映画史に名を刻む数々の名作の裏側には、物語を完璧な形に整える卓越した脚本家の存在がありました。アーネスト・レーマン(Ernest Lehman)は、まさにその象徴とも言える人物です。サスペンスからミュージカル、ロマンティック・コメディまで、ジャンルを問わず観客を魅了した彼は、ハリウッドの黄金時代を支えた最高峰のストーリーテラーの一人でした。
主要な実績と功績
- アカデミー名誉賞の受賞: 脚本家として史上初めて、その多才な功績が認められ、2001年にアカデミー名誉賞を受賞しました。
- ヒッチコックとの黄金タッグ: 『北北西に進路を取れ』などの傑作を生み出し、ミステリー作家協会からエドガー賞を2度受賞しています。
- 不朽の名作への寄与: 『サウンド・オブ・ミュージック』や『ウエスト・サイド物語』など、世界的に愛されるミュージカル映画の脚本を手掛けました。
- 多才なキャリア: 脚本のみならず、プロデューサーや監督、小説家としても活動し、幅広い表現領域で才能を発揮しました。
若き日の歩みとキャリアの原点
1915年にニューヨークでユダヤ系の家庭に生まれたレーマンは、ニューヨーク市立大学(CCNY)で学士号を取得しました。第二次世界大戦中にはニューイングランド無線研究所で訓練を受け、航空業界で無線通信士として勤務したというユニークな経歴を持っています。
大学卒業後はフリーランスのライターとして活動しましたが、不安定な生活に不安を感じ、演劇やセレブリティを専門とする宣伝会社のコピーライターに転身しました。この業界での実体験が、後に映画化される中編小説『甘い成功の香り(Sweet Smell of Success)』の基盤となりました。また、著名な雑誌への寄稿を通じてハリウッドの注目を集め、1950年代半ばにパラマウント・ピクチャーズと契約を結び、映画界での本格的なキャリアをスタートさせました。
名作を量産した脚本術と代表作
レーマンの才能は、既存の作品を映画向けに再構築する「脚色」と、ゼロから物語を創り出す「オリジナル脚本」の両方で発揮されました。1954年の『サブリナ』での成功を皮切りに、彼は映画界の第一線へと駆け上がります。
ミュージカル映画への革新
特にミュージカル映画における彼の貢献は絶大です。『ウエスト・サイド物語』や『サウンド・オブ・ミュージック』では、舞台版の魅力を維持しつつ、映画ならではのスケール感を導入しました。例えば『サウンド・オブ・ミュージック』では、ザルツブルクでのロケハン中に見つけたフェルゼンライチュシュール(岩壁劇場)を物語に組み込むなど、視覚的な説得力を高める工夫を凝らしました。
アルフレッド・ヒッチコックとの共作
レーマンのキャリアにおけるハイライトの一つが、巨匠アルフレッド・ヒッチコックとのコラボレーションです。特に1959年の『北北西に進路を取れ』は、彼が数少ないオリジナル脚本として書き上げた自信作であり、「ヒッチコック映画の集大成」となることを目指して1年の歳月をかけて執筆されました。この作品は批評的・商業的に大成功を収め、彼にエドガー賞をもたらしました。その後、ヒッチコックの遺作となった『家族の陰謀』でも再びタッグを組み、再びエドガー賞を受賞しています。
プロデューサー・監督としての挑戦
脚本家としての成功に甘んじず、レーマンは制作側への進出も果たしました。エドワード・オールビーの戯曲『誰がバージニア・ウルフを恐れるか』の映画化を強力に推進し、プロデューサーとして作品を成功に導きました。また、『ハロー・ドーリー!』のプロデュースではアカデミー賞にノミネートされるなど、その手腕を証明しました。
1972年には、フィリップ・ロス原作の『ポートノイの悩み』で唯一の監督業を経験しています。また、晩年には小説『フランス大西洋事件(The French Atlantic Affair)』を執筆し、ベストセラーとなるなど、作家としての才能も遺しました。
アーネスト・レーマンのプロフィールまとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 生没年 | 1915年12月8日 - 2005年7月2日 |
| 主な職業 | 脚本家、プロデューサー、監督、小説家 |
| 代表作 | 北北西に進路を取れ、サウンド・オブ・ミュージック、サブリナ、ウエスト・サイド物語 |
| 主要受賞歴 | アカデミー名誉賞(2001年)、エドガー賞(2回)、ゴールデングローブ賞 |
| 学歴 | ニューヨーク市立大学(BA) |
Frequently Asked Questions
アーネスト・レーマンはアカデミー賞を競合部門で受賞しましたか?
いいえ。彼はキャリアを通じて6回ノミネートされましたが、競争部門での受賞はありませんでした。しかし、2001年にその生涯の功績を称えられ、脚本家として初めてアカデミー名誉賞を受賞しています。
ヒッチコック監督との関係はどうでしたか?
非常に密接な協力関係にありました。特に『北北西に進路を取れ』では、レーマンが1年かけて緻密なオリジナル脚本を書き上げ、ヒッチコックの演出力と融合させることで、映画史に残るサスペンス作品を完成させました。
脚本以外の活動は何をしていましたか?
プロデューサーとして『誰がバージニア・ウルフを恐れるか』などを成功させたほか、一度だけ映画監督を務めました。また、ベストセラー小説の執筆や、アマチュア無線(コールサイン K6DXK)などの趣味にも情熱を注いでいました。
彼が執筆したが映画化されなかった作品はありますか?
はい。ノエル・カワードの『Hay Fever』の脚色や、ロバート・ワイズ監督・アンソニー・クイン主演を想定していたミュージカル版『ゾルバ』の脚本などを完成させていましたが、これらは映画化されませんでした。
References
- "Ernest Lehman Biography (c. 1915-)". www.filmreference.com. Retrieved November 24, 2020.
- Fox, Margalit (July 6, 2005). "Ernest Lehman, 89, Who Wrote 'North by Northwest,' Dies". .
- "Ernest Lehman | Encyclopedia.com".
- Erens, Patricia (1998). . . p. 392. .
- "Ernest Lehman: An Inventory of His Collection at the Harry Ransom Center".
- "Ernest Lehman, K6DXK and Screenwriter of "The Sound of Music," Dead at 89". KB6NU's Ham Radio Blog. July 6, 2005. Retrieved May 17, 2023.
- Bernstein, Adam (July 6, 2005). "Ernest Lehman: Writer For Films". . Retrieved July 17, 2025.