2月 〜 1950年
発行頻度 季刊
主な寄稿者 ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ジョシュ・ホワイト他
後継への影響 Sing Out! 誌の創刊へ繋がる

時代の逆風と組織の終焉

設立当初は成功を収めたPeople's Songsでしたが、次第に厳しい政治状況に直面します。第二次世界大戦後、アメリカでは共産主義への警戒心が高まり、「赤狩り」と呼ばれる激しい弾圧が始まりました。特に、労働運動と共産主義の結びつきが問題視され、下院非アメリカ活動委員会(HUAC)による芸能界への追及が強まりました。

政治的な圧力に加え、タフト・ハートリー法の成立など労働運動への逆風が吹き荒れ、組織の財政状況は悪化しました。決定打となったのは1948年のヘンリー・A・ウォレス大統領選挙への全面的な支援です。この選挙がニューヨーク市以外で惨敗したことで、People's Songsは事実上の破産に追い込まれました。

しかし、この精神は絶えることはありませんでした。シーガーとアーウィン・シルバーは、一時的なニュースレターを経て、より持続可能な形態の音楽雑誌『Sing Out!』を創刊し、フォーク音楽の普及活動を継続させたのです。

Frequently Asked Questions

People's Songsの主な目的は何でしたか?

労働者やアメリカ国民の視点に立った歌を創造し、それを普及・配布させることで、社会的な意識向上や政治的なアクションを支援することでした。

どのような楽曲が掲載されていたのでしょうか?

伝統的なフォークソングや労働歌(例:Casey Jones)から、ジョー・ヒルなどのスタンダード曲、さらにはウディ・ガスリーらによる現代のプロテストソングまで、多岐にわたる楽曲が楽譜付きで掲載されていました。

なぜ組織は破綻してしまったのですか?

冷戦初期の「赤狩り」による政治的弾圧に加え、1948年の大統領選挙におけるヘンリー・A・ウォレスへの過度な資源投入が失敗し、財政的に行き詰まったためです。

この組織が後の音楽シーンに与えた影響は?

音楽を通じて社会問題を提起する形式を確立し、『Sing Out!』や『Broadside』といった後の重要なフォーク音楽雑誌のテンプレート(雛形)となりました。

現在、当時の資料はどこに残っていますか?

ピート・シーガーの個人コピーを基にマイクロフィルム化されており、現在はProQuest/CSAなどが管理しています。また、デトロイトのウォルター・P・ロイザー図書館に関連コレクションが保管されています。

References

  1. 1 2 3 People's Songs Inc. People's Songs Newsletter, Vol 1. No 1. 1945. resource center collection.
  2. 1 2 Robbie Lieberman (1995). My Song Is My Weapon. University of Illinois Press. pp. 68–9.  .
  3. Report of the Senate Fact-Finding Committee on Un-American Activities, 1948 : Communist Front Organizations. Senate Fact-Finding Committee on Un-American Activities. 1948. Retrieved September 27, 2017.
  4. People's Songs Inc. People's Songs Newsletter, Vol 1. No 2. 1945. resource center collection.
  5. People's Songs Inc. People's Songs Newsletter, Vol 2. No 8. 1945. resource center collection.
  6. See Richard M. Freeland, The Truman Doctrine and the Origins of McCarthyism: Foreign Policy, Domestic Policy, and Internal Security, 1946-48 (New York: New York University Press, 1989).
  7. 1 2 Bulletin