Motion Picture Production Code
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モーション・ピクチャー・プロダクション・コードハリウッドを縛った検閲の歴史

🗓 2026年8月14日

かつてアメリカの映画産業には、スクリーンに映し出す内容を厳格に制限する「道徳的な物差し」が存在しました。それがモーション・ピクチャー・プロダクション・コード(通称:ヘイズ・コード)です。1934年から1968年まで、主要スタジオが制作する映画の多くはこの自己規制ガイドラインに従い、観客に届く表現が徹底的に管理されていました。

この制度は、単なる道徳心から生まれたものではなく、政府による直接的な介入や、州ごとのバラバラな検閲基準というビジネス上のリスクを回避するために導入された戦略的な仕組みでした。

Motion Picture Production Code

Key Facts

  • 正式名称:モーション・ピクチャー・プロダクション・コード(通称ヘイズ・コード
  • 運用期間:1934年〜1968年(厳格な運用は1934年から開始)
  • 目的:政府による公的な検閲を避けるための業界による自己規制
  • 管理組織:MPPDA(後のMPAA)およびプロダクション・コード管理局(PCA)
  • 後継制度:1968年に現在の映画格付けシステム(G, PG, R, Xなど)へ移行

検閲制度の誕生と背景

20世紀初頭、映画は急速に普及しましたが、同時にその影響力への懸念が高まりました。1915年の最高裁判決により、映画は「言論の自由」の保護対象外とされ、ニューヨーク州などの各州が独自の検閲委員会を設置し始めました。映画製作者にとって、州ごとに異なる基準でカットを求められることは、配給上の大きな障害となりました。

そこで、映画業界は自らルールを設けることで、外部からの規制を封じ込めようとしました。1922年にMPPDA(アメリカ映画製作者・配給業者協会)の会長に就任したウィル・H・ヘイズを中心に、業界内の自己規制が進められました。1930年にはカトリックの指導者らの影響を受けた基準が策定され、1934年からは「承認印(Seal of Approval)」がない映画は公開できないという極めて強力な強制力がもたらされました。

A famous shot from the 1903 film The Great Train Robbery. Scenes where criminals aimed guns at the camera were considered inappropriate by the New York state censor board in the 1920s, and usually removed.[41]

禁止事項と「注意すべき」表現

コードの内容は、公序良俗に反するとされる項目を明確に定義していました。特に厳格だったのは、麻薬の密売、性的倒錯、人種間の結婚(混血)、聖職者への嘲笑、そして露骨な暴力描写などです。これらは「絶対禁止(Don'ts)」として扱われました。

一方で、宗教儀式や火災、銃器の使用、犯罪者への同情などは「慎重に扱うべき項目(Be Carefuls)」に分類され、物語の中で正義が勝利し、悪が罰せられるという道徳的な結末が求められました。例えば、科学者が神の領域に踏み込むような傲慢な態度は、後の時代には厳しく制限されることになります。

Actor Boris Karloff as Doctor Frankenstein's creation in the 1931 film Frankenstein. By the time the film's sequel, Bride of Frankenstein, arrived in 1935, enforcement of the Code was in full effect, and the doctor's overt God complex was forbidden.[47] In the first picture, however, when the creature was born, his mad scientist creator was free to proclaim "Now I know what it feels like to be God!"[48]

表現の制限例

プロダクション・コードにおける表現規制の分類
カテゴリー 主な規制内容 意図
絶対禁止 (Don'ts) 薬物、性的逸脱、人種間結婚、聖職者の侮辱 社会道徳の維持とタブーの排除
注意項目 (Be Carefuls) 銃器、殺人手法、残酷な描写、ベッドでの男女 模倣犯の防止と過度な刺激の抑制

ブリーン時代と規制の回避

1934年から1954年にかけて、ジョセフ・ブリーンが管理局(PCA)の責任者として君臨し、コードの厳格な運用を主導しました。この時代、多くの映画が再編集を余儀なくされ、過去の作品がリメイクされるケースもありました。しかし、クリエイターたちはこの制約の中で、比喩や暗示を用いた巧妙な表現方法を編み出していきます。

例えば、キスシーンの秒数制限を回避するために、わざと一度唇を離してから再びキスをするという演出を繰り返すことで、結果的に長いシーンに見せる手法などが取られました。

Thou Shalt Not, a 1940 photo by Whitey Schafer deliberately subverting the Code's strictures
From Cecil B. DeMille's The Sign of the Cross (1932)
Some directors found ways to get around the Code guidelines; an example of this was in Alfred Hitchcock's 1946 film Notorious, where he worked around the rule of three-second-kissing by having the two actors break off every three seconds. The whole sequence lasts two and a half minutes.[1]

