イギリスの作曲家グスタフ・ホルストの手による『惑星』(Op. 32)は、20世紀の管弦楽曲の中でも最も愛されている傑作の一つです。1914年から1917年にかけて作曲されたこの組曲は、単なる天体の描写ではなく、それぞれの惑星が持つ「占星術的な意味」を音楽的に表現した壮大な作品です。
全7曲からなるこの組曲は、巨大なオーケストラ編成を駆使し、激しい戦争の予感から静寂に包まれた神秘の世界まで、極めて幅広い感情のスペクトルを描き出しています。最終楽章では、言葉を持たない女性合唱が加わり、聴き手を未知なる宇宙の深淵へと誘います。

Key Facts
- 作曲期間:1914年〜1917年
- 構成:全7楽章(各楽章は太陽系の惑星にちなむ)
- コンセプト:天文学ではなく「占星術」的な性格を反映
- 初演:1918年9月29日、ロンドンのクイーンズ・ホールにて
- 特徴:大規模な管弦楽編成と、最終楽章での女性合唱の導入
誕生の背景と創作のプロセス
この作品の種は、1913年のスペイン旅行にありました。ホルストは友人であるBalfour Gardinerや作曲家のArnold Baxらと共に過ごした際、占星術についての議論に強い関心を抱きました。その後、彼はホロスコープの解釈に精通するほど熱心に研究し、「音楽的なインスピレーションを与えるものだけを学ぶ」という自身の信条に基づき、惑星の性格を音に変換し始めました。
ホルストの娘イモージェンの回想によれば、父は交響曲のような大規模な構造を持つ形式に苦手意識を持っていました。そのため、独立した性格を持つ楽曲を並べる「組曲」という形式が、彼にとって最適な表現手段となったと考えられています。また、シェーンベルクの『5つの管弦楽向け小品』の影響も受けていたとされ、当初は『大管弦楽のための7つの小品』という仮題が付けられていました。
作曲の順序は、1914年半ばの「火星」に始まり、「金星」「木星」と続き、1915年に「土星」「天王星」「海王星」が、そして1916年初頭に「水星」が書き上げられました。その後、1917年を通じて緻密な管弦楽法(オーケストレーション)が完成しました。
初演から世界的な評価へ
1918年9月29日、第一次世界大戦の終結直前、ロンドンのクイーンズ・ホールで初演が行われました。指揮を執ったのはホルストの親友であるアドリアン・ボルトです。この公演は非常に急ぎ足で準備され、演奏者たちが楽譜を目にしたのは本番のわずか2時間前だったと言われています。また、海王星の合唱団はホルストの教え子たちで急遽構成されました。

ホルストは、この初演を成功させたボルトに対し深い感謝を抱いており、彼が所有していたスコアには「このコピーは、惑星を初めて公に輝かせたアドリアン・ボルトの所有物である」という心温まる献辞が記されています。

