アメリカ合衆国オハイオ州の政治史において、アルヴィン・ヴィクター・ドナヒー(通称「誠実なヴィック」)は、州知事と連邦上院議員という要職を歴任した、民主党の進歩主義的なリーダーとして知られています。印刷業という実業の世界からキャリアをスタートさせ、地方行政、州政府、そして連邦政府へと階段を登った彼の人生は、実務能力と強い信念に貫かれていました。
Key Facts
- 主要役職:第50代オハイオ州知事(1923-1929年)、アメリカ合衆国上院議員(1935-1941年)。
- 政治的信念:増税に反対し、貧困層への不当な法執行を正そうとした進歩主義的な民主党員。
- 異名:多くの法案に拒否権を行使したことから「ヴェト・ヴィック(拒否権のヴィック)」と呼ばれた。
- キャリアの原点:高校中退後、印刷工として働き、後に自身の印刷会社を経営した実業家。
- 家族の功績:息子がオハイオ州副知事、義娘が州財務長官を務めるなど、政治的な系譜を残した。
若き日の歩みと政治への転身
1873年、オハイオ州カドワラダーに生まれたドナヒーは、学業よりも実務的なスキルを優先しました。高校2年生の時に中退し、印刷工としての修行を開始。ニューフィラデルフィア・タイムズ紙で職人から編集責任者へと昇進し、最終的には自らの印刷会社を設立しました。
彼の政治キャリアは草の根から始まりました。1898年にゴシェン・タウンシップ評議会の書記に選出された後、タスカララス郡の監査役や教育委員を務め、地方行政の基礎を築きました。その後、1912年から1921年までオハイオ州監査役(州の会計を監督する役職)として活躍し、州レベルでの信頼を勝ち得ました。
「ヴェト・ヴィック」と呼ばれた知事時代
1922年の選挙で知事に当選したドナヒーは、1929年まで3期にわたり州政を率いました。この期間、彼は特に財政面で厳格な姿勢を貫き、増税につながる法案をすべて拒否したため、「ヴェト・ヴィック(Veto Vic)」というニックネームで親しまれるようになりました。
彼の拒否権行使は単なる財政節約だけではありませんでした。公立学校での聖書朗読を義務付けるKKK(クー・クラックス・クラン)支持の法案や、禁酒法違反による罰金を支払えない者に強制労働を課す法案など、人権や信条に関わる問題にも断固とした態度を取りました。特に禁酒法の執行が貧困層に不当な影響を与えていると考え、2,000人以上の囚人を恩赦したことは、彼の進歩主義的な側面を象徴しています。
大統領候補としての注目
その政治的手腕から、1928年の大統領選挙に向けては、大統領または副大統領の候補として名前が挙がるほどの注目を集めました。最終的に指名は得られませんでしたが、党内での影響力は極めて高いものでした。
連邦政治への進出と晩年
知事退任後、一度は保険会社の設立などビジネスの世界に戻ったドナヒーでしたが、1934年に再び政界へ復帰します。共和党のシメオン・フェスを大差で破り、アメリカ合衆国上院議員に当選。1941年まで1期にわたり、連邦レベルでオハイオ州の利益を代表しました。
1940年には、フランクリン・D・ルーズベルト大統領の3選を支援するための「お気に入り候補(favorite son)」として出馬を要請されましたが、本人はこれを辞退しました。政界を引退した後は、住宅用タイルを製造するドナヒー・クレイ・プロダクツ社の社長を務めるなど、再び実業に専念しました。
1946年4月8日、コロンバスのグラント病院にて72歳で没し、ニューフィラデルフィアのイースト・アベニュー墓地に埋葬されました。
ドナヒーの功績と遺産
ドナヒーの精神は、現在もオハイオ州に残っています。コロンバスのオハイオ・エキスポセンターにある「ドナヒー農業・園芸ビル」は、彼の名にちなんで命名されました。また、彼の家族も多才であり、兄弟には著名な漫画家やコラムニストがいたほか、次世代の家族も州政府の要職を務めました。
| 期間 | 役職・活動 | 主な特徴・成果 |
|---|---|---|
| 1912年 - 1921年 | オハイオ州監査役 | 州の財政管理を担い、政治的基盤を確立 |
| 1923年 - 1929年 | 第50代オハイオ州知事 | 増税反対と人権重視の拒否権行使で知られる |
| 1935年 - 1941年 | アメリカ合衆国上院議員 | 連邦議会にてオハイオ州を代表 |
| 退任後 | 実業家 | 保険会社設立やタイル製造会社の経営に従事 |
Frequently Asked Questions
なぜ「ヴェト・ヴィック」と呼ばれたのですか?
知事の初任期中に76もの法案に拒否権(Veto)を行使したためです。特に増税法案をすべて拒否したことが、このニックネームの由来となりました。
禁酒法に対してどのような考えを持っていましたか?
禁酒法の厳格な執行が、特に貧困層に不当な負担を強いていると考えていました。そのため、罰金を支払えず投獄された人々を含む2,000人以上の囚人を恩赦しました。
政治家になる前は何をしていましたか?
印刷工としてキャリアをスタートさせ、新聞社の編集者を経て、自身の印刷会社を経営していた実業家でした。
家族にも政治的なつながりがあったのでしょうか?
はい。息子のジョン・W・ドナヒーはオハイオ州副知事を、義娘のガートルード・ウォルトン・ドナヒーは州財務長官を務めています。
彼が執筆した著作物はありますか?
1931年に『The Beak and Claws of America』という書籍を出版しています。
References
- ‘Donahey-or-Fess Issue Is One Vic Campaigns On’ by William Roche, published in ‘The Toledo Bee’ October 5, 1934
- Alvin V Donahey at Ohio History Central
- Herman, Jennifer (2002). Ohio Encyclopedia. Vol. 1. St. Clair Shores, MI: Somerset Publishers. p. 113. .
- "Biography, Gov. Alvin Victor Donahey". NGA.org. Washington, DC: National Governors Association. Retrieved November 27, 2021.
- New York Times, Ask Governor Donahey to Be Candidate For Vice President on Ticket With Smith, April 6, 1927
- Robert T. Small, Miami Daily News, "Vic" Donahey Booming Self for President[], July 11, 1926
- New York Times, For Smith and Donahey; Ohio Democrats Boom Their Governor, for Second Place, June 19, 1928
- New York Times, The Single Ballot Which Made Gov. Smith Democratic Party's Candidate for President, June 19, 1928
- Spokane Daily Chronicle, Democratic Convention Adjourns After Nominating New York Governor and Arkansas Senator for President and Vice President, June 29, 1928
- Associated Press, Kentucky New Era, Senator Donahey Refuses to Seek Votes for President, February 19, 1940