音楽史に名を刻む偉大な父、ナット・キング・コールの娘として生まれたナタリー・コール。彼女のキャリアは、単なる「名家の継承」ではなく、自らのアイデンティティを模索し、絶望の淵から何度でも立ち上がった不屈の物語です。R&Bの女王からジャズのスタンダードまで、ジャンルを軽やかに飛び越えた彼女の音楽人生を辿ります。

Key Facts

  • 歴史的快挙:アフリカ系アメリカ人アーティストとして初めてグラミー賞の「最優秀新人賞」を受賞。
  • 驚異的な記録:1年間に2枚のプラチナアルバムをリリースした初の女性アーティスト。
  • 最大ヒット:アルバム『Unforgettable... with Love』は全米で700万枚以上のセールスを記録。
  • 音楽的幅:初期のR&B/ファンクから、後年のジャズ・スタンダードまで多岐にわたるスタイルを確立。

情熱の始まりとR&Bシーンへの衝撃

1972年に大学を卒業したナタリーは、自身のバンド「ブラック・マジック」と共に小規模なクラブで活動を開始しました。当初、周囲は彼女を「ナット・キング・コールの娘」として注目しましたが、彼女が披露したのは父のスタイルではなく、アレサ・フランクリンやジャニス・ジョプリンに影響を受けたエネルギッシュなR&Bやロックのカバーでした。

その後、ソングライティング・チームのチャック・ジャクソンとマーヴィン・ヤンシーの支援を受け、カーティス・メイフィールド所有のスタジオでデモを録音。これがキャピトル・レコードとの契約に繋がり、1975年にデビューアルバム『Inseparable』をリリースします。リード曲「This Will Be」は大ヒットし、グラミー賞の最優秀女性R&Bボーカルパフォーマンス賞に輝きました。

Natalie and Carole Cole at NBC studios, 1975

アレサ・フランクリンとのライバル関係

メディアが彼女を「第二のアレサ・フランクリン」と称したことで、当時の女王アレサとの間に緊張関係が生まれました。特に1977年の第19回グラミー賞において、ナタリーの「Sophisticated Lady (She's a Different Lady)」がアレサの楽曲を抑えて受賞したことは、このライバル関係を象徴する出来事となりました。

黄金時代の到来とスターダム

デビュー後の勢いは止まらず、1976年の2ndアルバム『Natalie』でもゴールドディスクを獲得。さらに3作目の『Unpredictable』では、R&Bチャート1位の「I've Got Love on My Mind」を筆頭に、初のプラチナディスクを達成しました。続く『Thankful』でもプラチナ認定を受け、音楽的な成功を不動のものにします。

彼女の活躍は音楽業界に留まらず、自身のテレビ特番を制作し、アース・ウィンド・アンド・ファイアーなどの豪華ゲストを招いたほか、フランク・シナトラの特番にも出演。1979年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星が刻まれるなど、時代のアイコンとなりました。

苦難の時代と劇的な復活

1980年代に入ると、キャリアに暗雲が立ち込めます。1980年のアルバム『Don't Look Back』では一部のヒットを飛ばしたものの、アルバム全体のセールスは低迷。さらに薬物依存症という深刻な私生活の問題が表面化し、1983年にはコネチカット州のリハビリ施設に6ヶ月間入院することとなりました。

しかし、彼女はここから驚異的な復活を遂げます。Modern Recordsからの『Dangerous』で再起の足がかりを掴むと、1987年の『Everlasting』で再びチャートの頂点へ。ブルース・スプリングスティーンのカバー「Pink Cadillac」などがヒットし、10年ぶりにプラチナディスクを獲得しました。1989年の『Good to Be Back』では、イギリスでシングルチャート2位を記録するなど、国際的な評価を確立します。

Cole in 1996

父との対話:『Unforgettable』という金字塔

1991年、ナタリーは自身の音楽人生において最も重要な転換点を迎えます。かつては父のカバーを拒んでいた彼女でしたが、父の名曲を歌い上げるアルバム『Unforgettable... with Love』をリリース。最新技術を用いて父ナット・キング・コールとのデュエットを実現させたタイトル曲「Unforgettable」は、世界的な大ヒットとなりました。

この作品は全米で700万枚以上のセールスを記録し、グラミー賞の「最優秀アルバム賞」や「最優秀レコード賞」など数々の栄誉に輝きました。その後も『Take a Look』や『Stardust』などのジャズ・スタンダード作品を次々と発表し、音楽的な成熟を深めていきました。

晩年の活動と遺産

1995年にはバークリー音楽大学から名誉音楽博士号を授与。2000年代に入っても、ロンドン交響楽曲団との共演や、父とシナトラの楽曲をカバーした『Still Unforgettable』のリリースなど、精力的に活動を続けました。彼女の歩みは、自伝的映画『Livin' for Love: The Natalie Cole Story』としても映像化されています。

ナタリー・コールのキャリア概要

主要アルバムと実績のまとめ
時期 代表作・出来事 主な成果・特徴
1970年代半ば 『Inseparable』 グラミー賞最優秀新人賞、R&Bシーンへの台頭
1970年代後半 『Unpredictable』『Thankful』 初のプラチナディスク、1年2枚のプラチナ記録
1980年代 リハビリ・再起期 薬物依存を克服し、『Everlasting』で復活
1990年代 『Unforgettable... with Love』 父とのデュエット、全米700万枚以上の大ヒット
2000年代以降 『Still Unforgettable』など ジャズへの傾倒とスタンダードの追求

Frequently Asked Questions

ナタリー・コールがグラミー賞で成し遂げた歴史的な快挙とは何ですか?

彼女はアフリカ系アメリカ人アーティストとして初めて、グラミー賞の「最優秀新人賞(Best New Artist)」を受賞するという快挙を成し遂げました。

アレサ・フランクリンとの間にどのような関係がありましたか?

メディアがナタリーを「新しいアレサ・フランクリン」と呼んだことでライバル関係となり、特に1977年のグラミー賞でナタリーがアレサを抑えて受賞したことで、その対立が表面化しました。

アルバム『Unforgettable... with Love』がなぜそれほど特別だったのですか?

かつて父の曲を歌うことを拒んでいたナタリーが、父ナット・キング・コールの楽曲に挑戦し、さらに録音技術を用いて父との仮想デュエットを実現させたためです。結果として、音楽的・商業的に絶大な成功を収めました。

彼女のキャリアにおける最大の困難は何でしたか?

1980年代に直面した薬物依存症との闘いです。これによりキャリアは一時停滞し、1983年にはリハビリ施設への入院を余儀なくされましたが、それを乗り越えて1987年以降に劇的な復活を果たしました。

彼女はどのような音楽ジャンルを歌いこなしましたか?

初期はR&B、ソウル、ファンク、ロックなどの現代的なスタイルで成功を収め、その後はジャズ・スタンダードやトラディショナル・ポップへと移行し、幅広いジャンルで高い評価を得ました。