映画黎明期のサイレント時代、世界的な人気を博した二人の姉妹がいました。それがリリアンとドロシーのギッシュ姉妹です。特に妹のドロシー・ギッシュは、姉のリリアンが悲劇的な役柄で観客を魅了したのに対し、卓越したユーモアと機知に富んだ演技で「コメディの女王」としての地位を確立しました。スクリーンだけでなく舞台でも高く評価された彼女の足跡を辿ります。

Key Facts
- 活動期間:1912年から1963年まで、半世紀以上にわたり芸能界で活躍。
- 得意分野:パントマイムと軽快なコメディ演技に定評があった。
- 主要な功績:アメリカ演劇殿堂(American Theater Hall of Fame)に殿堂入り。
- 映画史への貢献:D.W.グリフィス監督の下で100本以上の作品に出演し、初期映画のスタイルを形成。
- 栄誉:1960年にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星が刻まれた。
幼少期から映画界への入り口
1898年、オハイオ州デイトンに生まれたドロシーは、幼い頃から演劇に親しんでいました。わずか4歳の時に舞台デビューを飾るなど、早熟な才能を見せていました。家庭環境は決して平坦ではなく、父親に捨てられた母親のメアリーが、菓子店やケータリング業を営んで姉妹を育て上げました。

転機が訪れたのは1912年です。親友であった女優メアリー・ピックフォードの紹介で、当時新進気鋭の監督D.W.グリフィスに出会いました。ニューヨークのバイオグラフ・スタジオでエキストラとして働き始めた当初、監督は似ている姉妹の区別がつかず、リリアンには青いリボンを、ドロシーには赤いリボンを髪につけさせて見分けていたという微笑ましいエピソードが残っています。

波乱のキャリアとコメディへの転身
ドロシーのキャリアは順調に見えましたが、1914年に絶体絶命の危機が訪れます。ロサンゼルスの路上で走行中の自動車に撥ねられ、意識不明の重傷を負ったのです。右足の骨折や深い切り傷を負い、手術を余儀なくされましたが、この事故を乗り越えたことで彼女の精神的な強さが証明されました。
事故からの復帰後、彼女は次第に「リリアンの妹」という枠を脱し、一人の女優として認められるようになります。特に1918年の映画『Hearts of the World』での路上歌手役は、彼女の天性のユーモアを世に知らしめる決定打となりました。以降、彼女はパントマイムを駆使した軽妙なコメディ作品に特化し、大衆から絶大な支持を集めることになります。


彼女が主演した一連のコメディ映画は商業的に大成功を収め、その莫大な収益が、グリフィス監督が制作していた高予算の叙事詩的映画の資金源となったと言われています。ドロシー自身は、コメディを単なる「おどけ」ではなく、緻密な計算に基づいた一つの「芸術」として捉えていました。

トーキーへの移行と舞台への回帰
映画界に音が導入される「トーキー」時代が到来すると、ドロシーは1930年のイギリス映画『Wolves』に出演しましたが、次第に生身の演技が楽しめる舞台の世界に惹かれていきました。ブロードウェイでの成功を経て、彼女は映画から距離を置き、演劇活動に専念する時期を設けます。
特に1939年に挑んだ『Life with Father』は、彼女のキャリアにおける金字塔となりました。姉のリリアンと共に全米を巡業し、多くの観客に笑いと感動を届けました。その後も『The Magnificent Yankee』などの作品で、熟練した演技力を披露し続けました。

晩年と不朽のレガシー
1950年代に入ると、新興メディアであるテレビにも挑戦し、NBCの生放送劇などにゲスト出演しました。映画への復帰は限定的でしたが、1963年のオットー・プレミンジャー監督作『The Cardinal』への出演を最後に、スクリーンに別れを告げました。

1968年、イタリアのラパッロにて、気管支肺炎のため70歳でこの世を去りました。彼女の死後、その功績を称えてボウリング・グリーン州立大学には彼女と姉の名を冠した劇場が設立され、また、世界の美と人類の理解に貢献した人物に贈られる「ドロシー&リリアン・ギッシュ賞」が創設されました。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 生没年 | 1898年3月11日 - 1968年6月4日 |
| 出身地 | アメリカ合衆国 オハイオ州デイトン |
| 主な役職 | 映画女優、舞台女優 |
| 得意ジャンル | コメディ、パントマイム |
| 代表的な関係者 | リリアン・ギッシュ(姉)、D.W.グリフィス(監督) |
Frequently Asked Questions
ドロシーとリリアンの演技スタイルの違いは何でしたか?
姉のリリアンが主に悲劇的でシリアスな役柄を得意としたのに対し、ドロシーは機知に富んだコメディやパントマイムを得意としていました。リリアン自身も、人々を笑わせることができるドロシーの方が才能があったと回想しています。
1914年の自動車事故は彼女のキャリアにどう影響しましたか?
非常に深刻な怪我を負い、撮影中の作品『How Hazel Got Even』の公開が数ヶ月遅れるなどの影響が出ました。しかし、この困難を乗り越えて復帰したことで、女優としての存在感をさらに強めることとなりました。
彼女はなぜ映画から舞台へ転向したのですか?
トーキーへの移行期に、ブロードウェイでの公演を通じて観客と直接対面して演技するライブパフォーマンスの魅力に再確認したためです。特にコメディとしての成功が、彼女を舞台へと向かわせました。
彼女の功績は現在どのように受け継がれていますか?
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームへの登録に加え、彼女の名を冠した賞(ドロシー&リリアン・ギッシュ賞)を通じて、芸術や人類への貢献を称える文化的な遺産として受け継がれています。
References
- Although for many years it was believed that the Gish sisters were born with the surname "De Guiche" or "de Guiche", their surname was, in fact, Gish. Biographer Charles Affron explains the source of the inaccuracies regarding the name in Lillian Gish: Her Legend, Her Life: "The Gish name was initially the source of some mystification. In 1922, at the time of the opening of Orphans of the Storm, Lillian reported that the Gish family was of French origin, descending from the Duke de Guiche.... [S]uch press-agentry falsification was common. Just a few years later the story was modified slightly so that de Guiche becomes the more illustrious Duc de Guise.... [A]mong the Gish ancestors were a great-uncle probably murdered on a business trip to Philadelphia and four cousins who served in the Civil War ... James Leigh Gish was the youngest of four sons of David Gish (1814–1888) and Diana Caroline Waltz."
- Dwyer, Shawn. "Dorothy Gish", (TCM), Atlanta, Georgia. Retrieved September 25, 2019.
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- "Dorothy Gish Injured", (Chicago), February 1921, p. 135. Internet Archive. Retrieved September 25, 2019.
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