アメリカ合衆国の広大な大地を横断するモルモン開拓者国立歴史トレイルは、単なる道ではなく、信仰と生存をかけた壮大な旅の記録です。1846年から1869年にかけて、末日聖徒イエス・キリスト教会の信徒たちが、迫害を逃れ、新たな安住の地を求めてイリノイ州からユタ州まで約1,300マイル(約2,100km)の道のりを歩みました。
このルートは、当時の西進運動における主要な道である「エミグラントトレイル」の一部であり、オレゴン・トレイルやカリフォルニア・トレイルと多くの区間を共有しています。彼らが目指したのは、誰にも邪魔されずに信仰を守れるグレートベースン(大盆地)の地でした。

Key Facts
- 総距離:約1,300マイル(2,100km)
- 旅の期間:1846年〜1869年(大陸横断鉄道の完成まで)
- 起点と終点:イリノイ州ナブーからユタ州ソルトレイクシティまで
- 主要指導者:ブリガム・ヤング
- 歴史的意義:宗教的自由を求めた大規模な集団移住のルート
西への旅路:ナブーからの脱出と定住への道
旅の始まりは1846年、イリノイ州の拠点であったナブーからの脱出でした。ブリガム・ヤング率いる信徒たちは、厳しい冬の寒さにさらされながらミシシッピ川を渡り、アイオワ州へと進みました。彼らは単に移動するだけでなく、後から来る人々が飢えないよう、道中に一時的な集落(ガーデングローブやマウントピスガなど)を作り、農作物を栽培するという計画的な移住戦略を取りました。


アイオワ州を横断した後、彼らはネブラスカ州のミズーリ川沿いに「ウィンタークォーターズ」という大規模な冬営地を築きました。ここでは壊血病や肺炎などの病気が蔓延し、多くの犠牲者が出ましたが、同時に次なる旅に必要な物資を蓄える重要な拠点となりました。1847年春、ついにヤング率いる先遣隊が、当時の米国境界外であったソルトレイクバレーに到達し、新たなコミュニティの礎を築きました。

ハンドカート開拓者の悲劇
1856年から1860年にかけては、費用を抑えるために牛車ではなく手押し車(ハンドカート)で移動する人々が増えました。しかし、出発時期の遅れと記録的な猛吹雪が重なり、ウィリー隊やマーティン隊などのグループがワイオミング州で壊滅的な打撃を受けました。レッドバットやマーティンズコーブといった地名は、今も当時の過酷な生存闘争を物語っています。

トレイル沿いの主要な地理的ランドマーク
この長い旅路には、自然の険しさと歴史的な転換点となる場所が点在しています。特にワイオミング州のサウスパスは大陸分水嶺を越える重要な地点であり、ユタ州のビッグマウンテンは標高8,400フィート(約2,600m)に達するルート上の最高地点でした。






また、ジム・ブリジャーが設立したフォート・ブリジャーは、オレゴン、カリフォルニア、モルモンという3つの主要ルートが分かれる戦略的な拠点として機能しました。
| 州 | 主要地点・ランドマーク | 歴史的役割・特徴 |
|---|---|---|
| イリノイ州 | ナブー | 旅の起点、初期の主要集落 |
| アイオワ州 | ガーデングローブ / マウントピスガ | 後続者のための食料供給拠点 |
| ネブラスカ州 | ウィンタークォーターズ | 最大規模の冬営地、物資調達拠点 |
| ワイオミング州 | サウスパス / フォート・ララミー | 大陸分水嶺の通過と物資の補給 |
| ユタ州 | ソルトレイクシティ | 最終目的地、新コミュニティの建設 |
旅の終焉と遺産
20年以上にわたって利用されたこの過酷な道は、1869年にアメリカ大陸横断鉄道が完成したことでその役割を終えました。鉄道の開通により、人々は数ヶ月かかっていた旅をわずか数日で移動できるようになり、開拓時代の物理的な苦難は過去のものとなりました。しかし、このトレイルは現在、アメリカの国立歴史トレイルとして保存され、不屈の精神と信仰の象徴として後世に伝えられています。
Frequently Asked Questions
なぜ彼らはわざわざ遠いユタ州を目指したのですか?
当時のアメリカ東部や中西部で激しい宗教的迫害を受けていたため、政府や他者の干渉を受けずに自分たちの信仰に基づいた社会を築ける、十分に離れた場所(グレートベースン)を求めたためです。
ハンドカート開拓者とはどのような人々ですか?
牛や馬などの家畜を飼う余裕がなかった貧しい移住者たちが、自力で引く手押し車(ハンドカート)を用いて移動した人々です。コストは低いものの、肉体的な負担が極めて大きく、特に悪天候時に多くの犠牲者を出しました。
ウィンタークォーターズとは何だったのでしょうか?
ネブラスカ州のミズーリ川沿いに作られた大規模な冬営地です。準備不足のまま出発した開拓者たちが、冬の寒さをしのぎ、翌年の西進に必要な食料や装備を整えるための待機場所として機能しました。
このトレイルは他の開拓ルートとどう違うのですか?
ルートの多くはオレゴン・トレイルなどと共通していますが、目的が「土地の所有」や「金鉱探し」ではなく、「宗教的コミュニティの形成」であった点、および道中に計画的な食料供給拠点を設けた点に特徴があります。
旅の終わりに影響を与えた出来事は何ですか?
1869年の大陸横断鉄道の完成です。これにより、危険で時間のかかる徒歩や馬車による移動が不要となり、鉄道による迅速な移住が可能になったため、トレイルとしての利用は終了しました。
References
- , pp. 53–222
- , pp. 208–215
- National Mormon Trails Association, Discover the National Mormon Trails Auto Tour
- , p. 6
- , pp. 222–223
- , pp. 31–40
- , pp. 234–238, 247–248
- (1921). William Clayton's Journal. Salt Lake City: Deseret News.
- , p. 244
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