エルナン・ブーキ(Hernán Büchi Buc)は、チリの経済史において極めて重要な役割を果たした経済学者です。特にアウグスト・ピノチェト軍事政権下で財務大臣を務め、市場原理を重視した大胆な政策を通じて、チリ経済の立て直しと近代化を主導しました。
主要な実績(Key Facts)
- 財務大臣としての功績: 1985年から1989年にかけて、輸出主導型の成長戦略を推進し、経済回復を実現。
- インフレ抑制: 厳格な公的支出の管理と通貨調整により、1989年までにインフレ率を中南米最低水準の12%まで低下させた。
- 債務削減: 公的債務を民間投資家に売却する手法を用い、40億ドル以上の債務を削減。
- 学術的背景: コロンビア大学でMBAを取得。思想的に「シカゴボーイズ」に近い新自由主義的な立場を取る。
若年期と専門性の形成
1949年にイキケで生まれたブーキは、スイス、ドイツ、クロアチアにルーツを持つカトリックの家庭で育ちました。サンティアゴの国立ゼネラル・ホセ・ミゲル・カレラ研究所で学び、チリ大学で鉱山学の学位を取得した後、アメリカへ渡りました。1975年にはコロンビア大学で経営学修士(MBA)を取得しています。
彼は、シカゴ大学で学んだ経済学者集団「シカゴボーイズ」のメンバーではありませんが、市場経済を重視する新自由主義的な経済観を共有していたため、しばしば彼らと共に語られます。
ピノチェト政権下でのキャリアと経済改革
ブーキの公職としてのキャリアは、経済省のコンサルタントや国営製糖会社の取締役から始まりました。その後、経済省次官や保健省次官を歴任し、年金制度の民営化や医療保険の民営化準備など、国家機能の市場化を推進しました。
1983年から1984年にかけては国家計画省(ODEPLAN)の大臣を務め、その後、1985年から1989年まで財務大臣に就任しました。この期間、彼はマネタリズム(通貨供給量の管理による経済安定化)の原則に立ち返り、以下の戦略を実行しました。
- 輸出部門の生産構造の再編と、安定した輸出主導型成長の基盤構築。
- 国内貯蓄の促進と外国投資の誘致、および資本の国内還流を促すインセンティブの導入。
- 公的支出の厳格な抑制と、定期的な通貨切り下げによる競争力の維持。
これらの施策により、1985年から1988年にかけての経済成長率は年平均5%から6%に達し、当時の中南米地域で最高水準を記録しました。

政治への挑戦と政権後の活動
1989年の大統領選挙に、右派政党の支持を受けて出馬しました。元英国首相マーガレット・サッチャーの広報顧問であったティモシー・ベルを起用し、戦略的なキャンペーンを展開しましたが、結果は得票率29.40%で2位に終わり、パトリシオ・アイルウィンに敗れました。興味深い点として、マガジャネス地方を除くほぼ全ての選挙区で、男性よりも女性から多くの支持を得ていたことが記録されています。
1990年にピノチェトが退任した後は、「自由と開発研究所(Libertad y Desarrollo)」を設立し、会長として活動しています。この研究所は、ティンカー財団やアトラス経済研究財団などの国際的な団体から資金提供を受けており、ブーキはここを拠点に中南米、東欧、アジアの政府機関へのアドバイザーを務めてきました。
ビジネス界での活躍と著書
民間部門においても、ブーキは多方面で影響力を行使してきました。食品会社ルケッティ(Lucchetti)の取締役会長を務めたほか、チリ鉱業会社やチリ銀行(Banco de Chile)の顧問、ファラベラ(Falabella S.A.)の取締役などを歴任しています。
また、1993年には自伝的な経済書『チリの経済変革:個人の記録(The Economic Transformation of Chile: A Personal Account)』を出版し、自らが主導した経済自由化のプロセスとその役割について詳細に記述しました。
| 期間 / 年代 | 役職・活動 | 主な成果・役割 |
|---|---|---|
| 1975年 | コロンビア大学MBA取得 | 経営学の専門性を習得 |
| 1983年 - 1984年 | 国家計画省大臣 | 経済計画の策定と管理 |
| 1985年 - 1989年 | 財務大臣 | インフレ抑制、輸出主導型成長の実現 |
| 1989年 | 大統領候補 | 右派勢力の支持を得て出馬(2位) |
| 1990年以降 | 自由と開発研究所 設立 | 経済思想の普及と国際的なコンサルティング |
Frequently Asked Questions
エルナン・ブーキは「シカゴボーイズ」の一員でしたか?
厳密には異なります。彼はシカゴ大学で学んだわけではなく、コロンビア大学でMBAを取得しました。しかし、新自由主義的な市場経済の立場を支持していたため、実質的にシカゴボーイズと同等の経済政策を推進した人物と見なされています。
財務大臣時代にどのような経済的成果を上げましたか?
主にインフレ率を12%まで低下させたこと、公的債務を40億ドル以上削減したこと、そして中南米で最高水準となる年平均5〜6%の経済成長を実現したことが挙げられます。
1989年の大統領選挙での結果はどうでしたか?
得票率29.40%で2位となりました。勝利こそしませんでしたが、多くの選挙区で女性からの強い支持を得たことが特徴的です。
退任後の主な活動は何ですか?
「自由と開発研究所」の設立・運営に加え、チリ銀行やファラベラなどの大手企業の取締役や顧問を務め、ビジネス界と学術界の両面で活動しています。
彼の経済思想について書かれた本はありますか?
1993年に出版された『The Economic Transformation of Chile: A Personal Account』の中で、チリ経済の自由化プロセスと自身の役割について詳しく述べています。
References
- Angell, Alan; Pollack, Benny (1990). "The Chilean Elections of 1989". . 9 (1). Society for Latin American Studies: 1–23. :10.2307/3338214. 3338214.
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- Edwin Williamson, The Penguin History of Latin America (Penguin Books, 1992), pp. 508-9.
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