アメリカ合衆国南西部のアイダホ州には、フォートボイシーという名を持つ2つの異なる歴史的拠点が存在します。一つは19世紀前半に英国の毛皮貿易会社が運営した交易ポストであり、もう一つはその後、アメリカ政府によって設立された軍事基地です。これら二つの拠点は、単なる砦としての役割を超え、この地域の経済発展と都市形成に決定的な影響を与えました。
主要な事実(Key Facts)
- 旧フォートボイシー:1834年にハドソン湾会社(HBC)によって建設され、1854年に放棄された毛皮貿易の拠点。
- 新フォートボイシー:1863年にアメリカ陸軍が設立した軍事基地で、現在のアイダホ州都ボイゼの発展の基礎となった。
- 地理的変遷:旧拠点はスネーク川沿い(現在のキャニオン郡)にあり、新拠点はそこから東へ約80km離れたボイゼ川沿いに位置する。
- 歴史的価値:両拠点ともアメリカ合衆国国立歴史登録財(NRHP)に指定されている。
旧フォートボイシー:毛皮貿易の黄金時代(1834–1854)
旧フォートボイシーの歴史は、19世紀初頭の探検にまで遡ります。1811年のアストール遠征隊がこの地を調査し、その後1813年にはジョン・リードらが拠点を築きました。しかし、先住民との衝突などの困難が続き、初期の試みは短期間で放棄されることとなりました。
本格的な体制が整ったのは1834年です。ハドソン湾会社(HBC)のジョン・マクローリンの指示を受けたトーマス・マッケイが、アメリカのフォートホールに対抗してこの地に砦を建設しました。当初は個人の事業的な側面もありましたが、実質的にはHBCの全面的な支援を受けて運営されていました。
1835年から1844年にかけては、フランソワ・パイエットが指揮を執り、主にハワイ出身の従業員を雇用して運営されました。この時期の砦は、オレゴン・トレイルを旅する移住者たちに物資や休息を提供する重要な拠点として知られるようになります。1838年には、より堅牢な日干しレンガ造りの構造を持つ2代目の砦が建設されました。
しかし、1850年代に入ると状況が一変します。1853年の洪水による被害に加え、1854年には近隣で先住民による移住者襲撃事件(ウォード虐殺事件)が発生しました。毛皮貿易の衰退と併せ、軍事的な防衛が困難であると判断されたため、砦は1854年に放棄されました。

旧拠点のその後
砦が放棄された後、1866年にはこの場所で外輪船「ショショニ号」が建造され、鉱山労働者の輸送に利用されました。現在は「フォートボイシー野生生物管理区域」内に位置し、パルマの町に再現されたレプリカが公開されています。
新フォートボイシー:軍事拠点から都市ボイゼへ(1863–1912)
旧砦の放棄後、オレゴン・トレイル沿いで襲撃事件が相次いだため、アメリカ政府は治安維持のために新たな軍事拠点を必要としました。こうして1863年7月4日、南北戦争の最中にピンクニー・ルーゲンビール少佐の指揮下で「新フォートボイシー」が設立されました。
新拠点は旧砦から東に約80km、ボイゼ川沿いの戦略的な地点に配置されました。ここはオレゴン・トレイルと、当時好況だったオワイヒーおよびボイゼ盆地の鉱山地帯を結ぶ道路が交差する場所であり、水、木材、石材などの資源も豊富でした。この軍事拠点の周囲に人々が集まり、やがてアイダホ州の州都となるボイゼの街へと発展していきました。
建設当初、ルーゲンビール少佐は製材所や石灰窯を設置してインフラを整備しましたが、近隣の金鉱山に惹かれた兵士たちが次々と脱走するという困難にも直面しました。その後、アメリカ陸軍は1912年までこの地を拠点とし、その後は州兵や公衆衛生局(結核患者の治療センターとして)が利用しました。
現代への継承とフォートボイシー公園
1938年以降、この土地は退役軍人省(VA)が取得し、現在はボイゼVA医療センターなどが運営されています。また、1950年には一部の土地がボイゼ市に譲渡され、「フォートボイシー公園」として整備されました。
現在の公園は、テニスコートやソフトボール場、スケートボードパークを備えた市民の憩いの場となっています。また、1979年にはクリント・イーストウッド主演の映画『ブロンコ・ビリー』のラストシーンがこの公園で撮影されたことでも知られています。
| 項目 | 旧フォートボイシー | 新フォートボイシー |
|---|---|---|
| 設立年 | 1834年 | 1863年 |
| 運営主体 | ハドソン湾会社 (HBC) | アメリカ合衆国陸軍 |
| 主な目的 | 毛皮貿易・交易 | 軍事防衛・治安維持 |
| 所在地 | スネーク川沿い(キャニオン郡) | ボイゼ川沿い(ボイゼ市) |
| 終焉/変遷 | 1854年に放棄 | 1912年に軍が撤退 → 都市へ発展 |
よくある質問(FAQ)
旧フォートボイシーと新フォートボイシーは同じ場所ですか?
いいえ、異なります。旧拠点はスネーク川沿いの現在のキャニオン郡にあり、新拠点はそこから東に約80km離れた現在のボイゼ市中心部に位置しています。
旧フォートボイシーが放棄された理由は何ですか?
主な理由は、毛皮貿易の衰退に加え、1853年の洪水被害や、先住民による移住者襲撃事件が発生し、軍事的に防衛が困難であると判断されたためです。
新フォートボイシーはどのようにして街になったのですか?
軍事拠点として設立された際、水や木材などの資源が豊富で、かつ主要な街道が交差する戦略的な場所であったため、周囲に人々が集まり、次第にボイゼという都市へと成長しました。
現在、旧フォートボイシーを見ることはできますか?
はい。旧拠点の跡地は国立歴史登録財となっており、パルマの町に建設された再現レプリカを(市役所への予約制で)見学することが可能です。
新フォートボイシーの跡地は現在何になっていますか?
一部はボイゼVA医療センターや連邦裁判所などの政府施設となっており、また一部は市民に開放された「フォートボイシー公園」として利用されています。
References
- Renk, Thomas B. (February 13, 1974), National Register of Historic Places Inventory — Nomination Form: Fort Boise and Riverside Ferry Sites (PDF), retrieved March 11, 2015.
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