デンマーク警察のナチス強制収容所送還:第二次世界大戦中の抵抗と悲劇

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの占領下にあったデンマーク政府は、国家の存続を図るためにドイツ側への協力政策を選択しました。この方針は公務員である警察組織にも適用されましたが、現場の警察官たちの間では、ナチスの支配に加担することへの強い抵抗感がありました。この葛藤が、後に多くの警察官が強制収容所へと送られるという悲劇的な展開を招くことになります。

Danish Police officers in Copenhagen, 1941.

Key Facts

  • 協力の拒絶:ナチスによる重要企業の警備要請をデンマーク警察が拒否したことが、大量拘束の引き金となった。
  • 大規模な拘束:1944年9月19日、約1万人の警察組織から1,960人が逮捕され、ドイツへ送還された。
  • 収容先の変遷:当初はノイエンガムメやブーヘンヴァルトなどの強制収容所に送られたが、後に捕虜収容所ミュールベルクへ移送され、待遇が改善した。
  • 救出作戦:「ホワイトバス」作戦などの人道的な取り組みにより、多くの警察官が解放され、帰国を果たした。

協力政策から対立へ:拘束に至る経緯

1940年4月9日のナチス・ドイツによる占領後、デンマーク政府は協力路線を採り、警察組織もドイツ当局との連携を開始しました。しかし、国内で抵抗運動が激化するにつれ、ドイツ側の要求は厳しさを増していきます。

転機となったのは1944年5月です。ドイツのヴェルナー・ベスト博士は、抵抗運動によるサボタージュを防ぐため、57の特定企業をデンマーク警察に警備させるよう要求しました。もし拒否すれば、1万人いた警察力を3,000人に削減するという脅しを伴うものでした。行政トップのニルス・スヴェニングセンは受諾に傾きましたが、警察組織内部の強い反対により、最終的にこの要求は拒絶されました。

Best (right) with Erik Scavenius, Danish PM 1942-43.

この拒絶により、ゲシュタポ(ナチス秘密国家警察)はデンマーク警察への信頼を完全に失い、代わりの組織として親ナチスのHIPO部隊を設立することになります。

強制収容所への送還と過酷な環境

1944年9月19日、ドイツ軍は主要都市で警察官の一斉逮捕を開始しました。拘束された1,960名の警察官は、まずノイエンガムメ強制収容所へ送られました。また、一部のグループは9月29日と10月5日の2回に分けてブーヘンヴァルト強制収容所へ移送されました。

強制収容所での生活は極めて過酷でしたが、デンマーク政府の働きかけにより、12月16日に1,604名がミュールベルク(捕虜収容所)へと移されました。強制収容所の囚人と異なり、捕虜(POW)は国際条約による一定の保護対象となるため、この移送は生存率を高める重要な転換点となりました。

外交努力と「ホワイトバス」による帰還

ニルス・スヴェニングセン率いる外務省は、収容者の解放に向けてドイツ当局と粘り強く交渉を続けました。1944年12月には、病状が悪化した警察官200名の解放と帰国に合意し、赤十字の救援物資と共に輸送されました。

さらに、スウェーデンのフォルケ・ベルナドット伯爵による人道的な救出作戦が展開されました。1945年3月から4月にかけて、有名な「ホワイトバス」作戦により、デンマークとノルウェーの捕虜約1万人がドイツから救出されました。送還された警察官の多くはこのバスで帰国し、一部は国境付近のフレーズレフ捕虜収容所を経由して故郷へと戻りました。

Policemen returning from KZ, 1945

犠牲者の数と影響

収容所での犠牲者数については資料により異なりますが、拘禁中に死亡した警察官は81名から90名とされています。特にブーヘンヴァルトでは62名が亡くなりました。また、解放後に収容所での後遺症や病気で亡くなった人々を含めると、1968年の集計では計131名に達すると報告されています。

デンマーク警察の送還概要
項目 詳細
拘束開始日 1944年9月19日
拘束人数 1,960名
主な収容先 ノイエンガムメ、ブーヘンヴァルト、ミュールベルク
死亡者数 81名〜131名(資料により異なる)
救出手段 赤十字輸送、ホワイトバス作戦

Frequently Asked Questions

なぜデンマーク警察はナチスに逮捕されたのですか?

ナチス側が要求した「特定企業57箇所の警備」という命令を、デンマーク警察が組織的に拒否したためです。これにより、ドイツ当局は警察組織が信頼できないと判断し、一斉拘束に踏み切りました。

強制収容所から捕虜収容所へ移された意味は何でしたか?

強制収容所の囚人には権利がありませんでしたが、捕虜収容所の捕虜は国際条約(ジュネーブ条約など)による保護を受けることができたため、生存環境が大幅に改善されました。

「ホワイトバス」とはどのような作戦でしたか?

スウェーデンのフォルケ・ベルナドット伯爵が主導した人道的な救出作戦です。白いバスを用いて、ドイツの収容所にいたスカンジナビア諸国の囚人をスウェーデンへ避難させました。

最終的に何人の警察官が亡くなったとされていますか?

拘禁中の直接的な死者は81名から90名とされていますが、解放後の病死などを含めた広義の犠牲者は131名にのぼると計算されています。