20世紀の演劇界において、リリー・フォンタンヌほど洗練された演技と圧倒的な存在感を放った女優は稀でしょう。イギリスで生まれ、アメリカのブロードウェイで頂点を極めた彼女は、夫であり最高のパートナーであったアルフレッド・ラントと共に、舞台上の対話に「真実味」という新たな息吹を吹き込みました。単なるスターにとどまらず、演劇の表現手法そのものを変えた彼女の足跡を辿ります。

Key Facts

  • 革新的な演技法: 相手のセリフに被せて話すなど、日常に近い自然な会話術を舞台に導入した。
  • 黄金のパートナーシップ:アルフレッド・ラントと共に、生涯にわたる不朽の演劇的コンビを形成。
  • 幅広い役域: 洗練されたコメディから、ユージン・オニールなどの前衛的な実験劇までを完璧に演じ分けた。
  • 国際的な活躍: ロンドンのウエストエンドとニューヨークのブロードウェイの両方で絶大な成功を収めた。

早年のキャリアとイギリスでの研鑽

1887年、ロンドンのウッドフォードに生まれたリリー・フォンタンヌは、若くして演劇の世界に飛び込みました。名女優エレン・テリーによる指導を受けたことが彼女の才能を開花させ、1905年にはドゥルーリー・レーン劇場でデビューを果たします。当初はコーラスやセリフのない端役(ウォークオン)からスタートしましたが、次第に重要な役を任されるようになりました。

彼女の多才さが際立ったのは、アーノルド・ベネットらの作品『Milestones』において、同一人物の青年期から老年期までを演じ分けた時でした。この演技はアメリカのスター、ローレット・テイラーに強い印象を与え、後のアメリカ進出への道を開くことになります。1914年には『My Lady's Dress』で大きな成功を収めましたが、私生活では婚約者が第一次世界大戦で戦死するという深い悲しみを経験しました。

Young white woman in 1914 daywear, seated at a table, teacup in hand

ブロードウェイでの飛躍と運命の出会い

ローレット・テイラーの劇団に誘われニューヨークへ渡ったフォンタンヌは、そこで自身の演技スタイルをさらに磨き上げました。テイラーとの共演を通じて、彼女は「演じていることを忘れさせる」ほどの自然なアプローチを習得します。そして、ワシントンDCでの公演中に俳優アルフレッド・ラントと出会い、二人は深い愛に落ちました。

1922年に結婚した二人は、1923年の『Sweet Nell of Old Drury』で初めて共演。この作品でフォンタンヌは批評家から絶賛され、ブロードウェイにおける確固たる地位を築きました。

Young white woman in late 17th century costume with huge hat
Young man and young woman, white, in studio portrait

シアター・ギルドでの挑戦と演技革命

1924年、夫妻は商業主義に捉われず革新的な作品を上演する「シアター・ギルド」に加入します。ここで彼らは、バーナード・ショーの『ピグマリオン』などの名作に出演し、軽妙なコメディから重厚なドラマまでを自在に操る名コンビとして知られるようになりました。

特に注目すべきは、彼らが導入した自然主義的な対話術です。当時の演劇では一般的ではなかった「相手が話し終える前に言葉を重ねる」という手法を取り入れたことで、舞台上のシーンに驚くほどの生々しさと躍動感が生まれました。1928年の『Caprice』以降、二人は常にセットで出演する不可分なパートナーとなり、全米各地へツアーを行うことで、地方の人々にも質の高い演劇を届けるという信念を実践しました。

young white woman in Japanese kimono worn as a dressing gown, next to standing middle-aged man in working clothes raising his hand threateningly, ignored by her

