メイズ刑務所の歴史と紛争の記憶:ロング・ケッシュから平和への道
北アイルランドのダウン州に位置したメイズ刑務所(HM Prison Maze)は、単なる拘置施設ではなく、激動の時代「トラブルズ(北アイルランド紛争)」の象徴的な場所でした。かつてのロング・ケッシュ拘留センターから始まり、後に「Hブロック」として知られる高セキュリティ施設へと変貌を遂げたこの場所は、政治的信念と国家権力が激しく衝突した舞台となりました。
1971年から2000年まで運用されたこの施設は、パラミリタリー(準軍事組織)の囚人たちを収容し、その内部では絶え間ない抗議活動と脱獄劇、そして悲劇的なハンガーストライキが繰り広げられました。

Key Facts
- 正式名称: Her Majesty's Prison Maze(旧称:ロング・ケッシュ拘留センター)
- 運用期間: 1971年8月9日 〜 2000年9月29日
- 所在地: 北アイルランド ダウン州 リスバーン近郊
- 主な収容者: 北アイルランド紛争に関与した共和派および忠誠派の準軍事組織メンバー
- 象徴的な出来事: 1981年のハンガーストライキ、1983年の大規模脱獄
施設の成り立ちと「特別カテゴリーステータス」の葛藤
メイズ刑務所の前身は、元RAF(王立空軍)のロング・ケッシュ基地を利用した拘留センターでした。1971年の「オペレーション・デメトリウス」による大量逮捕を経て、多くの容疑者がここに収容されました。当初、収容者はニッセンハット(半円筒形の簡易小屋)に分かれて収容されていました。
囚人たちは自らを単なる犯罪者ではなく「政治犯」であると主張し、待遇の改善を求めました。これに応える形で1972年、特別カテゴリーステータス(Special Category Status)が導入されました。これにより、囚人は制服の着用を免除され、自由な交流や外部からの食料包みの受け取り、面会回数の増加といった特権を享受できるようになりました。
しかし、イギリス政府は1976年に「犯罪者化(criminalisation)」政策へと転換し、この特権を廃止しました。以降に有罪判決を受けた者は、新設された「Hブロック」と呼ばれる高セキュリティ棟に収容され、一般の犯罪者として扱われることになりました。

Hブロックでの抗議活動:ブランケットからダーティ・プロテストへ
特権の剥奪に激しく反発した囚人たちは、Hブロック内で激しい抗議活動を展開しました。まず、囚人服の着用を拒否し、ベッドシーツを体に巻き付けて過ごす「ブランケット・プロテスト(毛布抗議)」が始まりました。
状況はさらに悪化し、シャワー室への移動中に暴行を受けることを恐れた囚人たちが、セル(独房)から出ないことを決意しました。これにより、排泄物を壁に塗りつけるという過酷な「ダーティ・プロテスト(汚物抗議)」へと発展しました。これらの行為は、自らの政治的地位を認めさせるための絶望的な抵抗手段でした。
欧州人権裁判所は後に、当時の尋問手続きにおける「残酷で非人道的かつ屈辱的な扱い」について、イギリス政府の責任を認める判決を下しています。
命を懸けた闘い:1981年のハンガーストライキ
抗議の最終手段として選ばれたのが、食料を拒否するハンガーストライキでした。1981年、ボビー・サンズ率いる共和派囚人たちが政治的地位の回復を求めて断食を開始しました。サンズは断食中に選挙で当選するという衝撃的な展開を見せましたが、66日間の断食の末に死去しました。
サンズに続き、さらに9名の囚人が命を落としました。この悲劇は世界的な注目を集め、北アイルランド内外で大きな社会的影響を与えました。

脱獄劇と内部の秩序
メイズ刑務所は、その厳重な警備にもかかわらず、歴史的な脱獄事件の舞台となりました。1983年には、食事運搬車をハイジャックして38名が脱走するという、英国の平時における最大規模の脱獄が発生しました。また、1997年には40フィートに及ぶトンネルを掘って脱走を試みた事例や、女性に変装して脱出した事例も記録されています。
一方で、1980年代後半になると、政府は実質的に政治的地位を認める方向へ舵を切りました。囚人たちは組織ごとに分かれて収容され、内部では準軍事組織の軍隊的な規律に基づいた独自の管理体制が築かれていました。
平和への転換と施設のその後
1998年のグッドフライデー合意は、メイズ刑務所の運命を決定づけました。和平プロセスの一環として、多くの準軍事組織メンバーが釈放され、2000年9月29日、最後の囚人が移送されたことで施設は正式に閉鎖されました。
閉鎖後の跡地利用については、国立スタジアムの建設や平和センターの設立など、多くの計画が提案されました。しかし、政治的な対立や予算の問題により、多くの計画が頓挫しました。現在は一部が「バルモラル・パーク」として利用されており、歴史的な建物の一部は保存されていますが、その完全な再生への道は今なお模索されています。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 旧称 | ロング・ケッシュ拘留センター |
| 主要施設 | Hブロック(高セキュリティ棟) |
| 主要な抗議 | ブランケット・プロテスト、ダーティ・プロテスト、ハンガーストライキ |
| 閉鎖の理由 | グッドフライデー合意に伴う囚人の釈放と和平プロセス |
| 現在の状況 | 一部解体、バルモラル・パークとして利用 |
Frequently Asked Questions
メイズ刑務所とロング・ケッシュの違いは何ですか?
もともとは「ロング・ケッシュ拘留センター」という名称の施設でしたが、1976年に新設のHブロックが導入され、正式に「Her Majesty's Prison Maze(メイズ刑務所)」と改称されました。一般的に、初期のキャンプ形式の時代をロング・ケッシュ、後の高セキュリティ刑務所時代をメイズと呼び分けることが多いです。
「特別カテゴリーステータス」とは具体的にどのような特権でしたか?
政治犯として認められた囚人に与えられた特権で、刑務所制服ではなく私服の着用が許され、囚人同士の自由な交流や、外部からの食料包みの受け取り、面会回数の増加などが認められていました。
なぜ「ダーティ・プロテスト」という過激な方法が取られたのですか?
囚人たちがセルから出る際に職員から暴行を受けることを避けるため、独房に留まり続けたことが始まりです。トイレ(便器)の使用を拒否し、排泄物を壁に塗りつけることで、自分たちが置かれた非人道的な状況を外部に訴え、政治的地位の回復を求める目的がありました。
1981年のハンガーストライキの結果はどうなりましたか?
ボビー・サンズを含む計10名の囚人が死亡しました。この出来事は国際的な抗議を巻き起こし、結果として囚人たちの待遇改善や、後の和平プロセスへとつながる政治的な圧力となりました。
現在はどのような施設になっているのでしょうか?
多くの建物が解体されましたが、一部の区画は保存されています。跡地の一部は「バルモラル・パーク」という展示場として利用されており、平和センターの建設案もありましたが、政治的合意に至らず現在は限定的な整備にとどまっています。
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