コードの崩壊と格付け制度への移行

1950年代に入ると、いくつかの要因が重なり、コードの権威は揺らぎ始めます。まず、テレビの普及による映画産業の経済的打撃がありました。さらに、1952年の最高裁判決により、映画も「修正第1条(言論の自由)」の保護対象であることが認められ、政府による検閲の正当性が失われました。

また、ヨーロッパ映画の流入も大きな影響を与えました。コードに縛られない大胆な表現を持つ外国映画がアメリカで成功を収め、観客の嗜好が変化したのです。オットー・プレミンジャーのような監督は、あえて承認印を得ずに映画を公開し、商業的な成功を収めることでコードの無効性を証明しました。

U.S. theatrical advertisement from 1955 for Ingmar Bergman's Summer with Monika (1953)
U.S. art-house advertisements from the 1950s. Many Americans at the time turned towards racier and more provocative foreign films, which remained largely free from code restrictions.[68]

最終的に、時代に合わなくなったプロダクション・コードは1968年に廃止され、観客の年齢に応じて視聴を推奨する現在の「映画格付けシステム」へと移行しました。これにより、映画は「何を描いてはいけないか」ではなく、「誰に見せてよいか」という基準へと変化したのです。

Frequently Asked Questions

ヘイズ・コードとは具体的にどのような制度でしたか?

アメリカの映画業界が、政府による公的な検閲を避けるために導入した自主的な内容規制ガイドラインです。性、暴力、宗教、犯罪などの描写に厳しい制限を設け、道徳的に問題があるとされる表現を排除しました。

なぜ映画スタジオはこの厳しい規制に従ったのですか?

最大の理由は、州ごとに異なる検閲基準に対応するコストとリスクを避けるためです。業界全体で統一した基準(コード)に従い「承認印」を得ることで、全米でスムーズに配給できる体制を整えようとしました。

規制をかいくぐるためにどのような工夫がされましたか?

直接的な表現を避け、暗示やメタファー(比喩)を用いる手法が発達しました。例えば、ベッドでのシーンを直接的に描かず、足元だけを映したり、会話の合間に意味深な間を置いたりすることで、観客に想像させる演出が多用されました。

プロダクション・コードが廃止された決定的な理由は何ですか?

最高裁判所による「映画の言論の自由」の認定、テレビの普及による業界構造の変化、そして表現の自由な外国映画の成功など、社会的・法的・経済的な要因が重なったためです。

現在の映画格付け(R指定など)と何が違うのですか?

プロダクション・コードは「特定の表現を禁止する」という検閲的な制度でしたが、現在の格付けシステムは「内容を提示し、視聴者の判断や保護者の管理に委ねる」という分類制度である点が根本的に異なります。

References

  1. McGilligan (2004), p. 376.
  2. Sperling et al (1998), p. 325.
  3. Encyc. of World Biog.: Suppl. (2001), "Will Hays" entry
  4. Siegel & Siegel (2004), p. 190.
  5. Yagoda (1980), "Hollywood Cleans Up ..."
  6. Doherty (1999), p. 6.
  7. Gardner (2005), p. 92.
  8. Prince (2003), p. 20.
  9. Jowett (1989), p. 16.
  10. Butters Jr. (2007), p. 149.

📸 フォトギャラリー

Motion Picture Production Code
Thou Shalt Not, a 1940 photo by Whitey Schafer deliberately subverting the Code's strictures
A famous shot from the 1903 film The Great Train Robbery. Scenes where criminals aimed guns at the camera were considered inappropriate by the New York state censor board in the 1920s, and usually removed.[41]
Actor Boris Karloff as Doctor Frankenstein's creation in the 1931 film Frankenstein. By the time the film's sequel, Bride of Frankenstein, arrived in 1935, enforcement of the Code was in full effect, and the doctor's overt God complex was forbidden.[47] In the first picture, however, when the creature was born, his mad scientist creator was free to proclaim "Now I know what it feels like to be God!"[48]
From Cecil B. DeMille's The Sign of the Cross (1932)
Some directors found ways to get around the Code guidelines; an example of this was in Alfred Hitchcock's 1946 film Notorious, where he worked around the rule of three-second-kissing by having the two actors break off every three seconds. The whole sequence lasts two and a half minutes.[1]
U.S. theatrical advertisement from 1955 for Ingmar Bergman's Summer with Monika (1953)
U.S. art-house advertisements from the 1950s. Many Americans at the time turned towards racier and more provocative foreign films, which remained largely free from code restrictions.[68]