1980年代、ソビエト連邦は火星とその衛星フォボスを詳細に調査するため、「フォボス計画」という野心的なプロジェクトを始動させました。その第一弾として打ち上げられたのがフォボス1号です。この探査機は、当時の惑星探査機としては最大級の規模を誇り、高度な科学観測を目指していましたが、皮肉にも極めて単純な入力ミスによってその運命を絶たれることとなりました。

Key Facts
- ミッション目的:火星およびその衛星フォボスの詳細な調査。
- 打ち上げ日:1988年7月7日(プロトンKロケットを使用)。
- 機体重量:6,220kg(2011年のフォボス・グルントまで最重量の惑星間探査機であった)。
- 失敗の原因:地上管制からのコマンド入力ミスによる姿勢制御システムの停止。
- 運用機関:宇宙研究所(IKI)。
ミッションの設計と野心的な計画
フォボス1号の目的は、単なる火星接近ではなく、衛星フォボスへの接近と詳細な分析にありました。米国との直接的な競争を避けるため、あえてフォボスを主標的に設定したという背景があります。計画では、地球から火星までの約200日間の航行中、2回の軌道修正を行い、最終的に火星の楕円軌道から高度350kmの円軌道へと移行する予定でした。

3段階の科学的アプローチ
観測計画は、航程に合わせて以下の3つのフェーズに分かれていました。
- 航行フェーズ:地球から火星へ向かう途中で、太陽および惑星間空間の調査を行う。
- 軌道フェーズ:火星周回軌道に入り、火星本体とフォボスの観測を実施する。
- 接近フェーズ:フォボスの表面からわずか50メートルの距離まで接近し、精密な実験を行う。
搭載された高度な観測機器
フォボス1号には、レーダー送信機、X線およびアルファ後方散乱分光計、カメラ、そして物質を蒸発させて原子質量を分析するレーザー装置が搭載されていました。特に注目すべきは「ホッパー」と呼ばれる小型装置で、これをフォボス表面に投下し、バネ仕掛けの脚で跳ねながら土壌を掘削・分析させる計画でした。

致命的な「ハイフン一つ」のミス
順調に見えたミッションは、1988年8月28日に送られた一つのコマンドによって崩壊しました。エヴパトリヤの地上管制センターの技術者が、コマンド入力時にハイフンを一つ書き漏らすという単純なミスを犯したのです。本来であれば送信前にコンピュータによる校正が行われるはずでしたが、校正用システムが故障しており、技術者は手順を無視して直接コマンドを送信してしまいました。
この誤ったコードは、本来は地上テスト用として残されていた「姿勢制御システムの停止」という致命的な命令を起動させました。この命令が実行されたことで、探査機は太陽方向への向きを維持できなくなり、太陽電池パネルへの給電が停止。結果としてバッテリーが枯渇し、9月2日には通信が完全に途絶えました。

組織的な背景と教訓
この事故の背景には、モスクワとエヴパトリヤの間での権限争いという政治的な不協和音もあり、指令系統の複雑化がミスを誘発したと指摘されています。また、テスト用コードがPROM(プログラム可能読み出し専用メモリ)に書き込まれていたため、コードの削除にはハードウェア全体の交換が必要となり、納期優先でそのまま放置されていたという設計上の不備もありました。
ミッションのまとめと遺産
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 運用機関 | IKI(宇宙研究所) |
| 打ち上げ重量 | 6,220 kg |
| 使用ロケット | プロトンK (Proton-K) |
| 主要な成果 | 太陽のX線および極端紫外線観測(太陽フレアの検出) |
| 最終結果 | コマンドミスによる喪失 |
フォボス1号は主目的を達成することなく失われましたが、航行中に得られた太陽のX線や極端紫外線のデータは貴重な成果となりました。また、この失敗は後の宇宙開発におけるソフトウェア検証の重要性を改めて浮き彫りにしました。なお、2026年には近地球小惑星「1998 KY 26」がフォボス1号の残骸であるという仮説が提示されましたが、科学界では依然として自然天体であると考えられています。
Frequently Asked Questions
フォボス1号が失敗した直接的な原因は何ですか?
地上管制員が送信したコマンドの中でハイフンを一つ入力し忘れたため、本来は使用してはいけない「姿勢制御停止」のテスト用命令が実行され、電力が喪失したことが原因です。
なぜコンピュータによるチェックが行われなかったのですか?
コマンドを校正するためのコンピュータシステムが故障しており、技術者が手順を無視してチェックなしにコマンドを送信したためです。
「ホッパー」とはどのような装置でしたか?
フォボスの表面に投下され、バネ付きの脚を使って地表を跳ね回りながら、土壌の掘削と分析を行うための小型探査装置です。
このミッションで得られた成果は全くなかったのでしょうか?
いいえ。火星に到達する前の航行中に、太陽のX線(0.5–2.5 nm)および極端紫外線(17–18 nm)の観測を行い、太陽フレアを検出するなどの成果を上げています。
フォボス1号は現在どこにあると考えられていますか?
正確な位置は不明ですが、一部の研究者が近地球小惑星 1998 KY 26 である可能性を指摘しています。ただし、これは確定的な事実ではなく、一般的には自然の小惑星と見なされています。
References
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