1930年代のイングランドサッカー界において、強烈なシュート力と類まれな両足の扱いで名を馳せた選手がいました。アルフレッド・ジョン・キルシェン(Alfred John Kirchen)です。彼はノリッジ・シティでの鮮烈なデビューを経て、当時の絶対王者アーセナルへと昇り詰め、イングランド代表としてもその才能を披露しました。
Key Facts
- ポジション: 右ウィング(アウトサイドライト)
- 主な所属クラブ: ノリッジ・シティ、アーセナル
- 代表経歴: イングランド代表として3試合に出場し2得点を記録
- 最大の特徴: 左右どちらの足でも放てる高速かつ強力なシュート
- 主な実績: 1937-38シーズンのファーストディビジョン優勝
プロキャリアの幕開けとアーセナルへの移籍
ノーフォーク州シュールダムに生まれたキルシェンは、地元のクラブや郡のユースチームで頭角を現しました。1934年、当時のセカンドディビジョンに属していたノリッジ・シティのトム・パーカー監督に才能を見出され、プロとしてのキャリアをスタートさせます。彼は加入直後から驚異的な得点能力を発揮し、リーグ戦14試合で7ゴール、FAカップ4試合で3ゴールを挙げる活躍を見せました。
この目覚ましい成長は、当時のファーストディビジョン王者であるアーセナルの目に留まります。1935年3月、21歳だった彼は6,000ポンドの移籍金でハイベリーの地へと足を踏み入れました。
ハイベリーでの躍進と代表としての活躍
アーセナル加入後、キルシェンは衝撃的なデビューを飾ります。1935年3月6日、宿敵トッテナム・ホットスパーとのノースロンドンダービーにいきなり先発し、2ゴールを記録。チームは6-0というダービー史上最多得点差で勝利し、彼の名は一気に広まりました。
当初はジョー・ハルムとの激しいポジション争いにさらされていましたが、1936-37シーズンには正右ウィングの座を勝ち取りました。特に、左右どちらの足でも自在に放てる強力なシュートは彼の代名詞となり、1937年のスカンジナビア遠征ではイングランド代表として3試合に出場し、2ゴールを挙げるなど国際舞台でもその実力を証明しました。
戦争による中断と選手生命の終焉
1937-38シーズンには念願のリーグ優勝を経験しますが、選手として全盛期を迎えようとしていた矢先、第二次世界大戦が勃発します。キルシェンは王立空軍(RAF)に所属し、体育教官として勤務しながら、戦時中の親善試合にアーセナルの一員として出場し続けました。戦時中の記録を含めると、彼はアーセナルで計214試合に出場し、125ゴールという素晴らしい数字を残しています。
しかし、1943年のウェストハム・ユナイテッド戦で負った深刻な怪我が致命傷となり、不本意ながら早期のリタイアを余儀なくされました。
引退後の人生と多彩な活動
現役引退後、キルシェンは古巣のノリッジ・シティにトレーナーとして復帰したほか、地元ノーフォーク州クリングルフォードで農場を営むなど、静かな生活を送りました。その後、再びノリッジ・シティのディレクターに就任し、ノーフォーク・アーセナルサポーターズクラブの名誉会長を務めるなど、サッカー界への貢献を続けました。
また、スポーツへの情熱はサッカーに留まらず、クレー射撃で国を代表して出場したほか、ローンボウルズの熱心なプレーヤーとしても知られていました。1999年8月18日、86歳の誕生日を目前に、その波乱に満ちた人生に幕を閉じました。
選手データまとめ
| 項目 | 詳細 / 記録 |
|---|---|
| 生年月日・没年月日 | 1913年8月26日 - 1999年8月18日 |
| 身長 | 1.80 m |
| ノリッジ・シティ(初期) | 14試合 (11得点) ※カップ戦含む |
| アーセナル(公式戦) | 92試合 (38得点) |
| イングランド代表 | 3試合 (2得点) |
| 獲得タイトル | ファーストディビジョン優勝 (1937-38)、チャリティ・シールド (1938) |
Frequently Asked Questions
キルシェン選手のプレイスタイルにおける最大の特徴は何でしたか?
右ウィング(アウトサイドライト)としてプレーしていましたが、最大の特徴は左右どちらの足でも同等の精度と威力で放てる、非常に高速で強力なシュート力にありました。
アーセナルでのデビュー戦はどのような結果でしたか?
1935年3月6日のトッテナム・ホットスパー戦でデビューし、いきなり2ゴールを決めました。チームは6-0で勝利し、これはノースロンドンダービーにおける当時の記録的な大勝となりました。
なぜ全盛期にプロとしての公式キャリアが制限されたのでしょうか?
第二次世界大戦の勃発により、公式リーグの活動が制限されたためです。彼は王立空軍に所属しながら戦時中の試合に出場していましたが、1943年の怪我が原因で引退に追い込まれました。
サッカー引退後の生活はどのようなものでしたか?
ノリッジ・シティのトレーナーやディレクターを務めたほか、ノーフォーク州で農場を経営していました。また、クレー射撃の代表選手やローンボウルズの愛好家としても活動していました。
イングランド代表としての実績は?
1937年のスカンジナビア遠征時に招集され、ノルウェー戦でデビューしました。計3試合に出場し、2ゴールを記録しています。
References
- "1937–38 competition statistics". 11v11.com. Retrieved 28 November 2013.
- "1938/39 F.A. Charity Shield". footballsite.co.uk. Retrieved 2 February 2022.