アメリカの西部開拓時代を象徴する風景といえば、カウボーイやガンマンが集うサルーン(酒場)でしょう。単なる飲酒の場にとどまらず、娯楽、ギャンブル、そして時には政治的な駆け引きが行われたこの空間は、当時のフロンティア精神と混沌を体現していました。1822年にワイオミング州のブラウンズ・ホールで毛皮猟師向けに開設された最初の一軒から、全米に広がる文化へと発展していきました。
主要な事実(Key Facts)
- 多様な客層:カウボーイ、鉱夫、兵士、法執行官から無法者まで、あらゆる階層が集まった。
- 呼称の多様性:「watering trough(水飲み場)」や「gin mill(ジン工場)」など、多くの俗称で呼ばれた。
- 無料ランチ:客を惹きつけるため、飲み物を一杯注文すれば食事が無料で提供される戦略があった。
- 禁酒法への道:1893年に結成された反サルーン連盟(Anti-Saloon League)の活動が、後の憲法修正第18条(禁酒法)へと繋がった。
- 民族による違い:アイルランド系は立ち飲み形式を好み、ドイツ系は家族連れが利用できる明るいビアガーデン形式を好んだ。
サルーンの成り立ちと社会的役割
「サルーン」という言葉は、フランス語の「salon(サロン)」に由来し、さらにイタリア語の「salone(大広間)」まで遡ります。もともとは貴族の社交場を指していましたが、1841年頃のアメリカでは、現在の酒場という意味へと変化しました。
1880年代になると、ビール醸造所が自社製品を販売するために店を直接所有する「タイドハウス(Tied-house)」システムが導入され、豪華な内装の店が増加しました。また、政治家にとっても、地域住民と柔軟に交流できるサルーンは重要な活動拠点となりました。
店内の様子と建築的特徴
サルーンの外観や設備は、地域の発展段階によって大きく異なりました。辺境の地では、テントや小屋、あるいは古い船の船体や丘を掘った空間が利用されることもありました。一方、町が成長するにつれ、内装にはボヘミアン様式のグラスや油彩画が飾られるなど、洗練されていきました。
最も象徴的なのが、胸から膝までの高さにある「バットウィング・ドア(スイングドア)」です。この二方向開閉式のドアは、当時のサルーンの代名詞となりました。

また、民族的な背景によってもスタイルが分かれました。アイルランド系の店ではウイスキーが主流で、女性は裏口からしか利用できない厳格なルールがある一方、ドイツ系の店は明るい照明の下で食事が提供され、家族連れも歓迎されるアットホームな雰囲気でした。
提供された酒と「無料ランチ」の戦略
初期のサルーンで提供されていたのは、粗悪なアルコールに焦げた砂糖や噛みタバコを混ぜた自家製ウイスキーでした。こうした質の低い酒は「ロットガット(Rotgut)」と呼ばれ、それを避けるために客はシャンパン・フリップなどの凝ったミックスドリンクを注文しました。
ビールは当初、冷蔵設備がないため常温で提供されていましたが、1880年にアドルフス・ブッシュがパストゥリゼーション(低温殺菌)と冷蔵技術を導入したことで状況が変わりました。

また、1870年代から1920年代にかけて、「無料ランチ」というユニークな集客手法が流行しました。飲み物を一杯注文すれば、それ以上の価値がある食事が無料で提供される仕組みです。店主は、客が結果的に複数杯の酒を飲むことや、リピーターが増えることで利益を得るという計算でこのサービスを行っていました。
娯楽と混沌:ギャンブルと治安
サルーンは総合娯楽施設でもありました。ファロ、ポーカー、ダイスなどの賭博に始まり、ビリヤードやダーツ、ボウリングなどが導入されました。また、ピアノ奏者やカンカン踊りのダンサー、演劇的なスケッチなどが披露されることもありました。

しかし、こうした華やかさの裏には、売春やアヘン窟としての側面を持つ店もあり、治安の悪化を招く要因ともなりました。禁酒運動を推進した人々は、こうした道徳的退廃を激しく非難しました。

