アメリカ南西部の歴史と文化を解き明かす旅において、キャサリン・バートレット(Katharine Bartlett)の名は欠かせません。彼女は、北アリゾナ博物館(MNA)の基盤を築いただけでなく、先史時代の人間活動や先住民族の文化研究に生涯を捧げた卓越した人類学者でした。女性への制約が多かった時代に、学術的な権威を確立し、地域の文化遺産を後世に伝えるための体系的な保存活動を主導した彼女の足跡を辿ります。

主要な実績と功績

  • 北アリゾナ博物館(MNA)の組織化: キュレーターとしてコレクションのカタログ化と保存体制を確立。
  • パレオインディアン研究への貢献: フォルサム伝統と後続文化の連続性を証明し、従来の誤った説を正した。
  • 大規模な救済考古学の主導: グレンキャニオン・ダム建設に伴う最大規模の遺構記録プロジェクトのカタログシステムを構築。
  • 学術的権威の確立: アメリカ考古学会(SAA)で、女性として最初期にフェローに選出された一人となった。

学問への道と北アリゾナ博物館でのキャリア

1907年にコロラド州デンバーで生まれたバートレットは、デンバー大学でエティエンヌ・ベルナードー・ルノーのもと、物理人類学(人間の骨格や身体的特徴から進化や集団を研究する学問)を学び、修士号を取得しました。彼女の転機となったのは1930年、北アリゾナ博物館で開催されたホピ族の工芸品展の助手として採用されたことでした。

当時の南西部における考古学・民族学の権威であったハロルド・セラーズ・コルトンに才能を認められた彼女は、設立からわずか2年だったMNAに留まり、博物館の組織化を任されます。1930年から1952年までキュレーターを務め、散在していた人類学コレクションの整理と保存に尽力しました。

フィールドワークと先史時代の解明

バートレットの功績は博物館内にとどまりませんでした。1931年にはコルトンと共に、リトルコロラド川流域に広がるナバホ居留地で大規模な調査を実施し、260もの考古学的サイトを特定しました。特にトルチャコ付近の礫層から出土した遺物の分析は、この地域におけるパレオインディアン(北米大陸に最初に入植した古インディアン)研究の先駆けとなりました。

また、1946年のペコス会議において、彼女は重要な学術的修正を行いました。それまでフランク・ロバーツが主張していた「フォルサム伝統とそれ以降の文化の間には断絶がある」という説が誤りであることを科学的に証明し、文化的な連続性を示したのです。

グレンキャニオン・プロジェクトへの貢献

1952年、同居人であったジーン・フィールド・フォスターの誘いにより、グレンキャニオン・ダム建設予定地での救済調査に参加しました。これは国立公園局のサンタフェ地域事務所が管轄する「機関間考古学救済プログラム(IASP)」において最大規模のプロジェクトとなりました。バートレットは、5年以上にわたる膨大な調査結果を管理するためのカタログシステムを構築し、貴重な資料の散逸を防ぎました。

執筆活動と後年の貢献

1928年から彼女は、アリゾナ州の先住民族に関する論文を数多く発表しました。研究対象は古鉱山、食文化、先史時代の道具、そしてホピ族ナバホ族の伝統工芸まで多岐にわたります。特に、フラッグスタッフ地域のプエブロ族の製粉石に関する研究は、石製調理器具の効率的な進化を分析した標準的な参考文献として、現在も高く評価されています。

1953年からはMNAの司書として、北アリゾナにおける包括的な研究施設を構築するために数千冊の蔵書を収集しました。その後、1974年から退職する1981年まではアーカイブ担当として、地域の歴史記録の保存に当たりました。

キャサリン・バートレットの経歴まとめ
期間 / 年代 役割・出来事 主な成果
1930年 - 1952年 MNAキュレーター 人類学コレクションの組織化と保存
1931年 ナバホ居留地調査 260のサイトを特定、パレオインディアン研究を推進
1935年 アメリカ考古学会フェロー 女性として最初期のフェロー選出
1952年 - 1957年頃 グレンキャニオン救済調査 最大規模の考古学コレクションのカタログ化
1953年 - 1974年 MNA司書 研究用ライブラリーの構築
1974年 - 1981年 MNAアーカイブ担当 歴史文書の保存と管理

栄誉と晩年

アリゾナ科学アカデミーやアリゾナ大学女性協会の創設メンバーであった彼女は、アメリカ科学振興協会(AAAS)やアメリカ人類学会のフェローにも選ばれました。1986年にはスミソニアン博物館で「砂漠の娘(Daughter of the Desert)」と題した展覧会が開催され、1991年にはアリゾナ州の歴史への貢献が認められ、シャーロット・ホール賞を受賞しました。

1981年に退職した後も、1990年までボランティアとして博物館を支え続けました。2001年5月22日にセドナで没しましたが、その功績は不滅であり、2008年には死後にアリゾナ女性名誉殿堂に殿堂入りを果たしました。

Frequently Asked Questions

キャサリン・バートレットの最も重要な学術的貢献は何ですか?

パレオインディアンの研究において、フォルサム伝統と後続文化の間に断絶があるという従来の説を否定し、文化的な連続性を証明したことが大きな功績です。また、製粉石の研究は、当時の食糧加工技術の進化を示す標準的な文献となりました。

北アリゾナ博物館(MNA)で彼女はどのような役割を果たしましたか?

キュレーターとしてコレクションの体系的な整理を行い、その後は司書として研究ライブラリーを構築し、最後にはアーカイブ担当として歴史資料を保存するなど、博物館の学術的基盤を多方面から作り上げました。

グレンキャニオン・プロジェクトとはどのような活動でしたか?

ダム建設によって水没する地域の考古学的遺構を記録し、保存するための救済調査です。バートレットはこの膨大なコレクションを管理するためのカタログシステムを構築し、効率的な保存を実現しました。

彼女は女性研究者としてどのような先駆的な存在でしたか?

1935年にアメリカ考古学会(SAA)で、女性として最初期に選出された4人のフェローの一人となりました。男性中心だった当時の考古学界において、実力で高い地位と評価を勝ち取った先駆者です。

彼女が受賞した「シャーロット・ホール賞」とはどのような賞ですか?

アリゾナ州の歴史保存や研究に多大な貢献をした人物に贈られる賞であり、彼女の生涯にわたる地域文化への献身が認められて1991年に授与されました。