オペラ界に不滅の足跡を残したメゾソプラノ歌手、マリリン・ホーン。彼女は卓越した技巧と表現力で、特に技巧的な歌唱法であるベルカント・オペラの再評価に大きく貢献しました。映画の吹き替えやポップスの録音から始まり、世界最高峰の歌劇場を制覇するまで、彼女が歩んだ多彩なキャリアを紐解きます。

Key Facts

  • キャリアの原点: 1954年に映画『カルメン・ジョーンズ』でドロシー・ダンドリッジの歌唱パートを担当。
  • 世界的飛躍: イゴール・ストラヴィンスキーに見出され、1956年のヴェネツィア音楽祭への出演でオペラ歌手としての道を切り拓く。
  • 黄金のコンビ: ソプラノのジョーン・サザーランドと共に、ベルカント作品の数々で絶賛された。
  • 歴史的快挙: 1984年、メトロポリタン歌劇場で史上初となるヘンデルのオペラ『リナルド』を上演。
  • 後進の育成: 引退後もマリリン・ホーン財団の設立や、名門音楽院でのマスタークラスを通じて教育に尽力。

プロとしての黎明期と欧州での成功

ホーンの音楽人生は、意外にも多様なジャンルから始まりました。初期にはテレビ番組のバックコーラスや、安価な店で販売されるポップスのカバー曲を録音していました。プロとしての大きな転機となったのは1954年、映画『カルメン・ジョーンズ』で主演の歌唱を代行したこと、そして同年、ロサンゼルス・ギルド・オペラで『売られた花嫁』のハタ役を演じたことでした。

彼女の才能を世界に知らしめたのは、作曲家イゴール・ストラヴィンスキーでした。彼の招待で1956年のヴェネツィア音楽祭に出演したことを機に、彼女はヨーロッパへと舞台を移します。ゲルゼンキルヒェン歌劇場での3シーズンにわたる活動の中、1960年の新歌劇場開場公演で演じたアルバン・ベルク作『ヴォツェック』のマリー役は、極めて高い評価を得ました。

その後、彼女の活躍はアメリカ国内にも波及し、サンフランシスコ・オペラでの『ヴォツェック』出演や、シカゴ・リリック・オペラでのヴィットリオ・ジャンニーニ作『ザ・ハーベスト』におけるローラ役の創役など、着実に地位を確立していきました。

ベルカントの頂点へ:サザーランドとの共演と名門歌劇場の制覇

マリリン・ホーンの名を不動のものにしたのは、名ソプラノ歌手ジョーン・サザーランドとの類まれなるパートナーシップです。1961年にマンハッタンのタウンホールで披露したベッリーニの『ベアトリーチェ・ディ・テンダ』のコンサート公演は大成功を収め、カーネギーホールでの再演へと繋がりました。二人の共演はその後も続き、1965年のロッシーニ『セミラミード』や、1979年にテレビ放送されたリンカーンセンターでのコンサートなど、ベルカント・レパートリーの極致を世に示しました。

世界的な名門歌劇場への挑戦も続きました。1964年にロイヤル・オペラハウスで『ヴォツェック』を演じ、1969年にはラ・スカーラ歌劇場でストラヴィンスキーの『エディプス王』に初出演。同年、同劇場で演じたロッシーニの『コリントスの包囲』では、幕の途中で7分間ものスタンディングオベーションを受けるという驚異的な快挙を成し遂げました。

1970年にはメトロポリタン歌劇場(MET)に、ベッリーニの『ノルマ』のアダルジザ役としてデビュー。以降、METの常連となり、1972/73シーズンの開幕公演で『カルメン』を演じたほか、マイアベーアの『預言者』でも成功を収めました。また、1984年にはMET史上初のヘンデル作品となる『リナルド』のタイトルロールを演じ、その歴史に名を刻みました。

Beniamino Prior as Wilhelm Meister and Marilyn Horne as the titular Mignon, Edmonton Opera, 1978.

