かつてルーマニア王国の一部であったティギナ県(Județul Tighina)は、歴史的なベッサラビア地方の南東部に位置した行政区画です。この地域は、20世紀前半の激動する東欧の政治情勢を象徴するように、ルーマニアとソビエト連邦の間で統治権が二度にわたって変遷しました。現在はモルドバ共和国の領土となっており、多様な民族と文化が交差する地として知られています。
主要な事実(Key Facts)
- 存続期間:1925年〜1938年、および1941年〜1944年の2回にわたり設置。
- 地理的位置:旧ルーマニア王国の東端、ドニエストル川を挟んでソ連と接していた。
- 中心都市:県庁所在地であるティギナと、西部のコムラトの2つの都市で構成。
- 人口構成:1930年時点で約30万人。ルーマニア人のほか、ロシア人、ガガウズ人、ブルガリア人などが共生していた。
- 現在の状況:モルドバ共和国の領土として統合されている。
地理的特徴と行政構造
ティギナ県は、ベッサラビア地方の南東端に位置し、東側はドニエストル川を境界として当時のソビエト連邦と接していました。西側はカフル県、北側はラプシュナ県、南側はチェタテア・アルバ県に隣接していました。

行政面では、県庁所在地のティギナおよび都市コムラトという2つの都市地域に加え、以下の4つのプラシャ(plasă:郡下区分)に分かれて管理されていました。
- ブルボアカ地区(中心地:ブルボアカ)
- カウシャニ地区(中心地:カウシャニ)
- チェダルルンガ地区(中心地:チェダルルンガ)
- チミシュリア地区(中心地:チミシュリア)
激動の歴史的変遷
1918年のベッサラビアとルーマニアの統合を経て、1925年に正式にティギナ県が設立されました。しかし、1938年の行政・憲法改革により、ラプシュナ県、チェタテア・アルバ県、オルヘイ県と共に「ニストル地方(Ținutul Nistru)」へと統合され、一度はその形態を失いました。
第二次世界大戦前後には、さらに激しい統治権の争奪戦が繰り広げられました。1940年にソ連が占領しモルダビアSSRの一部となりましたが、1941年の枢軸国によるソ連侵攻に伴い、再びルーマニアの管理下(ベッサラビア総督府)に戻りました。この期間中、軍政が敷かれ、地域のユダヤ人住民が処刑されるか、あるいはトランスニストリア総督府へ強制移送されるという悲劇的な出来事が起こりました。
1944年9月12日のモスクワ休戦協定、および1947年の平和条約により、国境線は1941年1月1日時点の状態に確定しました。これにより、ティギナ県を含む地域は最終的にソ連の支配下となり、後の独立に伴い現在のモルドバ共和国となりました。
人口統計と多文化社会
1930年の国勢調査によれば、県全体の人口は306,592人で、人口密度は1平方キロメートルあたり48.41人でした。特筆すべきは、その極めて多様な民族構成です。

全人口の53.4%をルーマニア人が占めていましたが、ロシア人(14.7%)、ガガウズ人(12.8%)、ブルガリア人(6.4%)、ユダヤ人(5.5%)など、多くの少数民族が暮らしていました。宗教面では東方正教会が89.4%と圧倒的でしたが、ユダヤ教やルター派なども存在していました。
特に都市部(ティギナおよびコムラト)では、農村部とは異なる人口比率が見られました。都市人口の35.6%をロシア人が占め、次いでユダヤ人(19.8%)、ガガウズ人(17.7%)、ルーマニア人(16.7%)となっており、商業や行政の中心地として多民族が密集して生活していたことが分かります。

以下に、1930年当時の地域別人口構成をまとめます。
| 地域区分 | 名称 | 人口数(人) |
|---|---|---|
| 都市部 | ティギナ市 | 31,384 |
| コムラト市 | 12,331 | |
| 農村部(プラシャ) | ブルボアカ | 57,280 |
| カウシャニ | 99,161 | |
| チェダルルンガ | 41,416 | |
| チミシュリア | 65,020 | |
| 合計 | ティギナ県全体 | 306,592 |
Frequently Asked Questions
ティギナ県はいつ設立され、いつ消滅しましたか?
2つの期間にわたって存在しました。1回目は1925年に設立され1938年に行政改革で統合されるまで、2回目は1941年に再設置され1944年にソ連の支配下に戻るまでです。
当時の主要な民族構成はどうなっていましたか?
ルーマニア人が過半数(53.4%)を占めていましたが、ロシア人、ガガウズ人、ブルガリア人、ユダヤ人、ドイツ人、ウクライナ人など、多様な民族が共生していた多文化地域でした。
都市部と農村部で人口構成に違いはありましたか?
はい、顕著な違いがありました。農村部ではルーマニア人が多数派でしたが、都市部ではロシア人が最大勢力(35.6%)となり、ユダヤ人やガガウズ人の比率も高くなっていました。
現在のティギナ県はどこに位置していますか?
かつてのティギナ県の領土は、現在は独立国であるモルドバ共和国の領土となっています。
第二次世界大戦中のこの地域の状況はどうでしたか?
1941年から1944年にかけてルーマニアの軍政下にありましたが、その期間中に地域のユダヤ人住民が処刑されたり、トランスニストリアへ強制移送されたりするなどの弾圧が行われました。
References
- Portretul României Interbelice - Județul Tighina
- ; Lee Brigance Pappas; Nicholas Charles Pappas (1994). An Ethnohistorical dictionary of the Russian and Soviet empires. Greenwood Publishing Group. p. 484. .
- "The Avalon Project : The Armistice Agreement with Rumania; September 12, 1944". avalon.law.yale.edu. Retrieved 17 March 2018.
- . Foreign relations of the United States, 1946. Paris Peace Conference: documents Volume IV (1946)
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