アメリカ合衆国の民主主義において、女性が投票権を手にしたことは歴史的な転換点となりました。その中心的な役割を果たしたのが、全米女性参政権協会(NAWSA: National American Woman Suffrage Association)です。1890年に設立されたこの組織は、単なる権利主張の集まりを超え、最終的に200万人という国内最大規模のボランティア組織へと成長し、女性の政治参加を法的に保障させる原動力となりました。
Key Facts
- 設立: 1890年2月18日、2つの既存団体(NWSAとAWSA)が合併して誕生。
- 最大の成果: 1920年の米国憲法修正第19条(女性参政権の保障)の批准に大きく貢献。
- 組織規模: 設立時の約7,000人から、ピーク時には約200万人の会員を擁した。
- 後継組織: 1920年2月14日に「女性有権者連盟(League of Women Voters)」へと移行。
- 主要人物: スーザン・B・アンソニー、エリザベス・キャディ・スタントン、キャリー・チャップマン・キャットなど。
組織の誕生と初期のリーダーシップ
NAWSAは、それまで袂を分かっていた「全米女性参政権協会(NWSA)」と「アメリカ女性参政権協会(AWSA)」という2つの対立組織が統合することで誕生しました。この合併により、女性参政権運動は一つの強力な旗印の下に集結することとなりました。
設立時の選挙では、エリザベス・キャディ・スタントンが会長に、スーザン・B・アンソニーが副会長に選出され、ルーシー・ストーンが執行委員会の議長を務めました。彼女たちは、教育的なアプローチから政治的な圧力団体への転換を図りながら、女性の権利拡大に奔走しました。

戦略的転換と政治的圧力への移行
1915年にキャリー・チャップマン・キャットが再び会長に就任すると、組織のあり方は大きく変わりました。彼女は組織の集権化を推進し、「憲法修正案の通過」を最優先目標に据える戦略を採用しました。これにより、NAWSAは単なる啓蒙団体から、強力な政治的圧力団体へと変貌を遂げました。

また、第一次世界大戦への積極的な協力姿勢を示したことで、社会的な支持と共感を集めることに成功しました。この戦略的な動きは、政府や世論を味方につけ、参政権獲得への道を切り拓く重要なステップとなりました。

州レベルでの勝利と拡大
連邦レベルでの法改正を目指す一方で、州単位での参政権獲得も着実に進みました。1896年時点では西部4州のみでしたが、1910年のワシントン州を皮切りに、カリフォルニア州、オレゴン州、カンザス州、アリゾナ州などが次々と女性参政権を認めました。この成功体験が、全米規模での運動を加速させました。

運動内部の葛藤と社会的課題
運動の拡大に伴い、内部では深刻な対立や差別も存在しました。特に南部地域では、連邦憲法による参政権付与が「州の権利」を侵害することや、黒人女性に投票権が与えられることへの強い反発がありました。
NAWSAは南部の支持を得るため、人種隔離的な慣習を容認する妥協策を採りました。1895年のアトランタ大会では、元奴隷のフレデリック・ダグラスに欠席を要請し、1903年のニューオーリンズ大会では黒人会員を排除するといった事態が起きています。このような排他的な戦略は、運動の拡大という目的のために、一部の権利を犠牲にした側面がありました。

組織の運営と支援体制
NAWSAの活動を支えたのは、強力な資金力と組織的なネットワークでした。財務担当のハリエット・テイラー・アップトンは、1903年にオハイオ州ウォーレンにある自身の自宅に本部を移転させ、6年間にわたり活動の拠点としました。これにより、地域のコミュニティが運動の中心地となる時期もありました。

また、大学教育を受けた女性たちの参加を促すため、モード・ウッド・パークが中心となって「全米大学女性参政権連盟」を設立し、知的エリート層を運動に巻き込みました。

さらに、1917年にはミリアム・レスリー夫人から90万ドルという巨額の遺贈を受け、その多くが組織の運営や機関誌『Woman Citizen』の強化に充てられ、情報発信力が飛躍的に向上しました。

憲法修正第19条の批准と新たな門出
長年の闘争の結果、1920年に米国憲法修正第19条が批准され、ついに女性の投票権が法的に保障されました。目的を達成したNAWSAは、単に権利を得るだけでなく、女性が実際に政治に参加し、賢明な投票を行うための支援を行う組織へと進化する必要がありました。

そこで、批准の数ヶ月前の1920年2月14日、NAWSAは解散し、後継組織として女性有権者連盟(League of Women Voters)を設立しました。初代会長にはモード・ウッド・パークが就任し、女性が公的な事柄に積極的に関与するための教育と支援を目的として活動を開始しました。

なお、運動の中にはアリス・ポールのような、より急進的な手法を求めるリーダーも存在し、運動の多様性と激しさを象徴していました。

NAWSAの概要まとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 活動期間 | 1890年 〜 1920年 |
| 設立経緯 | NWSAとAWSAの合併 |
| 最大会員数 | 約200万人 |
| 主要目標 | 米国憲法修正案による女性参政権の確立 |
| 後継団体 | 女性有権者連盟(League of Women Voters) |
| 歴史的成果 | 憲法修正第19条の批准(1920年) |
Frequently Asked Questions
NAWSAはどのようにして設立されましたか?
1890年2月18日、それまで別々に活動していた「全米女性参政権協会(NWSA)」と「アメリカ女性参政権協会(AWSA)」という2つの組織が合併して誕生しました。
キャリー・チャップマン・キャットの功績は何ですか?
彼女は組織の集権化を行い、教育的な活動から政治的な圧力団体へと戦略を転換させました。また、第一次世界大戦への協力を通じて参政権への社会的支持を広げ、憲法修正案の通過を強力に推進しました。
運動の中で人種に関する問題はありましたか?
はい。特に南部での支持を得るため、黒人女性の参政権を軽視したり、大会から黒人会員を排除したりするなど、人種差別的な妥協を行った歴史があります。
NAWSAはなぜ解散したのですか?
1920年に憲法修正第19条が批准され、女性の投票権という最大の目的を達成したためです。その後、得られた権利を適切に行使するための支援を行う「女性有権者連盟」へと移行しました。
女性有権者連盟(League of Women Voters)とはどのような組織ですか?
NAWSAの後継組織であり、女性が公的な事柄に積極的に参加し、投票権を効果的に行使できるよう支援することを目的として設立されました。現在も活動を続けています。
References
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- Stanton, Anthony, Gage, Harper (1881–1922), Vol. 2, pp. 171–72
- , p. 47.
- , p. 13, "American Equal Rights Association"
- , pp. 164–167, 189, 196.
- , p. 173.
- , pp. 192, 196, 197.
- , p. 17.
- , pp. 163–64.
- Ann D. Gordon. "The Trial of Susan B. Anthony: A Short Narrative". Federal Judicial Center. Retrieved May 30, 2015.
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