アメリカ、オハイオ州シンシナティの歴史において、政治とビジネスの両面で足跡を残した人物がウォルトン・H・バクラックです。彼は共和党員として市議会議員を歴任し、1961年から1967年までシンシナティ市長を務めました。実業家としての顔も持ち、地域のランドマークとなったレストランの経営にも深く関わった彼の人生は、都市の成長と激動の時代を象徴しています。
主要な実績と事実(Key Facts)
- 政治キャリア:1953年から1967年まで市議会議員を務め、そのうち6年間(3期)シンシナティ市長として市政を率いた。
- 歴史的意義:シンシナティ市長として4人目のユダヤ系人物となった。
- 都市開発:シンシナティ・コンベンション・エキシビションセンターの建設や、リバーフロント・スタジアムの資金調達、ダウンタウンの再開発計画を推進した。
- 実業:家族経営のレストラン「ホイール・カフェ(Wheel Cafe)」の副社長として長年経営に携わった。
- 危機管理:1967年の人種暴動の際、治安維持のためにオハイオ州兵の派遣を要請した。
若き日の歩みと教育
1904年12月22日、シンシナティに生まれたバクラックは、ポーランドからの移民である父フィッシャーと母ローズの間に唯一の子として誕生しました。幼少期からビジネスに囲まれた環境で育ち、両親が経営していた「ホイール・カフェ」や「ホテル・ウォルトン」などの事業を間近に見てきました。
教育面では、インディアナ州のカルバー軍事アカデミーで名誉衛兵組織「ブラックホース・トループ」に所属し、規律を学びました。その後、ワシントン・アンド・リー大学を経て、1929年にシンシナティ大学の法学部予備課程を卒業し、法曹界への道を歩み始めます。
法曹界から実業への転身
大学卒業後、バクラックは法律事務所での勤務や郡検察局、首席副書記官としての職を経験し、法的な専門知識を深めました。しかし、1937年に大きな転機が訪れます。父が設立した配送会社に注力するため、バクラックは法曹としてのキャリアを離れ、実家の「ホイール・カフェ」の経営をサポートすることに決めました。
彼は15年以上にわたり同店の副社長を務めました。このレストランは、シンシナティで初めて調理労働組合と契約を結んだ店として知られ、特にシンシナティ・レッズの試合後には多くのファンで賑わう地域の社交場となりました。政治引退後に店を売却しましたが、後の野球ストライキなどの影響もあり、店は1981年に閉業しました。
政治家としての台頭と市長時代
バクラックの政治への関心は若いうちから高く、1929年に共和党の地区執行委員となったことがキャリアの出発点でした。1953年には市議会議員に選出され、共和党のフロアリーダーや副市長を経て、1961年に第42代シンシナティ市長に就任しました。
彼は自らを「儀礼的な市長(ceremonial mayor)」と称し、市長が都市の象徴的な代表であることと、実務的な意思決定を行う執行責任者であることを同時に担うのは困難であるという持論を持っていました。しかし、実際には多くの委員会や理事会で活動し、都市のインフラ整備や経済活性化に寄与しました。
1967年の人種暴動への対応
任期の最終年となった1967年、市内で激しい人種暴動が発生しました。バクラック市長は、暴徒化した人々に対し法を遵守し良き市民であるよう促しましたが、事態が悪化し放火や略奪が相次いだため、警察署長らの進言を受けてジム・ローズ知事に州兵の派遣を要請しました。これにより、約800人の州兵が投入され、地元警察と共に治安回復にあたりました。
私生活と晩年
私生活では、妻のアイダ・メイとの間に2人の娘をもうけました。熱狂的なシンシナティ・レッズのファンであり、シーズン開幕戦で始球式を務めることを大きな喜びとしていました。また、ロックデール寺院の終身会員として信仰心を持って生活していました。
政治引退後は、家族で休暇を過ごしていたアリゾナ州ツーソンへ移住しました。1989年12月17日、脳卒中により84歳でこの世を去りました。
プロフィールまとめ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 生年月日・没年月日 | 1904年12月22日 - 1989年12月17日 |
| 主な役職 | シンシナティ市長(1961-1967)、市議会議員(1953-1967) |
| 所属政党 | 共和党 |
| 学歴 | シンシナティ大学(法学部予備課程) |
| 主な事業 | ホイール・カフェ(副社長) |
| 年俸(市長時) | 年額 11,000ドル |
よくある質問(FAQ)
バクラック市長はどのような政治スタイルでしたか?
彼は自らを「儀礼的な市長」と呼び、市長の役割は都市の象徴的な代表であるべきだと考えていました。実務的な決定権を分散させる考えを持っていましたが、一方で都市開発やインフラ整備などの重要なプロジェクトには積極的に関与しました。
彼が市長時代に達成した主な功績は何ですか?
シンシナティ・コンベンション・エキシビションセンターの建設や、後のリバーフロント・スタジアムの建設に向けた資金調達、そしてダウンタウンの再開発プログラムの始動などが挙げられます。
1967年の暴動時に彼はどのように行動しましたか?
当初は市民に法遵守を呼びかけましたが、警察だけでは対応不可能な状況になったため、州知事に要請してオハイオ州兵を導入し、治安の維持を図りました。
「ホイール・カフェ」とはどのような店でしたか?
バクラック家が経営していたシンシナティのランドマーク的なレストランです。市内で初めて調理労働組合と契約を結んだ先駆的な店であり、特に野球ファンに愛されていました。
彼の家族背景について教えてください。
父親はポーランドからの移民で実業家、母親はレストラン経営者の娘でした。ユダヤ系の背景を持ち、彼自身もシンシナティ市長を務めた4人目のユダヤ系人物となりました。
References
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