公開後の反応は当初、賛否が分かれました。一部の批評家は「騒々しい」と酷評しましたが、次第にその独創性が認められるようになります。特に『タイムズ』紙は、当初の失望から一転して、ホルストを「最も興味深い同時代の作曲家」と称賛し、最終的には本作を彼の最高傑作として位置づけるに至りました。
楽曲の構造と音楽的特徴
本作は、単に音量を増やすためではなく、多彩な「音色」を得るために大規模な編成が採用されています。各楽章の音楽的アプローチは多岐にわたります。
注目すべき楽章の分析
- 水星(翼ある使者):全楽章の中で最も短く、軽快なスケルツォ形式です。ここでは「複調性(2つの異なる調性が同時に存在する手法)」という実験的な試みがなされており、バイオリンやフルート、グロッケンシュピールが躍動感を演出します。
- 木星(歓喜をもたらす者):最も有名な楽章であり、後に賛美歌『我が国に誓い奉らん』の旋律として転用されました。
- 海王星(神秘的な者):静寂と不協和音が交錯する幻想的な楽曲です。舞台裏から聞こえる女性合唱の言葉のない旋律が、次第に遠ざかり、最後はドアが閉まるように消えていく演出は、現代の音楽における「フェードアウト」の先駆けとも言える手法です。
演奏時間の変遷と記録
1922年から2020年代に至るまで、多くの指揮者がこの曲に取り組んできました。興味深いのは、作曲者自身による録音(1922-23年、1926年)が、後世の多くの演奏よりもテンポが速い傾向にあることです。これは当時のSP盤の収録時間の制約による影響があったと考えられています。
| 指揮者 | オーケストラ | 録音年 | 火星 | 木星 | 海王星 | 合計時間 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| ホルスト | LSO | 1922-23 | 06:13 | 07:04 | 05:31 | 43:34 |
| ストコフスキー | NBCSO | 1943 | 06:52 | 07:05 | 09:50 | 52:34 |
| カラヤン | BSO | 1957 | 06:56 | 07:45 | 07:12 | 50:11 |
| ジュロウスキ | BRSO | 2006 | 07:25 | 08:02 | 07:02 | 51:09 |
| ハーディング | - | 2023 | 08:22 | 08:23 | 09:49 | 56:48 |
後世への影響とアレンジ
『惑星』の持つ強烈なイメージは、後の映画音楽やポピュラー音楽にも多大な影響を与えました。特に「火星」のリズムや緊張感は、ジョン・ウィリアムズの『スター・ウォーズ』などのスコアにその精神が受け継がれていると言われています。
また、1930年に冥王星が発見された後、多くの作曲家が「第8の惑星」を付け加えようと試みました。中でもコリン・マシューズによる「冥王星(刷新をもたらす者)」は、ハレ管の委嘱により制作され、海王星からのシームレスな移行を実現させたことで知られています。
Frequently Asked Questions
この曲は天文学的な正しさを追求したものですか?
いいえ。ホルストが基づいたのは天文学ではなく「占星術」です。各惑星が象徴する精神的な性格や運命的な意味を音楽で表現することを目指しました。
なぜ「木星」のメロディは賛美歌として使われているのですか?
ホルストが友人から賛美歌の作曲を依頼された際、多忙であったため、「木星」の中間部の荘厳な旋律が歌詞にぴったり合うことに気づき、それを転用して『我が国に誓い奉らん』を作成したためです。
初演からすぐに成功した作品だったのでしょうか?
必ずしもそうではありません。初演直後の批評は分かれており、「騒々しい」といった否定的な意見もありました。しかし、次第にその革新性が評価され、イギリス音楽の金字塔となりました。
「海王星」の最後で合唱が消えていくのはなぜですか?
神秘的な世界への没入と、現実世界からの乖離を表現するためです。物理的にドアを閉めることで音を遮断するという演出により、不確かな調性の中で静かに曲を終える構成になっています。
冥王星の楽章は公式に組み込まれているのですか?
ホルスト自身は冥王星発見前に没しているため、公式な楽章はありません。しかし、後世の作曲家(コリン・マシューズなど)が補完的に作成した「冥王星」の楽章が、一部の録音や演奏で併せて演奏されることがあります。
References
- Holst's earlier interest in texts, particularly the hymns, had led him to study the language and to compose several works based on Sanskrit texts.
- This was the first public performance of Venus.
- This was the first time Neptune was heard in a public performance.
- In 1986 Imogen Holst wrote that "[f]or more than half a century, the main problem in Jupiter has been the difficulty of avoiding unwanted associations with the hymn". Holst's closest friend, , was, inadvertently, partly to blame for the use of the tune as a solemn hymn. He had suggested that 's verse should be set to music, and Holst was asked to undertake the job. Being overworked and exhausted at the time, Holst, spotting that the words fitted the maestoso tune from Jupiter, repurposed that rather than write a new one.
- Short writes that despite reminiscences of the Pan motif in and of and the "Infernal Dance" in Stravinsky's the main influence on the movement is clearly The Sorcerer’s Apprentice, which was first performed in London in 1899 and was "doubtless well known to Holst".
- The choir sings alternating and chords, and the musician has commented that as the door shuts it is pure chance whether the last chord heard is C minor (looking back at the key of Mars) or E. In a 2014 article William Weir suggests that the closing bars of Neptune are an early precursor of the electronic that became ubiquitous in recordings of popular music in the 1950s to the 1980s.
- The anonymous critic was equally dismissive of 's given at the same concert.
- The Hallé, conducted by (2001); Royal Scottish National Orchestra conducted by (2002); Royal Philharmonic Orchestra conducted by (2004); and Berlin Philharmonic conducted by (2006).
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