アメリカ西部開拓時代の象徴ともいえるジェームズ・ヤンガー団は、単なる犯罪集団ではなく、南北戦争という激動の時代背景から生まれた悲劇的な側面を持つ無法者たちでした。彼らは銀行や列車を襲撃し、当時の社会に衝撃を与えましたが、その活動の根底には政治的な対立と深い憎しみが潜んでいました。
Key Facts
- 結成の背景:南北戦争中のミズーリ州におけるゲリラ戦(ブッシュワッカー)に端を発する。
- 主なメンバー:ジェシーとフランクのジェームズ兄弟、およびコール、ジム、ボブのヤンガー兄弟。
- 象徴的な事件:1876年のノースフィールド銀行強盗事件が団の崩壊の決定打となった。
- 最期:リーダーのジェシーは、かつての仲間であるロバート・フォードに背後から撃たれて死亡した。
無法者たちの原点:南北戦争とミズーリの混乱
1861年に始まった南北戦争当時、ミズーリ州は公式には中立を維持していましたが、実際には連邦支持派と分離独立支持派の間で激しい衝突が起きていました。特に、南部支持のゲリラ兵であるブッシュワッカー(Bushwhackers)と呼ばれる集団が、組織的な連邦軍に対して激しい抵抗を展開しました。
この血塗られた内戦こそが、後のジェームズ・ヤンガー団の土壌となりました。戦後の混乱期、かつてのゲリラ兵たちが生き残る術として武装強盗に手を染め始めたのです。
犯罪への道と組織の形成(1866年〜1870年)
1866年2月、ミズーリ州リバティの貯蓄協会で、当時の常識を覆す「白昼の武装銀行強盗」が発生しました。この事件では多額の現金と債券が奪われ、通行人が犠牲となりました。当初はアーチー・クレメントという人物が主導したと考えられていましたが、後にジェームズ兄弟やコール・ヤンガーらの関与が浮上します。
彼らはその後も、刑務所からの脱獄や銀行襲撃を繰り返し、次第に組織的な犯罪集団へと変貌していきました。初期のメンバーが逮捕や死亡で減少する中で、ジェームズ兄弟とヤンガー兄弟を中心とした現在の体制が確立されました。

伝説の拡大とピンカートン社との対立
1870年代に入ると、彼らの活動範囲はミズーリ州を越え、アイオワ州やケンタッキー州にまで及びました。特に1873年のロックアイランド鉄道襲撃は、ミシシッピ川以西で最初と言われる列車強盗事件となり、彼らの名を全米に轟かせました。
これに対抗して投入されたのが、有名なピンカートン国立探偵社です。探偵社は執拗に彼らを追いましたが、1874年には捜査員が殺害されるという惨事が発生し、当局に大きな衝撃を与えました。

また、ピンカートン社によるジェームズ家の自宅への襲撃は、悲劇的な結果を招きました。放り込まれた焼夷弾が暖炉で爆発し、ジェシーの母ゼルダが腕を失い、9歳の異母弟アーチーが死亡したのです。この事件は、彼らが「体制に弾圧される悲劇の英雄」というイメージを植え付ける一因となりました。

運命の分かれ道:ノースフィールド銀行強盗事件
1876年9月7日、団は活動拠点から遠く離れたミネソタ州ノースフィールドの第一国立銀行を襲撃しました。しかし、この計画は大きな誤算に終わります。住民たちが彼らの正体に気づき、激しい抵抗が起きたためです。

乱戦の中で銀行員ジョセフ・リー・ヘイウッドや、偶然居合わせた住民ニコラス・グスタフソンが殺害されました。結果として、ヤンガー兄弟の3人は逮捕され、ミネソタ州スティルウォーターの刑務所に終身刑として収監されることになります。

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団の崩壊とジェシー・ジェームズの最期
ヤンガー兄弟を失ったジェシーは、その後も少数の仲間と共に強盗を続けましたが、次第に追い詰められていきました。1881年にはミズーリ州ウィンストンで列車強盗を行い、死者を出すなど凶行を重ねていました。

しかし、内部から崩壊が始まります。仲間内での争いから、ロバート・フォードが賞金を狙って当局と密約を結んだのです。1882年4月3日、フォードはジェシーが絵をかけていた背後から銃撃し、その生涯に終止符を打ちました。



一方、兄のフランクは後に投降しましたが、一部の事件で無罪判決を受けるなど、法的な駆け引きを経て1915年に72歳で没しました。
ジェームズ・ヤンガー団の概要まとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 活動期間 | 1861年(原点)〜1881年(事実上の解散) |
| 主な拠点 | アメリカ合衆国ミズーリ州 |
| 主な犯罪手法 | 銀行強盗、列車強盗、馬車強盗 |
| 主要メンバー | ジェシー・ジェームズ、フランク・ジェームズ、コール・ヤンガー、ジム・ヤンガー、ボブ・ヤンガー |
| 転換点となった事件 | 1876年 ノースフィールド銀行強盗事件 |
Frequently Asked Questions
ジェームズ・ヤンガー団はなぜ「義賊」のように語られたのか?
彼らが「富める者から奪い貧しい者に与える」という主張を展開したことや、南北戦争後の政治的対立の中で南部支持派のシンボルとして利用されたためです。また、ピンカートン社による家族への攻撃が、彼らへの同情票を集める結果となりました。
ノースフィールド事件でなぜ彼らは失敗したのか?
慣れない遠隔地での犯行であったことに加え、住民たちが勇敢に抵抗したことが要因です。また、襲撃直前にメンバーが飲酒していたという証言もあり、判断力が鈍っていた可能性が指摘されています。
ヤンガー兄弟はその後どうなったのか?
ボブは獄中で結核により死亡しました。コールとジムは1901年に仮釈放されましたが、ジムはその後自殺し、コールは特赦を受けてミズーリ州へ戻り、ワイルドウェストショーに出演した後、1916年に没しました。
ロバート・フォードはなぜジェシーを裏切ったのか?
直接的な動機は当局が提示した高額な賞金であったとされています。また、団内部での人間関係の悪化や、リーダーであるジェシーへの不満が背景にあったと考えられています。
References
- Wellman Jr., Paul I; Brown, Richard Maxwell (1986). A Dynasty of Western Outlaws. University of Nebraska Press. p. 384. .
- National Historical Company (1885). History of Clay and Platte Counties, Missouri. St. Louis: Press of Nixon-Jones Printing Co. pp. 259–260.
- "Clay County Savings Association Bank Liberty, Missouri". The James–Younger Gang: Come Ride With Us. Archived from the original on December 22, 1996. Retrieved February 6, 2014.
- "Jailer Henry Bugler". ODMP Remembers... The Officer Down Memorial Page.
- "Barry G. Griffin". ODMP Remembers... The Officer Down Memorial Page.
- Darryl (July 12, 2008). "Eye-Witness Account of 1869 Bank Robbery". Daviess County Historical Society. Retrieved September 5, 2018.
- "Deputy Sheriff Charles H. Nichols". ODMP remembers... The Officer Down Memorial Page.
- "Deputy Sheriff James McMahan". ODMP remembers... The Officer Down Memorial Page.
- St. Louis Post-Dispatch, Monday, Feb 2, 1874, p. 1
- "William Pinkerton Interview". Kansas City Evening Star. July 21, 1881. Archived from the original on December 3, 2013.
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