伝説的な人物と有名なサルーン
多くの著名人がサルーンに名を刻んでいます。例えば、法執行官でありギャンブラーでもあったワイアット・アープは、アリゾナ州トゥームストーンのオリエンタル・サルーンで管理職を務めたほか、アラスカのノームに豪華な「デクスター・サルーン」を建設するなど、各地で事業を展開しました。

また、カンザス州アビリーンにあった「ブルズ・ヘッド」では、店主のフィル・コーと、当時の保安官ワイルド・ビル・ヒコックが壁の絵を巡って激しく対立し、最終的にヒコックがコーを殺害するという事件が起きています。皮肉にも、ヒコック自身も後にサウスダコタ州デッドウッドのサルーンで、カードゲーム中に背後から撃たれて命を落としました。彼が持っていたとされる「エースとエイト」の組み合わせは、現在でも「死者の手(dead man's hand)」として知られています。
サルーン文化のまとめ
西部開拓時代のサルーンは、単なる酒場ではなく、社会の縮図のような場所でした。以下にその特徴をまとめます。
| 項目 | 特徴・詳細 |
|---|---|
| 主な客層 | カウボーイ、鉱夫、兵士、ギャンブラー、法執行官など |
| 象徴的な設備 | バットウィング・ドア、木製バーカウンター、ピアノ |
| 提供飲料 | ウイスキー(ロットガット含む)、ビール、ミックスドリンク |
| 主な娯楽 | ポーカー、ファロ、ダンス、ビリヤード |
| 衰退の要因 | 反サルーン連盟の活動による禁酒法の制定(1920年) |
Frequently Asked Questions
サルーンで提供されていた「無料ランチ」とは何でしたか?
飲み物を少なくとも一杯注文した客に、無料で食事が提供される集客戦略です。食事の価値は飲み物一杯の価格を上回ることが一般的でしたが、店側は客が追加で酒を注文することや、常連客を増やすことで収益を上げていました。
「ロットガット(Rotgut)」とはどのようなお酒のことですか?
粗悪な品質の強い酒のことです。特に初期のサルーンでは、純アルコールに焦げた砂糖や噛みタバコなどを混ぜた自家製ウイスキーなどが提供されており、これらを避けるために客は凝ったカクテルを好みました。
サルーンのドアが特徴的な形をしていたのはなぜですか?
「バットウィング・ドア」と呼ばれる、胸から膝までの高さにある二方向開閉式のドアが一般的でした。これは出入りのしやすさと、店内のプライバシーや温度をある程度保つ役割がありました。
禁酒法はどのようにして実現したのですか?
1893年に結成された「反サルーン連盟(Anti-Saloon League)」が強力なロビー活動を展開しました。彼らは政府に働きかけ、酒類の製造や輸入を禁止する法律を推進し、最終的に1920年の憲法修正第18条によって全米で禁酒法が施行されました。
ワイアット・アープはサルーンとどのような関係がありましたか?
彼は法執行官としての顔を持つ一方で、熟練のギャンブラーであり、多くのサルーンを経営または管理していました。アリゾナ、アイダホ、サンディエゴ、アラスカ、ネバダなど、ゴールドラッシュに伴うブームタウンで次々と店を開き、多額の利益を上げました。
References
- The Week: New York, Thursday, August 13, 1891, pg. 112
- "saloon". Online Etymology Dictionary. Retrieved June 25, 2019.
- "Saloons". Encyclopedia.chicagohistory.org. Retrieved November 7, 2012.
- "Free Lunch in the South." The New York Times, Feb 20, 1875, p. 4. Re value of the lunch, this source speaks of patrons who "take one fifteen cent drink [and] eat a dinner which would have cost them $1 in a restaurant." https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1875/02/20/82755928.pdf
- "Saloon Doors, Petticoats and Pistols". February 1, 2011. Retrieved October 1, 2013.
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