19世紀後半のアリゾナ準州、急成長を遂げていた鉱山町トンブストーンに、ある写真家夫妻が足跡を残しました。バック・フライとモリー・フライの二人が営んだ写真館は、単なるビジネスの枠を超え、西部開拓時代の空気感を現代に伝える貴重な視覚的記録となりました。
主要な事実(Key Facts)
- 活動拠点:アリゾナ州のトンブストーン、フェニックス、ビスビーでスタジオを運営。
- 歴史的接点:彼らの下宿屋の隣で、有名な「OK牧場の銃撃戦」が発生した。
- モリーの貢献:夫の不在時にスタジオを切り盛りし、後に作品集を出版。
- 遺産:火災で多くを失ったが、残ったガラス乾板(当時の写真原版)はスミソニアン博物館に寄贈された。
トンブストーンでの創業と黄金期
1879年、フライ夫妻は活気あふれるトンブストーンに到着し、まずはテントで写真スタジオをスタートさせました。その後、1880年半ばまでにはフレモント通りに12室を備えた下宿屋を建設し、その敷地裏に「フライ写真館(Fly's Photography Gallery)」を構えるに至ります。
この場所は歴史的な事件の舞台にも近く、1881年に発生した「OK牧場の銃撃戦」の際、逃走したアイク・クラントンが彼らの下宿屋を通り抜けたというエピソードが残っています。

夫婦の役割と波乱の歩み
夫のバックが写真撮影の遠征に出かけている間、スタジオと下宿屋の運営を一身に担ったのは妻のモリーでした。彼女はスタジオでのポートレート撮影を1枚35セントで提供し、実務的な経営を支えていました。しかし、バックの飲酒問題や地域の経済衰退により、夫妻の生活には波乱が訪れます。
1887年には一時的に別居し、1893年には経済状況の悪化からフェニックスへ移転しましたが、新スタジオは失敗に終わり、1年後には再びトンブストーンへと戻ることになります。

悲劇的な喪失と写真への情熱
1890年代後半、再び別居したバックは銅鉱山の町ビスビーにスタジオを開きました。しかし、ここで彼らは大きな悲劇に見舞われます。フェルプス・ドッジ社の商品倉庫に保管していた大量のガラス乾板(写真のネガ)が、火災によって失われたのです。
1901年にバックがビスビーで没した後も、モリーはその後10年間にわたりトンブストーンのスタジオを単独で運営し続けました。1905年には、夫が撮影した作品をまとめた『ジェロニモのキャンプの風景:アパッチの無法者と殺人者』という写真集を出版し、彼の功績を世に伝えました。
晩年と歴史への寄贈
モリーは1912年に引退しましたが、その3年後、彼女のスタジオは再び火災に見舞われ、多くの記録が焼失しました。その後、彼女はロサンゼルスへ移住し、1925年にその生涯を閉じました。
二度の大きな火災で多くのネガが失われましたが、モリーは生き残った貴重なコレクションをワシントンD.C.のスミソニアン博物館に寄贈しました。これにより、当時のアリゾナの風景や人々が後世に伝えられることとなりました。

フライ夫妻の活動まとめ
| 期間・年 | 場所 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 1879年〜 | トンブストーン | 写真館および下宿屋の開設 |
| 1881年 | トンブストーン | OK牧場の銃撃戦が隣接地で発生 |
| 1893年〜1894年 | フェニックス | 新スタジオを開設するも失敗し帰還 |
| 1890年代後半〜 | ビスビー | バックがスタジオを開設、火災でネガを喪失 |
| 1901年 | ビスビー | バック・フライ死去 |
| 1905年 | - | モリーがバックの作品集を出版 |
| 1912年〜1925年 | ロサンゼルス | モリーが引退後移住し、1925年に死去 |
よくある質問(FAQ)
モリー・フライは写真家としてどのような活動をしていましたか?
彼女は夫のバックが遠征している間、スタジオの運営とポートレート撮影を切り盛りしていました。また、夫の死後も10年にわたりスタジオを経営し、作品集の出版や、残ったネガのスミソニアン博物館への寄贈を行うなど、記録の保存に尽力しました。
フライ写真館と「OK牧場の銃撃戦」にはどのような関係がありますか?
フライ夫妻が経営していた下宿屋のすぐ隣の空き地で、有名な銃撃戦が起こりました。事件の最中、当事者の一人であるアイク・クラントンが彼らの下宿屋の中を通り抜けて逃げ出したと伝えられています。
なぜ多くの写真が失われてしまったのでしょうか?
主に2度の大きな火災が原因です。一度目はビスビーの倉庫に保管していたガラス乾板が焼失し、二度目は1915年にモリーのスタジオが火災に見舞われたことで、多くの貴重なコレクションが失われました。
現在、彼らの作品はどこで見ることができますか?
モリー・フライが寄贈した生き残りのネガ・コレクションは、ワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館に保管されています。
📸 フォトギャラリー


