アメリカ西部開拓時代の末期、大胆不敵な犯罪で名を馳せたダルトン・ギャング。その中心にいたのが、リーダーのボブ・ダルトン(ロバート・レニック・ダルトン)でした。もともとは法を守る側にいた彼らが、なぜ凶悪な無法者へと変貌し、そして悲劇的な最期を迎えたのか。その波乱に満ちた生涯を辿ります。

主要な事実(Key Facts)
- リーダー:ボブ・ダルトン(1869年〜1892年)
- 主な活動:カンザス州およびオクラホマ準州での銀行・列車・駅馬車の強盗
- 特異な経歴:ボブと兄弟のグラットは、かつて連邦保安官代理として法執行に携わっていた
- 最期:1892年10月5日、カンザス州コフィービルでの強盗計画の失敗により射殺
- 生存者:兄弟のエメットのみが生き残り、14年の服役を経て恩赦を受けた
家族の背景と若き日の放浪
ボブは1869年、ミズーリ州キャス郡で、競馬の調教師であった父ルイスと母アデラインの間に生まれました。12人もの兄弟姉妹がいる大家族の中で育ったボブたちは、父の仕事に同行してカリフォルニア州へ渡り、そこで馬の世話や労働に従事します。この時期、兄弟の中には真面目に働く者もいれば、酒場での喧嘩に明け暮れる者もおり、家族の気質には奔放な一面がありました。
転機となったのは、兄のフランクがアーカンソー州フォートスミスで連邦保安官代理に任命されたことです。フランクは法執行官として高い信頼を得ていましたが、1887年に密造酒業者との衝突で命を落とします。この出来事が、後にボブたちが法と犯罪の境界線を越えるきっかけとなりました。
法執行官から犯罪者への転落
兄フランクの死後、ボブとグラットは彼の後任として保安官代理の職に就きます。しかし、ボブは酒に溺れ、次第に不安定な生活を送るようになります。彼はオセージ族の警察組織の構築に携わりましたが、1890年頃には金銭欲から馬盗みを始めるという、かつての職務に反する行為に手を染めました。
逃亡生活に入ったボブとエメットは、カリフォルニア州の兄弟ビルが所有する牧場に身を寄せます。ここでボブは、本格的な列車強盗を計画し始めました。1891年2月、彼らはカリフォルニア州アリラ付近で列車を襲撃しますが、金銭の奪取には失敗し、さらに激しい銃撃戦の中で鉄道員が死亡するという惨劇を招きました。
ダルトン・ギャングの結成と全盛期
カリフォルニアでの逃亡劇を経てオクラホマ準州に戻ったボブは、兄弟や地元の仲間を集め、本格的な犯罪集団「ダルトン・ギャング」を結成します。彼らは緻密な計画を立て、1891年5月のホートンでの強盗を皮切りに、大規模な列車強盗を繰り返しました。
特に1891年9月のレリエッタでの強盗では19,000ドルという大金を奪い、一躍名を上げます。その後もレッドロックやアデアなどの駅で大胆な犯行を重ね、当局を翻弄し続けました。彼らの活動を支えたのは、法執行機関の情報を流していた恋人のユージニア・ムーアなどの協力者でした。
コフィービルでの破滅的な最期
法執行機関の追及が激しくなる中、ボブは「最後の大仕事」として、故郷であるカンザス州コフィービルでの強盗を計画します。その計画は、同じ町にある2つの銀行を同時に襲撃するという、前代未聞の挑戦的なものでした。十分な資金を得て国外へ脱出することを目的としていたのです。
1892年10月5日、ボブ、グラット、エメット、そして仲間のパワーとブロードウェルが実行に移りました。しかし、町の人々に正体がすぐに露見し、住民たちが武装して包囲するという予想外の事態に陥ります。激しい銃撃戦の末、ボブ、グラット、パワー、ブロードウェルの4名は射殺されました。

唯一生き残ったエメットは、23か所もの銃創を負う重傷を負い、その後逮捕されました。彼は終身刑を言い渡されましたが、14年後に州知事による恩赦を受け、自由の身となりました。
ダルトン・ギャングの概要まとめ
| 名前 | 役割・特徴 | 結末 |
|---|---|---|
| ボブ・ダルトン | ギャングのリーダー。優れた射撃能力を持つ。 | 1892年 コフィービルで射殺 |
| グラット・ダルトン | ボブの兄弟。元保安官代理。 | 1892年 コフィービルで射殺 |
| エメット・ダルトン | ボブの兄弟。最年少メンバーの一人。 | 重傷を負い服役後、恩赦 |
| ビル・ダルトン | ボブの兄弟。主に助言や偵察を担当。 | 後に別のギャングへ加入 |
Frequently Asked Questions
ボブ・ダルトンはもともと犯罪者だったのですか?
いいえ。彼はもともと連邦保安官代理として法を執行する立場にありました。しかし、私生活での乱れや金銭的な欲求から馬盗みを始め、次第に本格的な強盗へと転落していきました。
コフィービルでの強盗計画が失敗した最大の理由は何ですか?
彼らが地元出身であったため、町の人々にすぐに正体がバレてしまったことです。これにより、住民たちが迅速に武装して対抗し、逃げ道を塞がれたことが決定打となりました。
ダルトン・ギャングのメンバーは全員兄弟だったのですか?
中心メンバーはダルトン兄弟でしたが、ビル・ドゥーリンやリチャード・ブロードウェルなど、外部の仲間も加入していました。また、恋人のユージニア・ムーアが情報提供などで協力していました。
生き残ったエメット・ダルトンはどうなったのですか?
コフィービルの銃撃戦で23か所の銃創を負いながらも生き残り、裁判で終身刑となりました。しかし、14年間の服役を経て、州知事から恩赦を受けて出所しました。
ボブ・ダルトンの射撃能力はどう評価されていましたか?
彼を追っていた連邦保安官代理のヘック・トーマスは、ボブを「これまで見た中で最も正確な射撃を行う人物だった」と回想しています。
References
- Article Title
- "DALTON Family History: Old West Kansas - Dalton Gang - KS Heritage Group - www.kansasheritage.org". Archived from the original on 11 November 2016. Retrieved 3 April 2017.
- Latta, Frank (1976). Dalton Gang Days: From California to Coffeeville. Bear State Books. pp. 1–44. .
- Latta, Frank (1976). Dalton Gang Days: From California to Coffeeville. Bear State Books. pp. 25–50. .
- Latta, Frank (1976). Dalton Gang Days:From California to Coffeeville. Bear State Books. pp. 50–209. .
- "The Dalton Gang Train Robbery at Adair, I.T." Lasr.net. Retrieved 1 March 2018.
- gunslinger.com. "The Dalton Gang". gunslinger.com. Archived from the original on 2011-05-11. Retrieved 6 March 2011.
- LEGENDS OF AMERICA. "The Dalton Brothers - Lawmen & Outlaws". LEGENDS OF AMERICA. Archived from the original on 23 February 2011. Retrieved 6 March 2011.
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