国家の意思を国民や世界に伝え、情報をコントロールすることは、戦時下において極めて重要な戦略となります。イギリス政府がこの役割を担うために設立したのが英国情報省(Ministry of Information, MOI)です。MOIは第一次および第二次世界大戦という二つの大きな危機に際して短期間設置され、政府による広報活動と検閲の中枢として機能しました。
第二次世界大戦中のMOIは、ロンドン大学のセネート・ハウスに本部を置き、国内向けおよび国外向けのプロパガンダ(戦略的宣伝)を統括しました。その活動は単なる情報発信にとどまらず、国民の士気維持や敵国への心理戦まで多岐にわたりました。
Key Facts
- 設立目的: 戦時における政府の正当性を国内外に広め、ニュースや情報を管理すること。
- 活動拠点: 第二次世界大戦中はロンドン大学のセネート・ハウスに置かれた。
- 主な機能: プレスリリース、検閲、国内・国外向け広報、世論のモニタリング。
- 後継組織: 1946年に解散し、その機能は中央情報局(COI)へ引き継がれた。
- 象徴的な活動: ポスター制作や映画制作を通じた国民の団結と士気向上。
第一次世界大戦における萌芽と混乱
第一次世界大戦初期のイギリスでは、情報の管理体制が分散しており、複数の部署が重複して検閲や広報を行っていました。海軍省や陸軍省などが関与する諮問機関はありましたが、中央集権的な調整機能は不足していました。
1914年には海外向けプロパガンダを担うプロパガンダ局が設立され、ジョン・ブーチャンなどの著名な作家が起用されました。その後、組織は変遷し、1918年2月にようやく「情報省」として正式に発足します。しかし、この動きは当時の政治状況において、政府による報道統制への過度な介入であるとして、政治家やメディアから強い批判を浴びることとなりました。
第二次世界大戦:組織の拡大と試行錯誤
第二次世界大戦が始まると、1939年9月4日に再び情報省(MOI)が設立されました。実はこの設立に先立ち、1935年から秘密裏に計画が進められており、1938年のチェコスロバキア危機(ズデーテン地方の併合)の際には、短期間ながら「影の情報省」が稼働し、ミュンヘン協定に関する報道の検閲を試みた経緯があります。
開戦後のMOIは、プレス関係、広報政策、制作、調整・インテリジェンスの4グループで構成されました。しかし、初期の運営は混乱し、ニュース提供の遅れや、階級意識が強いと批判されたポスターなどの失敗が相次ぎました。これにより、メディアからの反発を招き、人員削減や組織改編を余儀なくされました。

指導者の交代と方針の転換
MOIの方向性は、大臣の交代とともに大きく変化しました。ジョン・リース時代には地域情報事務所の拡充や国内インテリジェンス部門の導入が行われましたが、その後就任したダフ・クーパー時代には、空襲や侵攻への対策など国内向けプロパガンダが強化されました。しかし、世論調査などの活動が「ゲシュタポのような監視」であると批判され、「クーパーの密偵(Cooper's Snoopers)」と揶揄される事態となりました。
最終的に就任したブレンダン・ブラッケンは、政府が国民に「説教」することを避け、客観的な背景情報の提供に徹する方針へと転換しました。彼は、情報省のような組織は平時には不適切であると考え、終戦後の解散を主張しました。
クリエイティブな戦略と実務
MOIは単なる検閲機関ではなく、高度な制作能力を持つ組織でもありました。一般制作部門(GPD)では、通常3ヶ月かかる商業的な制作期間を1〜2週間に短縮してポスターや展示物を制作する驚異的なスピード感で運用されていました。
また、多くの戦時芸術家が起用され、視覚的なアプローチで国民の意識を喚起しました。映画分野では、詩人のディラン・トマスが脚本を提供し、染料や新都市、英国の風景などをテーマにした短編映画が制作されました。主なキャンペーンテーマは以下の通りです。
- ホームフロント(銃後): 国内の団結と忍耐の促進。
- 生産と回収: 戦略物資の回収(サルベージ)の推奨。
- 同盟国の結束: 連合国間の協力体制の強調。
- 軍隊の称賛: 戦う兵士たちの勇気を称える。
MOIの概要まとめ
| 項目 | 第一次世界大戦時 | 第二次世界大戦時 |
|---|---|---|
| 設立日 | 1918年2月10日 | 1939年9月4日 |
| 解散日 | 1919年1月10日 | 1946年3月31日 |
| 主な目的 | 情報調整と検閲の集約 | 国内外への国家正当性の宣伝と情報管理 |
| 後継組織 | (AWOPC等へ回帰) | 中央情報局(COI) |
| 主要拠点 | ウェリントン・ハウス等 | セネート・ハウス(ロンドン大学) |
Frequently Asked Questions
MOIの主な役割は何でしたか?
主に、戦時における政府の公式見解を国内外に広めるプロパガンダ活動と、機密保持のためのニュース検閲、そして国民の士気を把握するための世論調査という3つの役割を担っていました。
なぜMOIは国民やメディアから批判されたのですか?
初期の不器用な広報活動や、政府による過度な報道統制への懸念、さらには世論調査などの活動が国民の監視(スパイ活動)のように受け取られたためです。
どのような手法でプロパガンダを行っていましたか?
ポスター、映画、パンフレットなどの視覚メディアを多用しました。特に専門の芸術家や作家を起用し、短期間で大量のコンテンツを制作して配布する体制を整えていました。
MOIは戦後どうなったのですか?
1946年3月に解散しました。その後の政府広報機能は中央情報局(COI)に引き継がれましたが、COI自体も政府コミュニケーション組織の再編に伴い、2011年12月に解散しています。
現代の研究ではMOIがどのように分析されていますか?
ロンドン大学などの研究機関によるデジタルアーカイブ化が進んでおり、当時のコミュニケーション史としての研究が行われています。また、戦時の検閲体制と現代のテロ対策に関連する報道制限との類似性を指摘する議論もあります。
References
- "The National Archives – Research and learning – Exhibitions – The Art of War – Learn about the art". The National Archives.
- "COI – About COI". 19 June 2010. Archived from the original on 19 June 2010. Retrieved 14 August 2021.
- "Government publishes response to COI review". GOV.UK. Retrieved 14 August 2021.
- Wilkinson, Nicholas, 1941– (2009). Secrecy and the Media: the official history of the United Kingdom's D-notice system. London: Routledge. . 281090467.
{{}}: CS1 maint: multiple names: authors list () CS1 maint: numeric names: authors list () - Barrett, Claire (23 April 2019). "How Great Britain's Secret Disinformation Campaign Paid Off In World War I". HistoryNet. Retrieved 29 October 2025.
- "The Ministry at a Glance". moidigital.ac.uk. Retrieved 29 October 2025.
- The National Archives (TNA), CAB 16/127 MIC 7 "Report of the MOI Planning Subcommittee", 27 July 1936.
- Taylor, Philip M. (1983). "If War Should Come: Preparing the Fifth Arm for Total War 1935–39". Journal of Contemporary History. 16 (1): 32–33.
- The National Archives, CAB 16/127 MIC 7 "Report of the MOI Planning Subcommittee", 27 July 1936.
- Grant, Mariel (1994). Propaganda and the Role of the State in Inter-war Britain. Oxford: Clarendon. pp. 239–41.