アメリカ合衆国の開拓時代、軍人としての卓越した能力と誠実な人格で信頼を集めた人物がいました。それが、オハイオ州シンシナティの初代市長を務めたデイヴィッド・ジグラーです。ドイツからの移民でありながら、欧州での軍事経験を武器にアメリカの独立と国家形成に深く寄与した彼の生涯は、まさに挑戦の連続でした。
Key Facts
- シンシナティ初代市長:1802年から1803年にかけて、村の「評議会議長」として市政の基礎を築いた。
- 国際的な軍歴:ドイツ(神聖ローマ帝国)生まれで、ロシア軍での従軍経験を経てアメリカへ移住。
- 独立戦争への貢献:大陸軍の将校として、ロングアイランドの戦いやヨークタウンの戦いなど主要な局面で活躍。
- フロンティアの守護者:独立後も米国陸軍に身を置き、オハイオ川流域の辺境地帯で治安維持に従事。
欧州での研鑽とアメリカへの移住
ジグラーは1748年、神聖ローマ帝国のハイデルベルクで誕生しました。若き日の彼は軍道に進み、プロイセンのフリデリク大王の下で下級将校を務めたと伝えられています。その後、ロシア軍に加わり、1768年から1774年にかけての露土戦争で顕著な功績を挙げました。戦地での負傷を乗り越え、軍の解散とともに退役した彼は、1775年頃にペンシルベニア州ランカスター郡へと渡ります。
移住直後、アメリカは独立戦争の激動期に突入していました。ジグラーは大陸軍の第1ペンシルベニア連隊に少尉および副官として入隊します。1776年のロングアイランドの戦いで重傷を負うという困難に見舞われましたが、回復後はジョージ・ワシントン将軍の指揮下で、ブランディワインやジャーマンタウン、モノマスの戦いなど数々の激戦を戦い抜きました。また、過酷なバレーフォージでの冬営も経験しています。
軍事専門家としての台頭と辺境での戦い
ジグラーの真価は、その厳格な訓練能力にありました。1778年に大尉へ昇進すると、ペンシルベニア旅団の旅団検査官に任命され、部隊の規律向上に貢献しました。1781年のヨークタウンでの降伏戦にも立ち会い、その後はサウスカロライナでアンソニー・ウェイン将軍の下に仕えました。1783年に一度は退役し、ペンシルベニア州カーライルで食料品店を営むなど静かな生活を送りますが、軍への情熱は消えていませんでした。
1784年、彼は再び米国陸軍の大尉として召集され、オハイオ川流域のフロンティア(辺境地帯)へと派遣されます。1789年にはジョージ・ワシントン大統領により少佐に昇進し、フォート・ハルマー条約の際、先住民の代表団を護衛する重要な任務を遂行しました。この時期に、ロードアイランド州出身のルーシー・アン・シェフィールドと結婚し、家庭を築いています。
しかし、辺境での任務は困難の連続でした。1790年のハルマー遠征や、その後のセントクレアの敗北など、米軍が苦戦を強いられる局面が続きました。ジグラーは混乱する戦場においても冷静さを失わず、撤退する米軍の後方を守るなど、プロの軍人として職務を全うしました。軍内部の不和や嫉妬に心を痛めた彼は、1792年に軍を去る決意をします。
シンシナティの発展と政治への貢献
軍を退いたジグラーはシンシナティ近郊に定住し、農業や雑貨店の経営に乗り出しました。地域社会への貢献心も強く、1802年にシンシナティが村として法人化されると、その信頼の厚さから初代市長(当時は評議会議長)に選出されました。1803年には全会一致で再選されるなど、初期の市政において不可欠な存在となりました。
政治の表舞台を退いた後も、地元民兵の指揮官やオハイオ民兵の副官総監を務めるなど、地域の安全保障に尽力し続けました。1811年に没するまで、彼は市民から尊敬される指導者であり続けました。彼の功績を称え、シンシナティのオーバー・ザ・ライン地区にある「ジグラー・パーク」にはその名が刻まれています。
歴史家のジェームズ・H・オドネルは、彼を「新国家が大きな恩義を負うべき、絶対的に信頼できる軍人であり公僕であった」と評しています。どのような状況下でも冷静に、そして忠誠心を持って任務を遂行した彼の姿勢は、初期アメリカの精神を象徴していると言えるでしょう。
デイヴィッド・ジグラーの経歴まとめ
| 期間・年 | 役割・出来事 | 備考 |
|---|---|---|
| 1768年–1774年 | ロシア軍に従軍 | 露土戦争で活躍し、将校となる |
| 1775年–1783年 | アメリカ独立戦争(大陸軍) | 少尉から大尉まで昇進、主要戦線に従事 |
| 1784年–1792年 | 米国陸軍(オハイオ辺境) | 少佐に昇進、先住民との交渉や防衛に従事 |
| 1802年–1803年 | シンシナティ初代市長 | 村の法人化に伴い就任 |
| 1807年 | オハイオ民兵副官総監 | 地域の軍事行政を統括 |
Frequently Asked Questions
デイヴィッド・ジグラーはどこ出身ですか?
彼はドイツ(当時の神聖ローマ帝国)のハイデルベルクで生まれ、後にアメリカ合衆国へ移住した移民です。
シンシナティ市長としての任期はどのくらいでしたか?
1802年から1803年まで務めました。当初は「評議会議長」という名称の役職であり、2期目を務めた後、1804年の再出馬は辞退しています。
独立戦争以外にどのような軍事経験がありましたか?
アメリカへ移住する前、ヨーロッパでプロイセンのフリデリク大王の下で軍務に就いたほか、ロシア軍として露土戦争に従軍した経験を持っています。
彼がシンシナティで評価されていた理由は何ですか?
どのような困難な状況でも冷静さを失わず、忠実かつ専門的に任務を遂行する「信頼できる公僕」としての姿勢が高く評価されていました。
ジグラーの名前が残っている場所はありますか?
オハイオ州シンシナティのサイカモア通り(13番街と14番街の間)にある「ジグラー・パーク」が、彼の名にちなんで命名されました。
References
- History of Cincinnati and Hamilton County, Ohio: Their Past and Present. S. B. Nelson. 1894. pp. 269.
- Lucy Sheffield mother married Colonel of Marietta Ohio
- Winkler, John F (2011). Wabash 1791. Oxford: Osprey Publishing. p. 19. .
- Charles Theodore Greve (1904). Centennial History of Cincinnati and Representative Citizens, Volume 1. Biographical Publishing Company. p. 413. Retrieved 2013-05-22.