ウィーン文学合意:セルビア・クロアチア語標準化への歴史的転換点
1850年3月、ウィーンにおいて南スラヴ地域の知識人たちが集まり、言語的な統合を目指した重要な会合が開かれました。これが後にウィーン文学合意と呼ばれるものです。クロアチア、セルビア、そしてカルニオラ(現在のスロベニア)の作家や言語学者が参加し、共通の文学言語を構築するための基盤を模索しました。
この合意の核心は、南スラヴ諸方言の共通性を認め、共通の文法規則を定めることで、分断されていた文学的伝統を一つの標準的な言語体系へと統合することにありました。
Key Facts
- 目的:セルビア人とクロアチア人のための共通文学言語の策定。
- 基盤:シュトカイカヴァ方言(Shtokavian)とイイェカヴィアアクセント(Ijekavian)を採用。
- 表記法:ラテン文字(ガイ方式)とキリル文字(カラジッチ方式)の完全な互換性と対等性を承認。
- 手法:人工的な合成語ではなく、既存の「南部方言」を基礎として選択。
歴史的背景とイリリア運動の変遷
19世紀前半、南スラヴ地域では「イリリア運動」と呼ばれる文化的な覚醒が起きていました。当初はすべての南スラヴ人を包括する広範な言語統合が理想とされ、クロアチアのザグレブがその活動の中心地となっていました。
しかし、時間の経過とともに、すべての南スラヴ語を一つにまとめることは現実的に不可能であるという認識が広がりました。そこで、より現実的な目標として、共通の言語的基盤を持つクロアチア人とセルビア人の間で、共通の文学言語を創出するという方向へシフトしていったのです。
合意の内容と具体的な言語規則
この会合には、独学の言語学者であるヴク・カラジッチや、著名なスラヴ学者フランツ・ミクロシッチ、そしてクロアチアの知識人たちが名を連ねました。


彼らは、ドイツ語やイタリア語の標準化プロセスをモデルにし、既存の方言を組み合わせて新しい言語を作るのではなく、特定の地域の方言を標準として採用することを決定しました。具体的に合意された5つの主要ポイントは以下の通りです。
- 基礎方言の選択:人工的な言語を避け、実在する方言から文学的基礎を選択する。
- 南部方言の採用:「南部方言」を共通言語とし、長母音jatの反射として「ije」を用いるイイェカヴィア形式などを基本とする。詳細な規則策定はヴク・カラジッチに委ねられた。
- 子音「h」の扱い:語源的に必要な箇所には、クロアチアの慣習に従い「h」を表記する。
- 属格複数形の簡素化:語源的根拠がなく、区別に不要であるため、名詞・形容詞の属格複数形の末尾に「h」を付けない。
- 音節的rの表記:「prst(指)」のように、口語で一般的であり、他地域でも広く使われている「r」のみの表記を採用し、前にaやeを置かない。

影響と後世の評価
この合意は、その後の南スラヴ地域の言語政策に大きな影響を与えました。特に旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国時代には、セルビア語とクロアチア語の最終的な法典化に向けた強固な基礎となったと公式に位置づけられていました。
しかし、1990年代にボスニア語、クロアチア語、セルビア語がそれぞれ独立した標準語として確立されると、この合意の妥当性について批判的な視点も現れました。一部の学者は、この会合が当時のクロアチア文化圏に決定的な影響を与えたわけではなく、20世紀の単一言語政策の中で後付けで重要視されたに過ぎないと指摘しています。
また、合意当時は公式な組織によるものではなかったため、拘束力はありませんでした。当時のクロアチアでは依然としてイリリア的な言語観が強く、セルビア側でも保守的な層がカラジッチの「民衆の言葉を文学言語とする」改革に抵抗したため、完全な浸透には時間を要しました。
まとめ:ウィーン文学合意の概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 開催時期 | 1850年3月 |
| 主要参加者 | ヴク・カラジッチ、フランツ・ミクロシッチ、イヴァン・マジュラニッチ等 |
| 採用方言 | 南部方言(ネオ・シュトカイカヴァ方言) |
| 文字体系 | ラテン文字とキリル文字の併用(等価な扱い) |
| 歴史的意義 | セルビア・クロアチア語の標準化への理論的基礎 |
Frequently Asked Questions
ウィーン文学合意とは具体的に何を目指したものですか?
クロアチア人とセルビア人が共通して使用できる標準的な文学言語を確立し、南スラヴ地域の言語的な統合を図ることを目的としていました。
なぜ「南部方言」が選ばれたのですか?
人工的に言語を合成するのではなく、実際に話されている方言を基にするという方針に基づき、共通性の高い南部方言(主にモンテネグロや東ヘルツェゴビナ地域)が選出されました。
文字についてどのような合意がなされましたか?
リュディヴィト・ガイによるラテン文字表記と、ヴク・カラジッチによるキリル文字表記を、一対一で対応させ、どちらも等しく正当なものとして認める「共時的二重表記(synchronic digraphia)」の状態を認めました。
この合意はすぐに受け入れられたのでしょうか?
いいえ。当時は拘束力がなく、クロアチアのイリリア運動支持者や、セルビアの保守的な文化層からの反発があったため、広く受け入れられるまでには時間を要しました。
現代におけるこの合意の評価はどうなっていますか?
かつてのユーゴスラビア時代には標準化の礎として高く評価されていましたが、現在は各国が独自の標準語を保持しているため、その歴史的影響力については学術的な議論が分かれています。
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