バーバラ・グリズーティ・ハリソン(1934年〜2002年)は、鋭い洞察力と情熱的な筆致で知られたアメリカのジャーナリストであり、エッセイスト、そして回想録作家です。彼女の作品は、個人の内面的な葛藤から社会的な不平等、そして世界各地への旅まで、多岐にわたるテーマを扱いました。特に、厳格な宗教的環境で育った経験を綴った自伝的な著作は、多くの読者に深い感銘を与えました。
Key Facts
- 主な経歴: ジャーナリスト、エッセイスト、回想録作家として活動。
- 代表作: エホバの証人としての経験を綴った『Visions of Glory』など。
- 執筆スタイル: 意識の流れを用いた回想録や、鋭い社会批評を含むエッセイ。
- 受賞歴: 『Italian Days』でアメリカン・ブック・アワードを受賞。
- 信仰の変遷: エホバの証人から不可知論を経て、最終的にカトリックへ改宗。
波乱に満ちた幼少期と信仰への没入
1934年、ニューヨーク市のクイーンズに生まれたバーバラは、南イタリア・カラブリア州からの移民を祖父母に持つ家庭で育ちました。しかし、その幼少期は決して平穏ではありませんでした。精神的な問題を抱えていた母親との関係は冷え切っており、後に父親からの虐待があったことも明かしています。こうした家庭内の不和が、彼女の後の創作活動における重要な原動力となりました。
転機が訪れたのは9歳の時でした。母親と共にエホバの証人に改宗したことで、信仰を持たなかった父親や兄弟との間に深い溝が生じます。母親は新しく得た信仰に完全に心酔し、終末論的な世界観に没頭しました。バーバラ自身も、その衝撃的な黙示録のビジョンに想像力を刺激される一方で、強い恐怖心を抱きながら成長しました。
学業に秀でていた彼女は飛び級を繰り返しましたが、思春期にブルックリンの高校で出会った英語教師アーノルド・ホロウィッツとの出会いが、彼女の作家としての才能を開花させます。二人はプラトニックな関係を築き、ホロウィッツが亡くなる1960年代後半まで、書簡などを通じて精神的な交流を続けました。
信仰からの脱却と自由な精神の探求
高校卒業後、大学進学を禁じられていたバーバラは、ブルックリンハイツにあるエホバの証人の世界本部(ウォッチタワー聖書冊子協会)で勤務します。しかし、そこでの生活は彼女の芸術的な感性と宗教的な規律との間で激しい衝突を引き起こしました。特にホロウィッツとの交流は組織内で問題視され、強い圧力を受けたことで、彼女は精神的な崩壊(神経衰弱)を経験します。
22歳の時、彼女はついに組織を離れ、信仰を完全に捨てました。その後、グリニッジ・ヴィレッジのボヘミアンな文化に身を投じ、あるアフリカ系アメリカ人のジャズ・トランペット奏者と激しい恋に落ちます。この関係を通じて、ビリー・ホリデイやフランク・シナトラといった当時のジャズ界の巨匠たちと親交を持つようになりました。
1960年にはW.デイル・ハリソンと結婚し、CARE(国際救助委員会)の職員である夫と共に、リビアのトリポリ、インドのムンバイやハイデラバード、グアテマラのチチカステナンゴなど、世界各地で生活しました。二人の間に一男一女をもうけましたが、1968年に離婚し、子供たちと共にニューヨークへ戻りました。
作家としての飛躍と社会への視座
1960年代後半から、バーバラは女性解放運動に深く関わり、フェミニズムをテーマにした執筆活動を開始します。1969年には、学校教育における性差別を報告した『Unlearning the Lie: Sexism in School』を出版し、著名な女性誌『Ms.』の初期寄稿者の一人としても活躍しました。
彼女の名を全米に広めたのは、1978年に出版された『Visions of Glory』です。この作品では、自身の幼少期の回想とエホバの証人の歴史を融合させ、個々の信者への共感を示しつつも、組織の権威主義的で差別的な側面を厳しく批判しました。なお、執筆当初は不可知論者であった彼女ですが、この過程で精神的な覚醒を経験し、カトリックへと改宗しました。
その後、彼女は『ニューヨーク・タイムズ』や『アトランティック・マンスリー』など、数多くの一流誌で執筆を続けました。特に、カルト的な傾向を持つ団体や、テキサス州ウェーコで起きたブランチ・ダビディアン事件など、自身の経験に基づいた宗教的・社会的な紛争の取材に定評がありました。
旅と文学、そして晩年
