政治の不条理を鋭いユーモアで切り取ったアート・ブクウォルドは、20世紀のアメリカにおいて最も影響力のある風刺作家の一人でした。ワシントン・ポスト紙のコラムニストとして名を馳せた彼は、権力者の滑稽さを描き出し、全米500以上の新聞に配信されるほどの絶大な人気を博しました。
Key Facts
- 主な功績: 1982年にピューリッツァー賞(解説部門)を受賞。
- 代表的な活動: ワシントン・ポスト紙での政治風刺コラムの執筆。
- キャリアの原点: 第二次世界大戦後のパリでジャーナリストとして活動。
- 多才な表現: 30冊以上の著書を出版し、映画やテレビにも出演。
- 不屈の精神: 自身の精神疾患や闘病生活を公表し、人生の終盤まで執筆を続けた。
波乱に満ちた幼少期と軍歴
1925年にニューヨークで生まれたブクウォルドの人生は、決して平坦ではありませんでした。ユダヤ系移民の家庭に生まれましたが、世界恐慌による家業の失敗により、幼少期を孤児院や里親のもとで過ごしました。栄養不足からくるくる病を患うなど、過酷な環境に置かれた時期もありました。
17歳で家を出た彼は、第二次世界大戦中に海兵隊への入隊を熱望しました。当時は親の同意が必要でしたが、彼は酒に酔った男性にウィスキーを渡し、偽の保護者として署名させるという大胆な手段で入隊を果たしました。太平洋戦線で軍曹まで昇進した彼は、後に「海兵隊にユーモア作家の居場所はなく、徹底的に鍛えられた」と回想しています。
パリでの飛躍とジャーナリズムの確立
除隊後、GI法(復員軍人援護法)を利用して南カリフォルニア大学(USC)で学びましたが、高校を卒業していなかったため学位は授与されませんでした。しかし、その才能は campus 誌などで開花し、1949年に単行切符でパリへ向かいました。
パリでは「パリス・ヘラルド・トリビューン」紙で、夜の街の様子を伝えるコラム「Paris After Dark」を連載し、瞬く間に人気となりました。この時期、彼はアーネスト・ヘミングウェイやパブロ・ピカソ、オーソン・ウェルズといった時代の寵児たちと交流し、知的な刺激を受けました。

また、軍務に就いていたエルヴィス・プレスリーに独占インタビューを行ったことも特筆すべきエピソードです。プレスリーがナイトクラブのピアノで即興演奏を行う様子などは、後の回想録に詳しく記されています。

ワシントンでの黄金時代と社会的影響
1962年に帰国したブクウォルドは、ワシントン・ポスト紙のコラムニストとして政治風刺の世界に没頭しました。彼は「毎日新聞を読むだけで十分だ。現実に起きている不条理な出来事以上に面白い作り話などできない」と語り、現実の政治状況を巧みに笑いに変えました。
その筆致は高く評価され、1982年にはピューリッツァー賞を受賞。さらに1991年にはアメリカ芸術・文学アカデミーに選出されるなど、風刺というジャンルを芸術の域まで高めたと認められました。

映画界との関わりと法的闘争
執筆活動以外にも、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『盗みの接吻』にカメオ出演したり、ジャック・タチの『プレイタイム』で英語台詞の寄稿を行うなど、映画界とも深い関わりを持っていました。また、映画『カミング・トゥ・アメリカ』を巡り、脚本の盗用を主張してパラマウント・ピクチャーズを訴え、勝訴したことでも知られています。
人生の晩年と死への向き合い方
華やかなキャリアの裏で、ブクウォルドは重い鬱病や双極性障害に苦しみ、入院生活を経験しました。また、晩年には糖尿病による合併症で足の切断や腎不全に見舞われました。
しかし、彼は死を恐れるのではなく、自らの意思で治療(血液透析)を停止することを決め、その過程をラジオ番組などで率直に語りました。ホスピスでの生活を綴った著書『Too Soon to Say Goodbye』を書き上げ、2007年1月17日、ワシントンD.C.にて81歳で息を引き取りました。
アート・ブクウォルドのプロフィールまとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 生没年 | 1925年10月20日 - 2007年1月17日 |
| 主な肩書き | 風刺作家、コラムニスト、著述家 |
| 主要受賞歴 | ピューリッツァー賞(1982年) |
| 代表的な所属 | ワシントン・ポスト紙、パリス・ヘラルド・トリビューン紙 |
| 著書数 | 30冊以上 |
Frequently Asked Questions
ブクウォルドのコラムはどのような内容でしたか?
主に政治的な風刺と評論に焦点を当てていました。政治家の矛盾や権力構造の不条理をユーモアたっぷりに描き、読者に権力への批判的な視点を提供しました。
ピューリッツァー賞はいつ、どのような理由で受賞しましたか?
1982年に「Outstanding Commentary(優れた解説)」部門で受賞しました。彼の鋭い洞察力と風刺的な筆致が、ジャーナリズムにおける高い価値を持つと認められたためです。
映画業界でどのようなトラブルがありましたか?
パラマウント・ピクチャーズに対し、映画『カミング・トゥ・アメリカ』の脚本案が盗用されたとして訴訟を起こしました。結果としてブクウォルドが勝訴し、損害賠償金を受け取っています。
晩年の闘病生活についてどのように向き合っていましたか?
糖尿病による腎不全などの重病を患いましたが、自らのリビングウィル(生前遺言)を作成し、尊厳ある死を選択しました。その過程を公表し、ホスピスでの経験を本にまとめるなど、最後まで作家としての視点を失いませんでした。
大学の学位を持っていなかったというのは本当ですか?
はい。南カリフォルニア大学(USC)で学びましたが、高校を卒業していなかったため、正規の学位は授与されませんでした。しかし、後に社会的な成功を収めたことで、1993年に同大学から名誉博士号を授与されています。
References
- "Ann Buchwald, 74, Writer and Ex-Agent". The New York Times. July 5, 1994.
- Hamilton, John Maxwell; Lawrence, Regina; Pfetzer, Emily M. (November 2, 2014). "The Evolution of an Expatriate Newspaper: As seen through editorial policies of the Paris Herald". Journalism Studies. 15 (6): 898–914. :10.1080/1461670X.2013.857799. 1461-670X.
- "Humorist Art Buchwald talks openly about depression". Emory Report.
- Severo, Richard; Brozan, Nadine (January 19, 2007). "Art Buchwald, Whose Humor Poked the Powerful, Dies at 81". .
- "Le Grande Thanksgiving", Art Buchwald, The Washington Post, November 24, 2005
- "Art Buchwald" (obituary), , January 19, 2007.
- Buchwald, Art (1996). I'll Always Have Paris: A Memoir. New York: G.P. Putnam's Sons. pp. 97–98. .
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- "Dirda on Books". "If you've seen To Catch a Thief ... you'll remember that the return of The Cat is covered in the Paris Herald Tribune. If you look at the author of the article, it's Art Buchwald."
- "Playtime (1967) - IMDb". .
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