オペラの枠を超えた多彩な活動

正統派のオペラ歌手として知られる一方で、ホーンはアメリカの現代音楽やポピュラー音楽にも深い関心を持っていました。ウィリアム・ボルコムなどの現代作曲家の作品を歌い上げたほか、映画『フラワードラム・ソング』のサウンドトラックへの参加や、ジュリー・アンドリュース主演の『王様と私』のフィリップス録音でレディ・ティアン役を務めるなど、幅広い表現力を披露しました。

また、エンターテインメントの世界でもその才能を発揮しました。コメディドラマ『 Odd Couple(おかしな二人)』では、内気な歌手志望から次第にディーヴァへと変貌する「ジャッキー」役を演じ、ジョニー・カーソンやキャロル・バーネットのショーにも出演しています。

公的な場での歌唱活動も顕著で、1986年の自由の女神100周年記念コンサート(ズビン・メータ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団)や、1993年のビル・クリントン大統領就任式で「Make A Rainbow」やシェイカー教徒の賛美歌「Simple Gifts」を歌い上げました。

音楽への情熱を次世代へ:引退後の歩み

1999年、シカゴ交響楽センターでのリサイタルをもってコンサートステージから引退しましたが、彼女の音楽への情熱は形を変えて受け継がれています。ヴォーカル・リサイタルの芸術性を保存するための「マリリン・ホーン財団」を設立し、後進の育成に心血を注いでいます。

教育者としての活動は多岐にわたり、オーブリン音楽院、メリーランド大学、マンハッタン音楽大学、オクラホマ大学などで毎年マスタークラスを開催。また、1997年から2018年までカリフォルニア州サンタバーバラのミュージック・アカデミー・オブ・ザ・ウェストで声楽プログラムのディレクターを務め、現在は名誉ディレクターとして活動しています。

時期/年 主要な出来事・出演作 特記事項
1954年 映画『カルメン・ジョーンズ』 ドロシー・ダンドリッジの歌唱代行
1956年 ヴェネツィア音楽祭 ストラヴィンスキーの招待によるオペラ界デビュー
1961年 『ベアトリーチェ・ディ・テンダ』 ジョーン・サザーランドとの伝説的共演の始まり
1969年 ラ・スカーラ『コリントスの包囲』 劇中で7分間の喝采を受ける
1984年 MET『リナルド』 メトロポリタン歌劇場初のヘンデル作品上演
1999年 シカゴ交響楽センター コンサートステージから引退

Frequently Asked Questions

マリリン・ホーンが最も得意とした音楽ジャンルは何ですか?

彼女は特にベルカント(イタリア語で「美しい歌唱」を意味する、技巧的な歌唱法)やオペラ・セリアの役柄で高く評価されました。同時に、アメリカの現代音楽や伝統的なポピュラーソングなど、幅広いジャンルを歌いこなしました。

ジョーン・サザーランドとはどのような関係でしたか?

二人は長年にわたり、ベルカント・レパートリーにおいて最高のパートナーとして共演しました。1961年のベッリーニ作品のコンサートを皮切りに、多くの公演や録音、テレビ放送を通じて、オペラ界に黄金時代を築いたコンビとして知られています。

オペラ以外の活動でどのような仕事をしていましたか?

映画の歌唱代行(吹き替え)やサウンドトラックへの参加、テレビ番組へのゲスト出演など、多方面で活動しました。また、大統領就任式などの国家的なイベントでの歌唱や、自伝の執筆も行っています。

引退後はどのような活動をしていますか?

主に教育活動に専念しています。自身の財団を設立してリサイタルの芸術を保存しているほか、複数の名門音楽大学でマスタークラスを指導し、次世代の声楽家の育成に尽力しています。

メトロポリタン歌劇場での特筆すべき功績は何ですか?

1970年のデビュー後、多くの主要役を演じましたが、特に1984年にヘンデルの『リナルド』を上演したことは、同劇場で初めてヘンデルのオペラが上演されたという歴史的な出来事となりました。