バーバラの好奇心は世界へと向かい、イタリアを舞台にした旅行記『Italian Days』(1989年)でアメリカン・ブック・アワードを受賞するなど、トラベルライティングの分野でも高い評価を得ました。また、小説や短編小説にも挑戦し、1989年にはオー・ヘンリー賞を受賞しています。
しかし、長年の喫煙習慣により、1994年に慢性閉塞性肺疾患(COPD)と診断されます。病状が進む中でも執筆への意欲は衰えず、1996年には最後の著作『An Accidental Autobiography』を完成させました。この本は伝統的な自伝形式ではなく、記憶や省察をテーマ別に綴った「意識の流れ」の手法を用いた作品となりました。
2002年4月24日、バーバラはマンハッタンのホスピスにて67歳でその生涯を閉じました。
主要著作まとめ
| 出版年 | 書名(英語) | 内容・特徴 |
|---|---|---|
| 1969 | Unlearning the Lie: Sexism in School | 学校教育における性差別に関する報告書 |
| 1978 | Visions of Glory | エホバの証人の歴史と個人の回想録 |
| 1984 | Foreign Bodies | 小説作品 |
| 1989 | Italian Days | イタリア旅行記(アメリカン・ブック・アワード受賞) |
| 1991 | The Islands of Italy | シチリア、サルデーニャ等の島々を巡る旅行記 |
| 1996 | An Accidental Autobiography | 意識の流れを用いた形式の回想録 |
Frequently Asked Questions
バーバラ・グリズーティ・ハリソンはどのような作家でしたか?
彼女はジャーナリスト、エッセイスト、回想録作家として活動し、宗教、フェミニズム、旅、そして個人の記憶をテーマに、鋭い批評精神と豊かな文体で作品を残した人物です。
彼女の代表作『Visions of Glory』の内容は?
自身が幼少期に属していたエホバの証人の歴史と、そこでの個人的な体験を組み合わせた作品です。信仰の過酷さや組織の権威主義を批判しつつ、信者個人の苦悩にも寄り添った内容となっています。
彼女の信仰心はどのように変化しましたか?
幼少期にエホバの証人に改宗し、後にそれを捨てて不可知論となりましたが、『Visions of Glory』の執筆過程で精神的な転換を迎え、最終的にカトリックに改宗しました。
どのようなジャーナリズム活動を行っていましたか?
『ニューヨーク・タイムズ』などの主要紙で執筆し、著名人のインタビューや、カルト的な宗教団体に関するレポート、世界各地のトラベルライティングなど、幅広い分野で活動しました。
晩年の健康状態と執筆活動への影響は?
慢性閉塞性肺疾患(COPD)を患い、身体的な自由が制限されましたが、その中でも意識の流れを用いた独創的な回想録『An Accidental Autobiography』を書き上げました。
References
- Douglas Martin (April 26, 2002). "Barbara Grizzuti Harrison, Author and Essayist, Dies at 67". The New York Times.
- "Barbara G. Harrison, 67; Writer Known for Her Fierce Opinions". . 27 April 2002.
- Review of Unlearning the Lie: Sexism in School, , July 1, 1973. Accessed October 11, 2022.
- "Review of Unlearning the Lie: Sexism in School", Feminist Studies Quarterly, Fall 1973.
- Barbara Grizzuti Harrison, Visions of Glory, Simon & Schuster, 1978, chapter 1.
- Elaine Woo, "Barbara G. Harrison, 67; Writer Known for Her Fierce Opinions", Obituaries, Los Angeles Times, April 27, 2002.
- Dennis Drabelle, "An Accidental Biography", The Washington Post, July 7, 1996.