アンフィロヒエ・メトロポリタン:モンテネグロ正教会の指導者としての生涯と影響

セルビア正教会の高位聖職者であり、神学者、教授、そして翻訳家としても知られたアンフィロヒエ(本名:リスト・ラドヴィッチ)は、モンテネグロにおける宗教的・政治的な精神的支柱として多大な影響力を持ちました。1990年から2020年までモンテネグロおよび沿岸地域のメトロポリタン(管区主教)を務め、地域のアイデンティティと信仰の守護者として活動しました。

Radović as a young student

主要な事実(Key Facts)

  • 正式名称:アンフィロヒエ・メトロポリタン(1938年〜2020年)
  • 主な役職:モンテネグロおよび沿岸地域メトロポリタン管区の長
  • 学術的背景:神学博士(Th.D.)であり、ベオグラード大学などで教授を歴任
  • 言語能力:ギリシャ語、ロシア語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、古教会スラヴ語など多言語に精通
  • 政治的立場:セルビアとモンテネグロの統合を支持し、モンテネグロにおけるセルビア正教会の権威を維持することに尽力

学術的基盤と初期のキャリア

アンフィロヒエの歩みは、ヨーロッパ各地での高度な学術研究から始まりました。パリの聖セルギウス正教神学校、ローマの教皇東方研究所、ベルンの古カトリック学部で学び、深い神学的知見を養いました。その後、ギリシャに7年間滞在して修道誓願を立て、「アンフィロヒエ」の名を授かりました。

アテネ大学で聖グレゴリオス・パラマスに関する博士論文をまとめ、神学博士号を取得した彼は、アトス山での修行を経て、再びパリの聖セルギウス正教神学校で教授として教鞭を執りました。1976年からはベオグラード神学部で正教教理学の教授を務めるなど、教育者としても高く評価されました。

主教としての歩みとモンテネグロへの就任

1985年にバナトの主教に任命されたアンフィロヒエは、1990年までその職にありました。この時期、彼はセルビアの知識人として、クロアチアにおけるセルビア人の権利保護を訴えるなど、強い民族的・宗教的信念を表明していました。

1990年12月、前任者のダニロ3世の引退に伴い、モンテネグロおよび沿岸地域のメトロポリタンに選出されました。この就任は、多くの政治家や民族主義者たちに歓迎され、彼がモンテネグロにおけるセルビア正教会の最高指導者としての道を歩み始める転換点となりました。

Amfilohije in 2017.

宗教的権威と政治的論争

メトロポリタン就任後、アンフィロヒエは信仰の普及だけでなく、地域のアイデンティティを巡る激しい論争の中心人物となりました。特に2005年にルミヤ山に教会を建立した際、軍の協力を得たこの行動は、他宗教との調和を乱すとして一部のメディアや政治家から批判を浴びました。

2006年のモンテネグロ独立住民投票に際しては、セルビアとの統合を強く支持しました。独立後も、モンテネグロ正教会(MOC)との対立や、政府による宗教法の制定に強く反対し、信者を率いて大規模な抗議祈祷行進(リティヤ)を主導しました。

Protest prayer walks in front of the Cathedral of the Resurrection of Christ in Podgorica, on 26 January 2020.

晩年と最期

2020年10月、新型コロナウイルス(COVID-19)に感染しました。一時的に回復したものの、その後肺炎などの合併症により容態が急激に悪化し、侵襲的換気措置が必要な状態となりました。同年10月30日、ポドゴリツァにて82歳で逝去しました。遺体はポドゴリツァのキリスト復活大聖堂の地下聖堂に安置されています。

Metropolitan Amfilohije's grave in the crypt of the Podgorica Cathedral.

プロフィールまとめ

アンフィロヒエ・メトロポリタンの経歴概要
項目 詳細
生没年 1938年1月7日 〜 2020年10月30日
主な称号 メトロポリタン、大主教、神学博士
主要ポスト バナト主教 (1985-1990) → モンテネグロおよび沿岸地域メトロポリタン (1990-2020)
主な学歴 ベオグラード大学、教皇東方研究所、アテネ大学
主な功績 数多くの神学書の執筆、ギリシャ語・セルビア語間の翻訳活動

よくある質問(FAQ)

アンフィロヒエ・メトロポリタンとはどのような人物でしたか?

セルビア正教会の高位聖職者であり、モンテネグロにおける正教会の指導者です。神学者として深い知識を持ちながら、同時にモンテネグロの政治的・民族的なアイデンティティを巡る活動に深く関わった人物です。

彼はどのような学術的背景を持っていましたか?

パリ、ローマ、ベルン、アテネなどヨーロッパの主要な神学機関で学び、アテネ大学で神学博士号を取得しました。多言語に精通し、大学教授として教鞭を執った経験を持つ、極めて学術的な背景を持つ聖職者でした。

モンテネグロ独立に際してどのような立場でしたか?

2006年の独立住民投票では、モンテネグロが独立することではなく、セルビアとの連邦体制を維持することを支持し、統合キャンペーンの重要人物として活動しました。

死因は何でしたか?

新型コロナウイルス(COVID-19)への感染による肺炎などの合併症が原因で、2020年10月30日に亡くなりました。

彼の遺志や影響はどこに残っていますか?

彼が主導したキリスト復活大聖堂などの教会建築や、モンテネグロにおけるセルビア正教会の地位確立、そして彼が執筆・翻訳した多くの神学的著作の中にその影響が残っています。