北米の大平原を舞台に、強靭な精神と独自の文化を築き上げてきたアラパホ族(自称:ヒノノエイノ)。彼らはアルゴンキン語族に属し、かつては広大な領土を駆け巡る狩猟民として、また勇敢な戦士として知られていました。激動の時代の中で、彼らは同盟と対立を繰り返し、アメリカ合衆国との過酷な闘争を経て、現在はワイオミング州やオクラホマ州を中心にそのアイデンティティを継承しています。
彼らの伝統的な装束は、精巧なビーズ細工やクイルワーク(針仕事)が特徴であり、その芸術性は現代まで高く評価されています。

主要な事実(Key Facts)
- 言語的ルーツ:アルゴンキン語族に属し、独自の言語「ヒノノエイティート」を使用する。
- 主要居住地:現在は主にワイオミング州(ウィンドリバー保留地)とオクラホマ州に居住。
- 歴史的同盟:シャイアン族と強固な同盟を結び、大平原での勢力を拡大した。
- 人口の推移:19世紀から20世紀にかけて激減したが、2020年には約12,192人にまで回復。
- 現代の経済:カジノ産業などの事業運営を通じて、部族の経済的自立を推進している。

大平原への進出と部族間のダイナミズム
アラパホ族はもともと東方に位置していましたが、次第に大平原へと活動範囲を広げました。彼らの言語的分布は、北米の広範な地域に及ぶアルゴンキン語族の流れを汲んでいます。

1811年頃、彼らはシャイアン族と戦略的な同盟を締結しました。この協力関係により、狩猟領域を大幅に拡大することに成功し、1826年までにはラコタ族やダコタ族と共に、キオワ族やコマンチ族を南へと押しやりました。その後、1840年にはこれらの部族と和平を結び、共存の道を歩むことになります。
彼らの文化において、戦士としての誇りは極めて重要でした。馬を操り、敵に接近して打撃を与える「クー(Coup)」などの勇猛さを競う文化が根付いていました。

悲劇のサンドクリーク虐殺と抵抗の時代
19世紀半ば、白人入植者の増加に伴い、緊張が高まりました。些細な衝突や誤解が積み重なり、米軍による攻撃的な姿勢が強まります。その頂点が、1864年に発生したサンドクリーク虐殺です。この惨劇は、平和的な意図を持っていた部族に対し、米軍が容赦ない攻撃を加えたものでした。

現在、コロラド州のキオワ郡には、この悲劇を記憶するためのマーカーが設置されています。

この事件はアラパホ族とシャイアン族に深い怒りを植え付け、その後30年にわたる激しい紛争(コロラド戦争など)へと発展しました。彼らはラコタ族などの同盟軍と共に、ジュールズバーグの戦いやプラットブリッジの戦いで米軍に勝利を収めるなど、激しく抵抗しました。
一方で、リトルレイヴンなどの指導者は和平を模索し、1867年のメディシンロッジ条約に署名してオクラホマ州の保留地へと移住しました。また、南部の女性たちが身につけていたレギンスやモカシンなどの工芸品は、当時の生活様式を今に伝えています。

北部の闘争とレッドクラウド戦争
北部のグループは、ワイオミング州のパウダーリバー地域へと拠点を移しました。ここでは、ゴールドラッシュに伴うボーズマン・トレイルの利用者が急増し、資源を巡る衝突が絶えませんでした。米軍によるパウダーリバー遠征が行われましたが、アラパホ族は巧みに回避し、ゲリラ戦を展開しました。
特に有名なのが、1866年のフェッターマン戦いです。少数のデコイ(囮)に誘い出されたフェッターマン大尉率いる米軍部隊が、待ち伏せしていた戦士たちによって全滅させられました。これは、リトルビッグホーンの戦いまで、大平原における米軍最大の敗北の一つとされています。

こうした抵抗の結果、1868年のフォートララミー条約により、パウダーリバー地域の法的支配権を一時的に勝ち取りました。ブラックコールのような影響力のある指導者は、外交的な手腕を振るい、部族を不必要な戦争から遠ざけようと努めました。

戦士たちは、米軍兵士を馬から引きずり下ろしたり、ライフル銃の銃床で打撃を与えたりするなどの勇猛な戦いぶりを、後の「レジャー・ドローイング(帳簿画)」として記録に残しています。



