音楽は単なる娯楽ではなく、社会を変える強力な武器になり得る。そんな信念を形にしたのが、1945年末にニューヨークで設立されたPeople's Songsという組織です。ピート・シーガーやアラン・ロマクスらによって立ち上げられたこの団体は、労働者や一般市民の歌を創造し、広めることを目的としていました。
彼らが発行した季刊誌(Bulletin)は、後のフォーク音楽シーンに多大な影響を与え、音楽を通じた社会活動のモデルケースとなりました。本記事では、この組織の誕生から、時代の荒波に揉まれた終焉までを詳しく解説します。
Key Facts
- 設立目的:労働歌およびアメリカ国民の歌の創造・普及・配布。
- 主要人物:ピート・シーガー(会長)、リー・ヘイズ(事務局長)ら。
- 活動期間:1946年から1950年まで季刊誌を発行。
- 歴史的意義:後の音楽誌『Sing Out!』や『Broadside』の雛形となった。
- 衰退の要因:赤狩り(レッドスケア)による政治的圧力と財政難。
組織の誕生と理念
ピート・シーガーは、1940年代にアルマナック・シンガーズとしての活動や、産業組織会議(CIO)のチャリティ公演を通じて、フォーク音楽が社会変革の有効な手段になることを確信していました。第二次世界大戦中の軍服務を経て、1946年に除隊した彼は、グリーンウィッチ・ヴィレッジにある親戚の地下室で志を同じくする仲間を集め、ついにPeople's Songsを設立しました。
設立メンバーには、ウディ・ガスリーやバール・アイヴス、アラン・ロマクスなど、当時のフォークコミュニティを代表する著名人が名を連ねていました。彼らはニューヨークの西42丁目に小さな事務所を構え、イギリスの「Workers Music Association」をモデルにした活動を展開しました。
組織は単なる出版活動にとどまらず、プログレッシブな芸能人のためのエージェンシー「People's Artists」を設立したり、シカゴでの年次大会を開催したりするなど、全米規模でのネットワーク構築を目指しました。また、カリフォルニア州にはマリオ・カsetta率いる支部が設けられ、西海岸のワールドミュージックシーンにも影響を与えました。
季刊誌『People's Songs Bulletin』の役割
1946年2月に創刊されたこの雑誌は、当初3,000部が発行された小規模なミメオグラフ(ガリ版刷り)形式の刊行物でした。音楽編集者のヴァルデマー・ヒレのもと、伝統的な労働歌から、リー・ヘイズやウディ・ガスリーによる現代的な新作まで、幅広い楽曲が掲載されました。
この雑誌の最大の特徴は、掲載曲に通し番号を付けたことです。第1号の7曲に続き、第2号は8番から始まるという形式を採用し、一種の楽曲ライブラリとして機能させました。楽譜や歌詞、タブラチュア(奏法譜)が豊富に盛り込まれており、誰でも歌えるように設計されていました。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 創設者 | ピート・シーガー、アラン・ロマクス、リー・ヘイズ他 |
| 発行期間 | 1946年2月 〜 1950年 |
| 発行頻度 | 季刊 |
| 主な寄稿者 | ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ジョシュ・ホワイト他 |
| 後継への影響 | Sing Out! 誌の創刊へ繋がる |
時代の逆風と組織の終焉
設立当初は成功を収めたPeople's Songsでしたが、次第に厳しい政治状況に直面します。第二次世界大戦後、アメリカでは共産主義への警戒心が高まり、「赤狩り」と呼ばれる激しい弾圧が始まりました。特に、労働運動と共産主義の結びつきが問題視され、下院非アメリカ活動委員会(HUAC)による芸能界への追及が強まりました。
政治的な圧力に加え、タフト・ハートリー法の成立など労働運動への逆風が吹き荒れ、組織の財政状況は悪化しました。決定打となったのは1948年のヘンリー・A・ウォレス大統領選挙への全面的な支援です。この選挙がニューヨーク市以外で惨敗したことで、People's Songsは事実上の破産に追い込まれました。
しかし、この精神は絶えることはありませんでした。シーガーとアーウィン・シルバーは、一時的なニュースレターを経て、より持続可能な形態の音楽雑誌『Sing Out!』を創刊し、フォーク音楽の普及活動を継続させたのです。
Frequently Asked Questions
People's Songsの主な目的は何でしたか?
労働者やアメリカ国民の視点に立った歌を創造し、それを普及・配布させることで、社会的な意識向上や政治的なアクションを支援することでした。
どのような楽曲が掲載されていたのでしょうか?
伝統的なフォークソングや労働歌(例:Casey Jones)から、ジョー・ヒルなどのスタンダード曲、さらにはウディ・ガスリーらによる現代のプロテストソングまで、多岐にわたる楽曲が楽譜付きで掲載されていました。
なぜ組織は破綻してしまったのですか?
冷戦初期の「赤狩り」による政治的弾圧に加え、1948年の大統領選挙におけるヘンリー・A・ウォレスへの過度な資源投入が失敗し、財政的に行き詰まったためです。
この組織が後の音楽シーンに与えた影響は?
音楽を通じて社会問題を提起する形式を確立し、『Sing Out!』や『Broadside』といった後の重要なフォーク音楽雑誌のテンプレート(雛形)となりました。
現在、当時の資料はどこに残っていますか?
ピート・シーガーの個人コピーを基にマイクロフィルム化されており、現在はProQuest/CSAなどが管理しています。また、デトロイトのウォルター・P・ロイザー図書館に関連コレクションが保管されています。
References
- 1 2 3 People's Songs Inc. People's Songs Newsletter, Vol 1. No 1. 1945. resource center collection.
- 1 2 Robbie Lieberman (1995). My Song Is My Weapon. University of Illinois Press. pp. 68–9. .
- ↑ Report of the Senate Fact-Finding Committee on Un-American Activities, 1948 : Communist Front Organizations. Senate Fact-Finding Committee on Un-American Activities. 1948. Retrieved September 27, 2017.
- ↑ People's Songs Inc. People's Songs Newsletter, Vol 1. No 2. 1945. resource center collection.
- ↑ People's Songs Inc. People's Songs Newsletter, Vol 2. No 8. 1945. resource center collection.
- ↑ See Richard M. Freeland, The Truman Doctrine and the Origins of McCarthyism: Foreign Policy, Domestic Policy, and Internal Security, 1946-48 (New York: New York University Press, 1989).
- 1 2 Bulletin