XCG-18/YC-122 アビトラック:グライダーから輸送機へ進化した米軍の挑戦
第二次世界大戦後、米軍はより堅牢で輸送能力の高い兵員・物資輸送手段を模索していました。その過程で誕生したのが、チェイス航空によって設計されたXCG-18およびYC-122「アビトラック(Avitruc)」です。もともとは無動力のグライダーとして開発が始まりましたが、後にエンジンを搭載した動力機へと進化を遂げたユニークな経歴を持つ機体です。
Key Facts
- 開発の起点:CG-14輸送グライダーをベースに、全金属製で大型化した設計。
- 世界初の快挙:XCG-18Aは、世界で初めて全金属製で製作された輸送グライダーとなった。
- 設計の特徴:高翼カンチレバー単葉機で、後部に貨物用ランプを備えた矩形断面の胴体を持つ。
- 運用の結末:評価は良好だったが、小型輸送機の需要低下によりプロジェクトは中止され、C-123Bに置き換えられた。
- 技術的遺産:退役後の機体胴体は、実験機「ヒラー X-18」の構築に利用された。
設計のコンセプトと進化の過程
戦時中の木製強襲グライダーは、使い捨てに近い性質を持っていました。しかし、戦後の運用では「より重い積載量」と「再利用可能な耐久性」が求められました。そこでマイケル・ストロウコフが設計し、チェイス航空が製造したのが、全金属製の新設計機です。当初はXCG-14Bと呼ばれていましたが、設計が根本的に刷新されたため、XCG-18Aへと名称が変更されました。
特に注目すべきは翼断面の薄型化です。これにより牽引速度を向上させることが可能となり、P-47戦闘機のような比較的小型の機体でも、本機を牽引して離陸・輸送させることができました。

動力化への移行とバリエーション
1948年以降、米空軍は無動力の強襲グライダーへの関心を失い、代わりにエンジンを搭載した動力バージョンの開発に注力しました。これがYC-122シリーズです。初期のプロトタイプにはプラット・アンド・ホイットニー製エンジンが搭載されていましたが、後にライト社製のエンジンに換装されたモデル(YC-122B)が登場し、それが最終的な試験仕様機であるYC-122Cへと繋がりました。

運用実績と退役までの道のり
YC-122Cはテネシー州のスウォート空軍基地やオクラホマ州のアドモア空軍基地で集中的に評価試験が行われました。性能面では高い評価を得ており、アドモア基地では1955年までに1,000時間の飛行時間を記録したパイロット(フィリップ・C・グロムリー大尉)が現れるほど、実用的に運用されていました。
しかし、米空軍の戦略的ニーズの変化により、このクラスの小型輸送機の必要性がなくなり、プロジェクトは打ち切られました。1955年7月までにすべての機体がフェアチャイルド C-123B プロバイダーに置き換わり、最後の1機がアリゾナ州のデイビス-モンサン空軍基地へ送られたことで、その運用史に幕を閉じました。
YC-122C 主要諸元まとめ
| 項目 | 詳細仕様 |
|---|---|
| 乗員 / 輸送能力 | パイロット2名 / 兵員30名(または担架24台、貨物3.4トン) |
| 機体寸法 | 全長 18.80m / 全幅 29.16m / 全高 7.52m |
| 重量 | 自重 8,618kg / 最大離陸重量 18,144kg |
| エンジン | ライト R-1820-101 空冷星型エンジン ×2(各1,063kW) |
| 最大速度 / 巡航速度 | 最大 390km/h / 巡航 320km/h |
| 航続距離 / 実用上昇限度 | 1,600km(最大積載時) / 8,900m |
Frequently Asked Questions
XCG-18とYC-122の違いは何ですか?
XCG-18は無動力の輸送グライダーであり、YC-122はその設計をベースにエンジンを搭載して動力化した輸送機です。
なぜ全金属製に設計変更されたのですか?
第二次世界大戦中の木製グライダーは使い捨てに近いものでしたが、戦後は耐久性を高め、繰り返し運用できるようにするため、より堅牢な金属製構造が採用されました。
この機体は最終的にどうなったのでしょうか?
米空軍で小型輸送機の需要がなくなったため、C-123B プロバイダーに置き換えられて退役しました。一部の機体は1957年まで補助的な役割で使用されました。
退役後の機体が利用された事例はありますか?
はい。YC-122の機体胴体の一つが、実験的な貨物輸送機である「ヒラー X-18」の製造に再利用されました。
YC-122Cの輸送能力はどの程度でしたか?
最大で兵員30名、または負傷兵用の担架24台、あるいは約3.4トンの貨物を運ぶことが可能でした。
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