2001年に開催された第7回ICCトロフィーは、世界各国のクリケットチームが激突した重要な大会でした。本大会には合計22チームが参加し、次なる世界大会への切符をかけて競い合いました。特に注目すべきは、フランス、ドイツ、ネパール、ウガンダの4チームが初めてこの舞台に足を踏み入れたことです。
一方で、前回の1997年大会に出場していたチームの中には、今回姿を見せなかった国もありました。バングラデシュとケニアは2003年ワールドカップへの出場権を自動的に獲得していたため参加せず、イタリアは選手資格を巡る論争から抗議のため辞退しました。また、西アフリカ代表はカナダへの入国ビザが発給されなかったという不運に見舞われ、開幕直前に棄権を余儀なくされました。
Key Facts
- 参加チーム数: 全22チーム
- 初出場国: フランス、ドイツ、ネパール、ウガンダ
- 自動出場権獲得: バングラデシュ、ケニア(2003年W杯へ)
- 不参加の理由: イタリア(資格論争による辞退)、西アフリカ(ビザ拒否)
出場チーム別選手名簿と主要選手
以下に、大会に実際に出場した各チームの構成メンバーをまとめます。各チームの得点王には「†」、最多ウィケット(アウト)獲得者には「‡」を付記しています。
北米・南米・カリブ海地域
カナダ代表はジェフ・トーマスコーチのもと、ジョセフ・ハリス(†)やサンジャヤン・トゥライシンガム(‡)らが中心となって戦いました。一方、アルゼンチンはグラント・ダグモアコーチが率い、パブロ・ファーガソン(†)とヘルナン・ペレイラ(‡)がチームを牽引しました。
また、アメリカ代表はサイエド・アビド・アリコーチが指揮を執り、ロハン・アレクサンダー(†)とナシール・イスラム(‡)が活躍しました。ベルミューダではマーク・ハーパーコーチの下、クレイ・スミス(†)とハーバート・バスコムおよびドウェイン・レベロック(‡)が重要な役割を果たしました。
ヨーロッパ地域
アイルランドはケン・ラザフォードコーチが率い、エド・ジョイス(†)とエイドリアン・マクコーブリー(‡)が主力として出場しました。スコットランドはジム・ラブとマイク・ヘンドリックの共同コーチ体制で、コリン・スミス(†)とジョン・ブレインおよびキース・シェリダン(‡)が名を連ねました。
オランダはエマソン・トロットマンコーチのもと、クラス=ヤン・ファン・ノールトウェイク(†)とローランド・レフェーブル(‡)が活躍。デンマークはオレ・モルテンセンコーチの下、アフタブ・アハメド(†)とセーレン・ヴェスターゴー(‡)がチームを支えました。ドイツはハロルド・ローデスコーチが率い、ゲリット・ミュラー(†)とアブドゥル・ハミド・バッティ(‡)が出場し、フランスはシャビル・フセイン(†)とガイ・ブルマン(‡)が中心となりました。ジブラルタルはリチャード・コックスコーチの下、クリスチャン・ロッカ(†)とダニエル・ジョンソン(‡)が活躍しました。
アジア・オセアニア地域
香港はアンディ・モールズコーチが率い、ラフル・シャルマ(†)とタバラク・ダール(‡)が出場。シンガポールはブルース・ヤードリーコーチの下、ジョシュア・ディアリング(†‡)が打撃と投球の両面で貢献しました。マレーシアはリンドゼイ・ウォーカーコーチのもと、ラケシュ・マダヴァン(†)とロハン・サッピヤおよびサトグナシンガム・ヴィクネシュワラン(‡)が活躍しました。
ネパールはアフタブ・バローチコーチの下、ジェイ・サラフ(†)とパラシュ・ルニヤ(‡)が出場。イスラエルはハーシェル・グトマンコーチが率い、イェフェト・ナガブカル(†)とアイザック・マシル(‡)が名を連ねました。アラブ首長国連邦(UAE)はナヴェド・アンジュムコーチの下、アハメド・ナディーム(†)とクラム・カーン(‡)が主力となりました。
オセアニア地域では、フィジーがニール・マクスウェル選手兼コーチを中心に戦い、彼自身が得点王(†)かつ最多ウィケット獲得者(‡)となりました。パプアニューギニアはウィリアム・マハコーチの下、アルア・ウダ(†)とトゥク・ラカ(‡)が活躍しました。
アフリカ地域
ナミビアはレニー・ロウ選手兼コーチが率い、ダニエ・ケウルダー(†)とバートン・ファン・ローイ(‡)が出場。ウガンダはアンドリュー・メヤコーチの下、チャールズ・ルワンガ(†)とジュニア・クウェビハ(‡)が活躍しました。東・中央アフリカ代表はイスマイル・ハッサンコーチが率い、ヴィル・カマニア(†)とアリフ・パリ(‡)がチームを牽引しました。
大会概要まとめ
本大会の参加状況と特記事項を以下の表にまとめます。
| 区分 | チーム数/名称 | 備考 |
|---|---|---|
| 出場チーム | 22チーム | フランス、ドイツ、ネパール、ウガンダが初参戦 |
| 自動資格獲得 | バングラデシュ、ケニア | 2003年ワールドカップへ直接進出 |
| 棄権・不参加 | イタリア、西アフリカ | 資格論争およびビザ問題による |
Frequently Asked Questions
2001年ICCトロフィーに初出場した国はどこですか?
フランス、ドイツ、ネパール、およびウガンダの4チームが、この大会で初めて出場しました。
なぜイタリアと西アフリカは大会に参加できなかったのですか?
イタリアはICCによる選手資格ルールの変更に抗議して辞退し、西アフリカはチームメンバー全員のカナダ入国ビザが拒否されたためです。
バングラデシュとケニアが参加しなかった理由は何ですか?
両チームは2003年のワールドカップへの自動出場権を既に得ていたため、予選である本大会への出場は不要でした。
フィジー代表で特に活躍した選手は誰ですか?
選手兼コーチを務めたニール・マクスウェル選手が、チーム内で最多得点と最多ウィケット獲得の両方を記録しました。
大会のコーチ陣にはどのような特徴がありましたか?
多くのチームが専門のコーチを雇用していましたが、フィジーのニール・マクスウェル氏やナミビアのレニー・ロウ氏のように、選手とコーチを兼任するケースも見られました。
References
- Tony Munro (25 April 2001). "Scuderi included in Italian squad for ICC Trophy" – ESPncricinfo. Retrieved 1 April 2016.
- (25 June 2001). "Italy Withdraws from ICC Trophy" – ESPNcricinfo. Retrieved 1 April 2016.
- Tony Munro (13 July 2001). "ICC Trophy: West African officials unhappy with the confusion in Canada" Archived 14 April 2016 at the – ESPNcricinfo. Retrieved 2 April 2016.