ニューヨークの街並みに溶け込みながら、常に革新的な姿勢を貫いてきたホイットニー美術館。この美術館は、単に作品を展示する場所ではなく、時代の寵児や、当時は認められていなかった前衛的なアメリカ人アーティストたちに光を当て続けてきた歴史を持っています。創設者の情熱から始まり、マンハッタンの街を移動しながら進化してきたその歩みを辿ります。
Key Facts
- 創設目的:欧州美術に偏重していた当時の傾向に対し、アメリカ人アーティストの作品を専門に扱うために設立。
- 創設者:彫刻家でありコレクターでもあったガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニー。
- 建築の変遷:グリニッジ・ヴィレッジからアッパー・イースト・サイドを経て、現在はミートパッキング・ディストリクトに位置する。
- 現在の拠点:建築家レンゾ・ピアノによる設計で、ハイラインの南端に隣接している。
美術館の誕生と初期の歩み
ホイットニー美術館の原点は、ガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーの深い芸術への情熱にあります。彼女は1905年から美術品の収集を開始し、1914年には「ホイットニー・スタジオ」や「ホイットニー・スタジオ・クラブ」を運営して、無名の前衛芸術家たちを支援しました。特に、ジョン・スローンやエドワード・ホッパーら、当時の社会のありのままを描いたアシュカン派などの急進的なスタイルを高く評価していました。
転機となったのは1929年です。彼女が収集した500点以上の作品をメトロポリタン美術館に寄贈しようとしたところ、拒否されました。また、当時オープンしたばかりの近代美術館(MoMA)が欧州のモダニズムを優先していたこともあり、彼女は「アメリカ美術専用」の美術館を自ら設立することを決意します。
1931年11月18日、グリニッジ・ヴィレッジのウェスト8番街にある3棟のロウハウスを改装した建物で、ホイットニー美術館が開館しました。初代館長のジュリアナ・R・フォースは、世間に受け入れられにくい作品であっても、現代のアメリカ美術として提示し続けるという強い信念を持って運営にあたりました。

一時的な移転と危機
1954年に一度、MoMAの背後にある小さな施設へ移転しましたが、1958年にはMoMAで火災が発生。この際、避難させた作品(シカゴ美術館から借用していたジョルジュ・スーラの代表作など)やスタッフを一時的に受け入れることとなりました。
アッパー・イースト・サイド時代と拡大の模索
1966年、美術館はさらなる規模拡大を目指し、マンハッタンのアッパー・イースト・サイド(マディソン街と75丁目)へ移転しました。建築家マルセル・ブロイヤーとハミルトン・P・スミスが設計したこの建物は、花崗岩の階段状のファサードと台形窓が特徴的な、極めてモダンな外観を持っていました。

その後、数十年にわたりスペース不足という課題に直面します。美術館は、ロウアー・イースト・サイドの「アート・リソース・センター(ARC)」や、企業ロビーを利用したサテライト展示など、多様な形態で展示空間を確保しようと試みました。また、ノーマン・フォスターやマイケル・グレイブスといった著名な建築家に増築案を依頼しましたが、コストやデザインの不一致から、多くの計画が頓挫することとなりました。
現代の拠点:ミートパッキング・ディストリクトへの移転
2015年5月1日、美術館はついに現在の拠点であるウェスト・ヴィレッジとミートパッキング・ディストリクトの境界にオープンしました。建築家レンゾ・ピアノが設計したこの新館は、総工費4億2,200万ドルを投じた壮大なプロジェクトです。

新館は約18,580平方メートルの広さを誇り、ニューヨーク市内で最大級の柱のないギャラリースペース、教育センター、劇場、保存修復ラボ、ライブラリーを備えています。また、5階から8階にかけて屋外階段で結ばれた展望デッキがあり、ハドソン川やグリニッジ・ヴィレッジの絶景を楽しむことができます。

この移転に伴い、旧館(マディソン街)はメトロポリタン美術館が一時的に利用することで合意され、資金的な負担が軽減されました。
社会的責任と論争
近年、美術館は運営面での激しい批判にさらされました。2018年末から2019年にかけて、理事会副議長であったウォーレン・カンダーズ氏が、移民への弾圧に使用された催涙ガスを製造するサファリランド社の所有者であることが問題視されました。
「Decolonize This Place」などの団体による抗議活動が激化し、2019年のホイットニー・ビエンナーレに参加予定だった多くのアーティストが作品の撤回を表明しました。この圧力の結果、2019年7月25日、カンダーズ氏は理事会からの辞任を発表しました。

ホイットニー美術館の概要まとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 設立年 | 1930年(開館は1931年) |
| 設立目的 | アメリカ人アーティストの作品を専門に展示・保存すること |
| 主要な建築家 | マルセル・ブロイヤー(旧館)、レンゾ・ピアノ(新館) |
| 現在の所在地 | ニューヨーク市 マンハッタン(ミートパッキング・ディストリクト) |
| 施設の特徴 | 広大な柱のないギャラリー、屋外展望デッキ、ハイラインへのアクセス |
Frequently Asked Questions
なぜホイットニー美術館は設立されたのですか?
創設者のガートルード・ホイットニーが、当時の主要な美術館が欧州美術を重視し、アメリカ人アーティストを軽視していたことに不満を持ち、彼らの作品を専門に扱う場所を作るためです。
現在の建物はどのような特徴がありますか?
レンゾ・ピアノによる設計で、非常に開放的な空間が特徴です。ニューヨーク最大級の柱のないギャラリーや、屋外階段でつながる複数のテラスがあり、都市の景観とアートを同時に楽しめます。
アシュカン派とは何ですか?
20世紀初頭のアメリカで活動した芸術家集団で、都市の貧困や日常のありのままの風景を写実的に描いたのが特徴です。ホイットニー美術館は初期から彼らの作品を積極的に支援しました。
2019年の抗議活動は何が原因でしたか?
理事会副議長のウォーレン・カンダーズ氏が、人権侵害に使用された催涙ガスの製造会社の所有者であったため、アーティストや市民団体から倫理的な責任を問われ、辞任に至りました。
旧館(マディソン街)はどうなりましたか?
2015年の新館移転後、メトロポリタン美術館が少なくとも8年間にわたって利用する契約を結び、スペースが活用されました。
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