リトルビッグホーンの戦いとその後
1876年、聖地ブラックヒルズへの不法侵入を巡り、大スー戦争が勃発しました。その最大の激突となったのがリトルビッグホーンの戦いです。カスター中佐率いる米軍第7騎兵連隊は、ラコタ、シャイアン、そして少数のアラパホ戦士たちの連合軍によって壊滅させられました。
この戦いに偶然居合わせた5人のアラパホ戦士のうち、ウォーターマンは赤い顔に塗り、豪華な羽根飾りを身にまとって戦ったと伝えられています。彼はカスターの最期を目撃した一人であると主張しています。
![Chief Powder Face with war lance associated with the second dance ceremony (biitahanwu), 1864[48]](/images/06/e7/06e74aeb606a2634cddf544276add5c521e2f0c5bed2f7480343ddd0852536b5.jpg)
現代における再生と経済的自立
長い苦難の歴史を経て、現代のアラパホ族は文化の保存と経済的な自立に注力しています。特に北アラパホ族は、法的な闘争を経てワイオミング州でカジノ産業への参入権を獲得しました。ウィンドリバーカジノなどの運営を通じて得た収益は、部族の発展に充てられています。
また、ホテル内に「北アラパホ体験(Northern Arapaho Experience)」という文化展示室を設け、次世代への伝統継承と外部への理解促進を図っています。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 言語 | ヒノノエイティート(アルゴンキン語族)、英語、平原手話 |
| 主要地域 | 米国ワイオミング州、オクラホマ州 |
| 宗教 | 伝統宗教、キリスト教、ペヨテ教 |
| 人口(2020年) | 約12,192人 |
| 主要な同盟相手 | シャイアン族、ラコタ族 |
よくある質問(FAQ)
アラパホ族はどのような言語を話していますか?
彼らはアルゴンキン語族に属する独自の言語「ヒノノエイティート(Hinónoʼeitíít)」を話します。また、歴史的に他の部族との交流のために「平原手話」も使用していました。現在は英語が広く使われています。
サンドクリーク虐殺とは何ですか?
1864年に米軍が、平和的に共存しようとしていたアラパホ族とシャイアン族の村を攻撃し、多くの女性や子供を含む非戦闘員を殺害した悲劇的な事件です。これが後の激しい対立の引き金となりました。
リトルビッグホーンの戦いにアラパホ族は関わっていましたか?
はい。ただし、組織的な参戦ではなく、偶然その場に居合わせた5人のアラパホ戦士が、ラコタやシャイアンと共に米軍と戦いました。そのうちのウォーターマンという戦士が、カスター中佐の死を目撃したと語っています。
現代のアラパホ族はどのように生活していますか?
現在はワイオミング州のウィンドリバー保留地やオクラホマ州に居住しています。伝統文化を大切にしながら、カジノ産業などの事業運営を通じて経済的な自立を実現し、教育や文化継承に取り組んでいます。
アラパホ族とシャイアン族の関係はどのようなものでしたか?
1811年頃から非常に強固な同盟関係にありました。互いに協力して狩猟領域を広げ、米軍との戦いにおいても共に戦った、極めて親密なパートナー関係にありました。
References
- "2010 Census CPH-T-6. American Indian and Alaska Native Tribes in the United States and Puerto Rico: 2010" (PDF). census.gov.
- "Indian Entities Recognized by and Eligible To Receive Services From the United States Bureau of Indian Affairs". January 8, 2024.
- "Arapaho text corpus".
- Fred Eggan, Loretta Fowler: Arapaho Politics, 1851–1978: Symbols in Crises of Authority,
- Petter, Rodolphe (July 5, 2021). English-Cheyenne dictionary. Kettle Falls, Wash. – via HathiTrust.
- Clark, Patricia Roberts (October 21, 2009). Tribal Names of the Americas: Spelling Variants and Alternative Forms, Cross-Referenced. McFarland. pp. 10, 74. .
- Also Hanahawunena, Aanu’hawa, Aanuhawa, Aanunhawa, Hananaxawuune'nan, Aanû'nhawa.
- Wiles, Sara (September 14, 2012). Arapaho Journeys: Photographs and Stories from the Wind River Reservation. University of Oklahoma Press. .
- Cowell, Andrew, and Alonzo Moss. The Arapaho Language. University Press of Colorado, 2008.
- Pritzker 319
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![Chief Powder Face with war lance associated with the second dance ceremony (biitahanwu), 1864[48]](/images/06/e7/06e74aeb606a2634cddf544276add5c521e2f0c5bed2f7480343ddd0852536b5.jpg)