ノエル・カワードとの親交と栄光

フォンタンヌとラントは、劇作家ノエル・カワードと親密な友人関係にありました。1932年、三人のために書き下ろされた『Design for Living』は、当時の社会的なタブーに触れる大胆な設定ながら、三人のスターの魅力によって空前の大ヒットを記録し、ブロードウェイ史上最高額の出演料を叩き出したと言われています。

young, clean-shaven white man in neat, informal 1920s clothes

その後、カワードによるシリアスな新作『Point Valaine』に出演しますが、これは彼らのキャリアの中で唯一の失敗作となりました。観客が彼らに求めていたのは、華やかでロマンティックな魅力であったため、暗い物語は受け入れられなかったようです。

戦時中の活動と晩年の功績

1940年代、第二次世界大戦が激化すると、フォンタンヌは故郷イギリスの家族や友人と苦難を共にしたいと願い、夫妻で英国へ戻りました。彼らはウエストエンドでの公演だけでなく、フランスやドイツの軍キャンプを巡る慰問公演を行い、兵士たちに希望を届けました。

戦後は再びアメリカに戻り、数々のヒット作を上演。1958年には、自分たちの名を冠した「ラント=フォンタンヌ劇場」をニューヨークにオープンさせました。彼らの最後の舞台となったのは、デュレンマットの『訪問者』であり、1960年にロンドンのロイヤリティ劇場で幕を閉じた後、夫婦揃って舞台を引退しました。

middle-aged white couple smiling at the camera, she leaning over his shoulder

二人はウィスコンシン州ジェネシー・デポにある邸宅「テン・チムニーズ」で穏やかな時間を過ごしました。ここは多くの演劇人が集う聖地のような場所となっていました。ラントは1977年に、フォンタンヌは1983年に95歳でこの世を去りました。

large country house exterior

まとめ:リリー・フォンタンヌの足跡

リリー・フォンタンヌは、単なる名女優である以上に、舞台における「会話」の概念を変えた先駆者でした。夫との完璧な調和と、絶え間ない挑戦心こそが、彼女を永遠のレジェンドたらしめた理由でしょう。

リリー・フォンタンヌのキャリア概要
期間/時代 主な活動・出来事 代表作・重要地点
1905年〜1916年 イギリスでの修行と初期キャリア My Lady's Dress, ドゥルーリー・レーン劇場
1918年〜1920年代 ブロードウェイ進出とラントとの結婚 Dulcy, Sweet Nell of Old Drury
1924年〜1930年代 シアター・ギルド加入と演技法の革新 ピグマリオン, Caprice
1932年〜1934年 ノエル・カワードとの黄金期 Design for Living
1943年〜1945年 第二次世界大戦中の慰問公演 ウエストエンド, 欧州軍キャンプ
1950年代〜1960年 晩年の活動と引退 The Visit, ラント=フォンタンヌ劇場

Frequently Asked Questions

リリー・フォンタンヌが演劇界に与えた最大の影響は何ですか?

最も大きな影響は、舞台上のセリフに自然なリズムを持ち込んだことです。相手の言葉に被せて話すなど、実際の人間同士の会話に近い手法を導入し、演劇のリアリズムを飛躍的に高めました。

アルフレッド・ラントとはどのような関係でしたか?

夫婦であると同時に、演劇における最高のパートナーでした。1928年の『Caprice』以降は常に二人で出演し、互いの演技を高め合うことで、ブロードウェイで唯一無二のコンビとして君臨しました。

シアター・ギルドとはどのような組織でしたか?

商業的な成功だけを追求せず、革新的で真剣な演劇を上演することを目指した劇団です。フォンタンヌとラントはここで、前衛的な作品や古典的な名作に挑戦し、その演技の幅を広げました。

彼女のキャリアの中で唯一の失敗作とされているのはどの作品ですか?

ノエル・カワードが執筆した『Point Valaine』です。シリアスで暗い物語であったため、彼らに華やかさを求めていた当時の観客には受け入れられず、短期間で幕を閉じました。

晩年を過ごした「テン・チムニーズ」とはどのような場所でしたか?

ウィスコンシン州ジェネシー・デポにある彼らの別荘です。多くの演劇関係者が集まる社交の場となっており、俳優たちにとっての「聖地」のような存在であったと言われています。